見出し画像

【040】子供扱いはやめる:子は親が思う以上に大人である

子供の頃の記憶は、何歳ぐらいから覚えているものなんだろう。

あれは…正確に何歳だったのか覚えていないのですが幼児期に、母親が知人の女性から受けていた身の上相談の会話をいまだに覚えています。“どうせ子供にはわからないから”という感じで話されていた赤裸々な大人のちょいと下世話な会話を。

「(内心で)その話全部理解できているんだけど」と思いながら、理解できないふりをしておもちゃで遊んでいた、その当時から確信していることがあります。子供は大人が思っている以上に賢く、世の中のことがわかっているのであると。

こう思うのは、自分だけじゃないと思うのですがどうですか?
子供の頃に大人から受けた“子供扱い”って、かなり見当はずれだと感じていませんでしたか?

私は、子供の頃の自分が望んだ親になりたいと思っていたので、子育てにおいてはできる限り子供を子供扱いしないことをポリシーにしてきました。

例えば、赤ちゃん言葉は使わないとか。
”ブーブー“じゃなくて”車“、“わんわん”じゃなくて“犬”、“じゅーちゅ”(ジュース)とか“ピーポー”(パトカー)とか言わなかったのは、口にはしなかったけれど、小さな育児のこだわりです。

難しい話でも妥協しないで説明するとか。
息子が年少の頃、仮面ライダーのテレビを見ている時に、なぜ自分が欲しいおもちゃのCMばかり見せつけられるんだと聞かれたことがありました。その際には彼のご要望にお応えして、テレビが無料であるしくみや広告のしくみを説明した記憶があります。この話は彼なりにかなり刺さったらしく、後にいとこにドヤ顔で教えていました笑。

意思決定もかなりの部分は本人に委ねていました。
中学受験用の塾の見学に連れていって受験する?と問うたところ、迷ったあげくに「遊びたい」と。その際は「こういう理由で将来の選択肢が少なくなるが、、」と説明したのですが、説明も理解したうえで本人が受験しないことを選んだので、受け入れることにしました。

これは後に高校受験で苦労している息子本人から「なんであの時、親の権限で無理にでも受験させなかったんだよー。その方が楽だったかも(涙)」と軽く抗議を受けることになり、そうか…判断を任せたのは間違ってたのかも、、、と反省することになったのですが。

でもその後、大学生になった息子から「自分は自由にやらせてもらってよかった」と。聞くと、ミスって痛い目にもあったし苦労もしたけど、自分で決めさせてもらえたから、ということでした。友達から、親の敷いたレールを強制されて自由がないという悩みを聞かされて、自分は幸せだと思ったらしいです。

…と言いつつ、実際には都合よく忘れてしまっただけで、私も息子を子供扱いをしたことは数多くあったはずです。人間だもの。

それと、この子育て方針は親戚や親から相当不評でした。なんでも子供に決めさせるから、こんなに奔放に育ってしまった…といつも小言を言われていました。

また、実際に子供が転んでも見守ってやらなければならないので親の寛容さが試されます。よく耐えたな自分笑。

いずれにしても、大人が思う以上に子供は大人であることは事実だと思います。子供への愛情ゆえに全て世話を焼いてあげたいと考える親たちの気持ちはわかるけれど、時には信頼して任せていいのではないかと思います。

「それでもし失敗したら?親の責任じゃないの?」という論もあるかと思います。その気持ちもよくわかります。でも、子供の時こそ失敗はいくらでもリカバリーできるので、失敗する権利を奪わないことのほうが大事だと思うのです。

今日は、子供の頃の自分から学んだことを書きました。

そういえば、ここの冒頭で書きましたが部下の時にやって欲しかったマネジメントを上司になった時に実践する、それと同じことを子育てでもやっていたようですね。ひとつのパターンだと言えそうです。

自分の体験とそれに伴う感情は一生の宝物ですね。
逆の立場に立った時に活かすことができるので。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?