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不登校は問題行動じゃない

8月最後の週末。子どもたちの自殺件数がピークになる時期だ。わたしのnoteを読んでいる子どもはいないと思うけれど、もし、「死にたい」「死のう」と思っている人がいたら、死なないでほしい。生き抜いてほしい。

今日は職場のイベントで、オンラインでの教育セミナーがあった。不登校をどう考えるかというテーマで、不登校の経験がある高校1年生の女の子がいじめの体験談を話してくれた。
「中1の時、夏休みが終わって学校に行ったら、仲良しグループからハブられて、そのうち学年の女子たちから無視されるようになりました。つらかった。死にたい、と思って何度か自分で首を締めたこともあります」

彼女を救ったのはお母さんだった。「もう無理して学校に行かなくていいよ。世の中にはそんな子もいるからね」と言われ、それで楽になったそうだ。でも、それで全部が解決したわけじゃない。その後も先生が別室登校でいいから学校においでとプレッシャーをかけてくる。頑張って別室登校をしても、理不尽なことで叱られる。通学路で同級生に会うと嫌がらせをしてくる。もういいや、もうどうでもいい、と投げやりな気持ちになってしまった。もう死ぬしかない、と思う日が増えた。

ある日、お母さんから連れて行かれたのがフリースクール。お試しで1週間通ったら、先生も先輩たちも、最初はゆっくりと関わってくれて、自分のペースに合わせてくれた。調理実習で先輩の優しさに触れて、「ああ、こんないい人も世の中にはいるんだな」と思えたところから、少しずつ気持ちが解けていった。

参加者から「お母さんは学校に行かなくてもいいって言ってくれたでしょう?もし、ずっと家にいても、そのままでも大丈夫だった?」と質問されて、その子は「いいえ、フリースクールに行っていなかったら、今ここにはいないと思います」と答えた。

去年、女子高生の自殺件数が跳ね上がったそうだ。女子高生のムスメを持つ身としては、本当に辛い。自分のムスメが、と考えたら絶望する。

講師の講話にドキッとした。「学校に行けない子にとって、毎日は積み重ねではない。毎日がゼロからのスタートなのだ」と聞いたからだ。朝起きて、学校へ行く。別室登校だとしても、気が重い。前日は行くつもりでいても、朝になるとやっぱり行けない、という子も多い。「1時間でいいよ、行っておいで」と親に促されて、死ぬ気で頑張ってようやく学校にたどり着いた。そこで、よし今日はここまでできたから、明日は2時間、というふうに考えるのは大人の都合だ。当の本人は、明日また1時間がんばれるかどうかはわからない。明日はまた、ゼロから勇気を振り絞って行くのだ。

わたしはフリースクールの事務員で教師ではないけれど、子どもの命を預かっていることには変わりない。そう考えると言動には少なからず責任がある。子どもたちが帰る時「おつかれさま!また明日ね」と声をかけることが多いけれど、それでよかったのかな、と思う。

長くなったけど、最後に講師のお話でなるほどと思ったことを書いておく。

『不登校は問題行動ではありません。では、不登校のなにが問題かというと、不登校によって起きる不利益(学力面、進路、人間関係)がもたらす不安なのです。しかしこの不利益を解消できない環境(社会のシステム)こそが問題です。大人はその不利益を解消できる方法を子どもと一緒に話し合えばいい。その時、本人に決定させること。そして、それを受け入れること。もし受け入れられないことなら、なぜそれが受け入れられないことかを説明し、本人の納得が行くまで話し合うこと。それから、決定したことを途中でやめたとしても、「あなたが決めたことでしょう?」と本人に責任を取らせないこと』

わたしは思う。その時は、次をやってみればいい。明日もあるしね。
だから、生きて。


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