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十六夜にオレンジジュース飲むのかよ

十六夜(いざよい)は、今年、9月14日だったそうだ。中秋の名月、つまり十五夜の翌日である。今年はもうとっくに過ぎてしまった。

なんでもそうだが、大事な日の翌日は、ホッとするものだ。指折り数えて準備を進めてきた嬉しい日も、乗り越えなくてはならない嫌な日も、当日までのプレッシャーはポコンと外れて、肩の荷がスッと軽くなる。

ホッとした時、一息つくために何を飲むか。ビール?コーヒー?緑茶?タピオカミルクティ?わたしは紅茶派なのだが、オットはオレンジジュースを選ぶことが多い。わたしは市販のオレンジジュースが苦手。やたら甘くてひどく酸っぱくて、キュッと飲んだら頰の内側の筋肉がキーッとこわばるあの感じ。なんでホッとしたいのに、オレンジジュースを飲むのか意味がわからない。

子どもの頃、大人の宴会に同席する時、決まってオレンジジュースが用意してあった。銘柄は大抵「ファンタ」と「バヤリース」だった。たまに「プラッシー」というレアものが出た。特に田舎では、液体やビンの色のせいか「女の子はファンタオレンジ、男の子はファンタグレープ、もしくはコーラかスプライト」みたいな不文律があり、女の子には飲み物が一択しかないことにムカついた。わたしは「イメージで選ぶな。好みを聞いてくれ」と内心思っていた。

もちろん、出されたものはありがたく頂戴するのだが、「これじゃない何かを飲みたい」といつも考えていた。しかしそれは、「コーラ」でも「スプライト」でもなく、なにかこう、あっさりとした後味の、ごはんやおかずにも合う飲み物であってほしい。なぜに大人は自分たちがビールを飲むからといって、子どもたちにジュースを飲ませるのだろうか。自分たちだけ特別な楽しい時間を過ごすのが後ろめたくて、子どもにも普段の食卓には上らないジュースを飲ませてそれを免罪符としているのか。あるいは、お前らも特別感が欲しいだろう、よしよし、ジュースを飲ませてやるぞ、今日は特別だぞ、という施し?どちらにせよ、「飲みたいでしょ」と言われると「別に…」と女優ばりに言ってみたくなる。ただ、それをやってしまうと次のチャンスさえもなくなってしまうので、他の子と同じように「うん」と言ってみたり「ありがとう」と答えたりした。しかしそれは処世術とは程遠く、敗北感がつきまとっていた。大人になって「別にお茶か水でいいじゃん」と思ったが、それに気づくのが遅過ぎた。

わが家の冷蔵庫には、ジュースは常備していない。特別な時だけだ。しかしオットは風呂上がりにジュースを飲みたがる。深夜に映画を見ていても、「ジュース飲もうっと」と言って近くの自販機まで買いに行く。昨夜も500ml入りの炭酸ジュースを買ってきた。どう考えても午前0時過ぎの胃袋には、多すぎると思った。それに糖分摂り過ぎだよ。

今朝起きてきたら、台所にその缶ジュースが置いてあった。持ち上げるとズシリと重い。やっぱり残している。ほらねー。捨てるよー、と思ったが、うっかり忘れてそのまま置いておいた。

今日の午前中は半休で、家にいたオットはせっせとパソコンでメールチェックなどをしたのち、おもむろに飲み残しのジュースを飲み始めた。グビグビグビ。缶はカタンとテーブルに置かれた。

「今日、歓迎会で遅くなる。ウニのパスタが有名なお店だって」と苦々しく言った。オットは海産物が苦手で、特にカニ・タコ・エビ・ウニは嫌いだ。「食えんぞ」と呟いて出かけて行くオットを見送りながら、どうしてオットはみんなが好きそうなものを苦手にしているんだろうかと思った。だから宴会になると、食べるものがない。いつもそうだ。そもそもお酒があまり飲めないので、宴会ではオレンジジュースばかり飲んでいる。以前、それを見てかわいそうに、と思ってそう言ったことがある。するとオットが「別に。オレは好きなオレンジジュースが飲めて幸せ」と答えた。なるほど。わたしの方がずいぶん傲慢だったな。

十六夜の話からずいぶん着地点がズレてしまったが、今日はここで。

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