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いつか、耳栓を外してみたい|HSPでも”疲れ”ないで生きていく。

夜中にやって来る台風ほど、私を震撼させるものはない。
私が住む関西地方に大きな台風がやって来たのはつい先日のことだ。先日といっても特段珍しいことでもなく、この季節は毎年台風が多いのだ。

でも、家の中で一人でいる時に「それ」がやって来ると、窓をガガガっと揺らす暴風や、天井に叩きつけられる雨の音が、直接心臓に突き刺ささるように感じてしまう。

果たして、みんなそうなのだろうか。
みんな、台風が来る夜はこんなに震えながら夜を明かしているのだろうか。

その疑問の答えは、いつも自分の胸の中にあった。
そう、皆が皆、自分のように台風一つにこれほど怖い思いをしないということを知っている。

だから、そんな夜は諦めて耳にイヤホンをつけて音楽を鳴らし、布団に潜り込んで身を縮こませるしかなかった。

***

自分が幼い頃から、「気を遣いすぎる」性格であることは自分でも何となく分かっていた。

大勢の人と一緒にマラソンのスタートを切るとき、私はいつも白線ギリギリに構えることをしなかった。
マラソンというのは、最初のスタートで前にいる方が走らなければならない距離が短くなるため有利だと決まっている。
そんな当たり前のこと、自分の隣に座ってる子だって絶対に知ってる。
だから皆、「それじゃあスタート位置についてください」と先生から言われると、我先にとできるだけスタートラインに近いところに陣取ろうと走る。

けれど私は違った。
「みんな前に行きたいよね…」と思うと、どうしても遠慮してしまうのだ。
遠慮して、結局中盤〜後ろ辺りからスタートする羽目になる。
それが私のマラソン「あるある」だった。

こういったどうでもいいところまで考えてしまう癖は、大人になった今でも変わらない。
というかむしろ、大人になった今の方がより分かりやすい形で表面に現れる。

例えば、大学生になってからというもの何かと「飲み会」に誘われる機会が多くなった。
正直飲み会は苦手だけど、だからといってどうしても行きたくないわけじゃない。
人と話すこと自体は楽しいと思う。
でも、周りのみんなが酔い出してテンションがハイになり、各人の声のボリュームが上がってくと、私はその場から逃げ出したくなる。
狭い空間で雑音が大きい場所にいると、ひどく「疲れる」からだ。

しかし、だ。
飲み会が仲間との関係を築くための重要な場であることもまた重々承知していた。
だから、飲み会に誘われたときは気持ちとしては行きたいのだけれど、身体的に行きたくない、という葛藤に苛まれる。
そして、結論は7割型「やっぱり無理かなー…」という方向に落ち着くので、今度は「どう断るか」という点で迷子になるのだ。

「せっかく誘ってくれたのに断ったら申し訳ないな…」

「前回も断ったし、付き合い悪いやつって思われそう…」

私は知っている。
誘った相手は私が飲み会を断ろうと、それほど気にしないということを。
残念だと言ってくれるだろうけれど、「何か用事があるなら仕方ない」と理解してくれるってことも。

結局なんだかんだ断れずに飲み会に行き、イベントとしては楽しいが終わった頃にはぐったりとして家に帰ることになる。

こんなふうに、うるさくて閉鎖的な空間に長時間いると他の人に比べて異常に疲れたり、必要以上に他人に気を遣ってしまったりする自分の性格が大嫌いだった。

でも、そんな私の考えを変えてくれたのは、ある人のブログ。
その人は私が以前まで所属していた長期インターン先の先輩なのだが、その人が書いた「傷つきやすいココロに悩んだら」というブログのタイトルに吸い寄せられて、思わずクリックしていた。なんとなく、自分と同じ匂いがしたからだ。そして、食い入るようにして読み始める。
彼女のブログに書かれていたのは大体こんな内容だった。

「他人の言葉を深読みしすぎて無駄に傷ついてしまう」
「しかし他人がそれほど深い意味で発言したわけでないことを自分でも分かっている」
「散々頭を使った後の短期インターンの後の飲み会なんて、疲れるから絶対に行きたくない」

それを読んだ時、私の頭に電撃が走ったように、あまりの衝撃でしばらく呆けてしまっていた。
同じだ。
自分と、まったく同じ!!
ブログを読んでいる最中は、本当に私の心の中を覗かれてるんじゃないかってぐらい、自分が物心ついてから今まで悩んできたことすべてがそこに綴られていた。

そして、その先輩のブログでは悩みの部分だけにとどまらず、ある用語とともに悩みの正体が解説されていたのだ。
その正体こそが、

HSP=Highly Sensitive Person

というものだった。

「HSP…?」

なにそれ、聞いたことない…。
初めて「HSP」という用語を聞いて、私の頭の中は「?」でいっぱい。
だから、気になって先輩のブログを読み進めるとともに、自分でもネットや本で「HSP」について調べてみることに。

