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神は私たちの行いを見ているのか?

お仕事、お勉強、今日もお疲れ様です。Rikです。


「一日一善」という言葉があります。これは、1日1つ何か良いことをして、それを積み重ねる、という意味です。

人によって解釈は異なるかもしれませんが、私の中では、「小さなことでも誰かのためになる行いをして、積み重ねること」という解釈をしています。


確かに、「一日一善」は素晴らしいことで、私自身も肝に銘じています。


しかし、私は性格がひねくれているので、「「一日一善」をしたところで、その先に何か自分に起きるのか」と考えたことがあります。


私の守護霊的な、神様的な人が一日一善を見て、「何かこいつ(Rik)にも良いことを起こさせてやろう」とでも思って、私自身の運気が上がったりするのかなあ。とか考えたこともあります。


そういえば、よく「神様は常に行いを見ている」と聞きますが、実際どうなんでしょうか。「〜すればバチが当たる」とかってよく聞くことだと思います。


私はそれを何故か過剰に信じていて、慎重に生きています。

「やばい、〜してしまった」と振り返って、でももう取り返しのつかないことになってしまった時、頭の中で神様に謝ったりしています。側から見るとやばい人ですよね(笑)


けど、「神が見ているかも」と思って行動することは悪くないと思います。悪行が減るので。しかし、過剰に信じるのは、生きずらいですけど。

なんか、オカルト的な、宗教的な話とは違うんですよね。説明しづらい。。


生きているだけで100点。Rik


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