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命をいただくこと、自分の命を大切にすること

こんにちは。
今日は命をいただく食事と言う行為から、自分の命の尊さを学べるという話について書きました。

何かを食べるとき、「これはほかの生き物の命だ」と意識している人はどれくらいでしょうか。
私もお肉やお寿司が大好きで、日々たくさんの命を頂ながら生きています。
日本では宗教的背景で動物を食べない信条のある人は多くないですし、ベジタリアンやビーガンの人も多くないので、日々の食事の中で命のありがたさを本当の意味で考えることはあまりない気がしています。
(ベジタリアン・ビーガンの方が必ずしも考えているわけではないかもしれませんが、それはおいておきます。)

なぜこんなことを考えたのかというと、先日のアイヌ語の授業でこんな話があったからです。

「アイヌの民族は、熊を食べる。この話を専修したら、やはり『熊が可愛そうだ』という反応がありました。確かにそうかもしれません。熊の命と引き換えにエネルギーをいただいているのです。私たちが日々食べているお肉もそうです。鶏や豚、牛の命を頂いて私たちの命は成り立っています。皆さんはあまり意識したことはないかもしれませんが。」

「私は少し田舎で育ったので、家には鶏がいました。毎朝産んでくれる卵を頂いていたんですね。でも、鶏もいつしか卵を産まなくなります。卵を産まなくなった鶏は、どうなると思いますか?」

「ある日父が、うちで飼っていた鶏をつぶして食卓に出しました。私は、すごくショックで食べられませんでした。でも、父からしたら当たり前のことだったんです。鶏肉は鶏の命を頂いていて、それで人間の命は成り立っている。人間はそういう生き物なのだということ。」

「その日の食卓で、私はすごく落ち込んでいましたが、こういう感覚はとても大切だと思うんです。自分の命はさまざまな生き物の命の上で成り立っている。そういう感覚があれば、頂く命を無駄にはしないし、必要以上の命を殺めることはないと思うんです。」

「アイヌの民族には、『必要以上に狩りはしない』『余すことなくいただく』という意識が染みついています。」

アイヌ語の先生は、こんなことを言っていました。始まりはアイヌの民族の熊狩りの話でしたが、命のありがたさの話になっていました。

さて、この話を聞いて、私はこんなことを考えました。

頂く命の重みを知ることは、自分の命を大切にすることにも繋がっている。

自分の命が多くの命の犠牲の上に成り立っていること。
その犠牲にしている命は、とても尊いものだということ。

そう考えると、自分の命や自分の周りの人の命の重みがちょっとだけ、増すような気がします。

いつも意識はできないかもしれない。でも、何か辛いことがあった時、誰かがつらい時。
そんな時に思い出したいな、と思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☺
それではまた。

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