調べてみると、本当に自分の性格と一致するところが多く、なんで今までこれを知らなかったんだろうと後悔したぐらいだ。

HSPとは、アメリカの心理学者エイレン・N・アーロン氏が提唱した概念で、簡単に表現すると「とても敏感な人」という意味らしい。

「敏感な人…」

確かに、人の気持ちを察しすぎたり、ちょっとしたことにもすぐに気がついたり、多くの人の中にいるとすぐに疲れてしまったりする、という性格は、「敏感」と表現するのにふさわしい気がした。

他にも、勘が鋭い、完璧主義、自責の念が強い、神経が高ぶりやすく自律神経が乱れやすい、人に見られていると一気に仕事ができなくなる、時間制限があるとパフォーマンスが下がる、マルチタスクを振られるとパニック症状を起こす、、

そして、

“五感が鋭く、強い刺激に圧倒される”

「これって」

そう。私が台風の夜に異常なほどの恐怖に震え上がっている理由は、このためだったのだ。

思い返せばこんなこともあった。

高校1年生の夏、学校から家に帰っている途中、ひどい豪雨と雷に見舞われた日があった。
学校から家まで自転車で約30分。
雨が降り始めたぐらいの時には全然平気だった。そんなこと、日常茶飯事だったから。
でも、その日は数分もしないうちに土砂降りになって、まさに「バケツをひっくり返したような雨」が降り出したのだ。
しかも雨だけならまだしも、雷まで、すごい頻度で鳴り始める。

ピカッという光と、ゴロゴロというか、もっと凄まじいー地響きみたいな雷が、ものすごい威力をもって私の耳をつんざく。

死ぬんじゃないか、と思った。
いやいや、自分の身に落ちない限り死なないでしょ、と分かっていたけれど。
それでも本当に「あ、死ぬかも」と思うぐらいには私の頭は混乱していて、土砂降りの中必死に漕いでいた自転車から飛び降りて、近くのマンションの下の駐車場に転がり込んだ。

雷の光る音、雨と雷が落ちる音、その全てに震えながら、当時学校では持って行くのが禁止されていたスマホを鞄から取り出して、母に電話した。

「お母さん」

「どうしたの、こんな時間に」

「雷が、」

端から見れば、いい歳した高校生の女の子が混乱状態で電話をかけていて、随分とみっともない光景だったに違いない。

「雷、確かにひどいね」

「そうじゃなくて、雷が」

私は泣いていた。
半ばパニック状態で、泣きながら母にこう言った。

「雷が怖くて、家に帰れない」

「何言ってるの、このぐらいで。自分で帰ってきなさい」

「いや、無理っ…!迎え来て!!」

私のあまりの脅えように、母も流石にただ事じゃないと思ったのか、「場所はどこなの?」と私の元まで車で迎えに来てくれた。

母がやって来てくれて自転車を放置して私は家まで帰った。
あれから6年経った今でも、母はその日の“事件”のことを覚えていて時々私に話してくれる。
きっとそれぐらい、豪雨と雷に対する私の怖がり方が異常に映ったんだろう。

こういった、「音や光、匂いなどの刺激に圧倒される」のはHSP特有の気質なのだそう。
そう、私はここであえて“気質”という言葉を使ったが、HSPは病気ではなく気質だということ。だから、特別怖がる必要なんてない。

そして、このHSPという気質を持っている人は、全人口の2割も存在しているらしい。
言い換えれば、2割しかいないということでもあるけれど。
でもだからこそ、その2割のHSPの人たちが何かにつけて「生きづらい」と感じてしまうのは仕方のないことなのだ。
世の中は、何だって多数派が生きやすいようにつくられているんだから。

けれど、こういった事実を知っているのと知らないのでは、心の持ち様が違う。
私もHSPという概念を知るまでは、「自分の性格がこうだから悪いんだ」と思っていた。
でも、誰かの些細な言葉に傷ついてしまうのは、メンタルが弱いんじゃなくて、そう感じてしまう気質だと思うと少し楽になった。
センター試験は苦手なのに時間がたっぷりある二次試験は得意だったのも今なら分かる。

時間に追い詰められるのが苦手なら、前もって準備しておけばいい。
マルチタスクで混乱するなら、上司に話して配慮してもらえばいい。
人の言葉を深読みして傷ついたら、いったん深呼吸して「あの人は自分を攻撃してるわけじゃないんだ」と自分に言い聞かせればいい。
必要以上に自分を責めなくていい、疲れる飲み会になんて行かなくていい。
苦手な営業や人前での仕事はせずに、得意な創作活動に気の済むまで熱中したらいい。

台風の夜、雨や雷、暴風の音が怖いなら、耳栓しておけばいいんだ。

そうすれば、ほら、他の人となーんにも変わったことなんかない。

HSPという存在を知るだけで、考え方を変えるだけで、もしかしたらこれからこの気質が緩和されるかもしれない、という希望を抱いてすらいる。

時間はかかるかもしれないけれど、いつか私も耳栓なしで生きれるようになったらいいな。
同じ気質を持った人たちが、生きづらさを感じなくなってくれたら。

いつか、耳栓を外してみたい。

雨と雷のひどい夜に、そう願います。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^

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