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生きることは死ぬこと。2


「生」と「死」が自分の近くにいることを認識したのは、
小さな頃から。

「なぜ生まれたのか?」
「生きてる意味は?」
「なんのために生まれたのか?」

自分の中で長く自問自答していたことだ。

心と体の性別が違い、望んだ性で生きていけないことは、
口にしたらいけないことだと当時は思い込んでいた。
誰にも言えないから、心の秘密の部屋の中で質問や言葉が飛び交っていた。

生きることへの意味がわからなかったから、
死に対して関心があった。

それは小さな頃から、
性別を変えるまでのこと。

大人になって
自分が望む性で生きて
好きなものと出逢い(写真)
まっすぐに生きていくための宣言としてカミングアウトができて
心から信じることができる仲間、自分の居場所ができた。

不思議なもので、どんどん前向きになれた。
生きることに対して、興味が出た。
現在は、人生一度きり後悔のない毎日を生きている。
これからもそうしていく。

だから、生と死が近くにある。
生きることは死ぬこと。
死ぬことは生きること。

「生」といえばイメージするものは、誕生日。
「死」といえば、お葬式。

誕生日とお葬式は、
同じようなものかもしれない。

誕生日もお葬式も「おめでとう」でいい。

お葬式は命の卒業式。
肉体から魂が抜けて卒業するもの。

今のお葬式の概念は、暗い、悲しいイメージが強いけど、
もっと明るいものでもいいんじゃないかと思ってる。
遺影も同じように思ってる。

大切なひとが亡くなったら悲しいけど、
卒業おめでとうと思う。

今年の7月、父が亡くなった。
その時もおめでとうという感覚だった。
感情は、少しだけ悲しさがあった。

「痛みから解放されてよかったね」
癌だったので最後まで痛い痛いと言ってたので。

父の遺影は、ぼくが生前撮影させてもらったもの。
仏壇には、父の写真が飾られている。
写真の中で父は生き続けているのだ。

姿・形はなくなっても、
写真が残り続けるのであれば
その人を表すものがいい。

ぼくは自分の卒業写真(遺影)は、日常の姿にする。
好きなことをやっているとき、
家でゴロゴロしている時でもいい。

それか一人で映るのは寂しいから、
大切な人と映るのもいいなと思うこの頃です。

棺桶には、楽しかった思い出の写真たちを入れてもらって燃やしてもらって天国でも思い出していたい。

壱と千(いちとせん)
写真家 川本理壱 、言葉を書く人 CHIHIRO  による作品制作ユニット。
日常のなかのしあわせを見つけだすきっかけに。
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