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ヤドカリとバドミントン

今日はフリースクールでお勤めの日。2時間目は運動。バドミントンの時間だ。わたしも混ぜてもらって、一緒に試合をした。

相変わらず右の肩が上がらないし、痛い。しかし、ラケットを持つと妙に張り切ってしまう。力が入らないからヨレヨレだけれど、必死でラリーを続ける。本当は、スマッシュを打ち込みたい。スナップを効かせて大きく打ち返したい。悔しいなあ。腕さえ自在に動けば、中学生に負けないのに。
このオトナゲナサはなんだろう。勝ちたい。

フリースクールに来ている子たちは、常に殻を用意していて、何かのきっかけでスッと殻に閉じこもってしまう。ヤドカリみたいだな、と思う。だからこそこの学校は、彼らの居場所として安心できる場所でなければならない。かといって、腫れ物に触るような態度は見抜かれてしまう。彼らは心の奥深くでは、人を信用していないように見える。もうこれ以上、傷つくのも、嫌われるのも嫌なのだ。表面上ではわたしのような事務員のおばさんにも、優しく親しげに接してくれるが、最後の一線のようなものを越えさせない空気がある。日常は全員につながりを感じない。個で動き、個で考えている。

だから体育の授業では、いつもバドミントンをやっていると聞いて、おそらく形式的な感じでつまらなさそうにやるんだろうと思っていた。しかし、教師は違う。彼らに体を動かすことの気持ちよさ、ゲームの面白さ、技術向上の意欲を高めるために、常に笑顔で前向きだ。根気強く教えている。

その結果だろうか。うまい子が二人いる。二人は去年から在籍しているので、他の子より経験が多い。なるほど。一方で、先月から始めた超初心者の子が4人いる。彼らはサーブも打てないし、ネットぎわに落ちるシャトルを拾えない。自分は動かず、手の届く範囲でしか返してこない。

ところが。担任(英語科)が飛び入り参加した時から空気が変わってきた。彼女は手加減しない。ワーワー言いながら、シャトルを拾いまくり、スパンスパンとスマッシュを決めていく。ポイントを取れば無邪気に喜び、ミスショットをしたら悔しがる。しだいに生徒たちが笑顔になっていく。体の動きも少しずつ大きくなって、さっきとは違うスピードでラケットを振る。入らなかったサーブが決まってきた。自信がついたのか、強気で打ってくる。

わたしにはヤドカリが殻をちょっと脇にどけているように見えた。殻から出ないと勝負できない、と悟ったかのように。

パシッとスマッシュを決めて「オトナゲナイわ〜」と担任が自分のことを言う。みんなが笑う。いい雰囲気だ。さすがだな、と感心しつつ、わたしも中学生に負けたくなくて、走り回る。すぐに息が上がって、「大丈夫ですか。少し休んで」と体育の教師に言われる。何十歳も若い人たちには勝てませんわ、とわたしも笑う。

お昼休みに教室に行ってみたら、全員がまた黙って前を向いて座っていた。スマホを見たり、ドリルを開いて勉強している。シーンと静まった空気。また、みんなが殻を背負っている。体を半分以上、殻に潜らせた子もいる。
わたしはパンを食べ終わって手持ち無沙汰にしていたら、一人の女の子が振り向いた。目が合ったので「もうパンを全部食べ終わってさびしいわー」と言ったら「トランプしますか」と真顔で言った。そして「やる?」と後ろの席の子に声をかけた。これまで見たことのない光景だ。これが担任マジックなのか。

トランプには5人中、4人が参加した。大富豪のルールを教えてもらって2回やって、ババ抜きを1回、7並べを1回やった。誰も笑ったり悔しがったりしないので、これ本当に楽しいのかな、と思った。いや違う。顔がマスクに隠れてよく見えないけど、目が時々笑う。

昼休み終了のチャイムが鳴って、みんなはまた殻を背負って自分の席に戻って行った。彼らが少しずつ、自ら殻を抜け出す時間が長くなりますように。



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