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読書における幸せな連鎖

 
芋づる式といっても、必ずしも悪いものばかりではない。

まだここまでネットやSNSが身近ではなかった頃、読みたい本の探し方といえば、本屋さんに出掛けて自分の嗅覚で探すか、好きな著者が昔読んだとか、あれは面白いなんて書いている本を図書館も含めて探すかだった。

今でも書店巡りはしているが、やはり以前と比べて頻度は下がった。その代りamazonで自分の検索内容に紐づいて出てくる本をチェックしたり、SNSで誰かが取り上げているものを試しに読んでみたりすることが増えた気がする。

共感する第三者の意見を参考にするという意味ではベースは同じなのだが、以前は自分の興味関心を一人で掘っていく感じだったものが、今では自分で盛り上がりながら、それを他人と共有して満足度を高めていく色合いが濃い。

そんななか、最近久し振りに一人で興奮して突き進む喜びを思い出した。

今年の、といってもあと2か月と少しあるのだが、今年出会った本のなかで今のところベストに近いのはこれだと思う。

ジャケ買いしてこれが大正解だったという話は以前書いたが、中身は勿論、その翻訳のシャープさに感動したことも大きい。何となくどこかで見たことのあるような名前だが、と思って調べて次に買ったのがこの本だった。

これが素晴しく面白かった。どこか村田沙耶香的な、人とは違う感性が拾い上げる様々な事象が、信じ難いほど豊富な語彙で書かれている。いっぺんに虜になってこの人のエッセイを立て続けに読んだところ、そのなかでとある作家のことを好みだと書いているのを見付けた。

初めて読む作家だったが、ぐうの音も出ない。完全に私好みの、薄闇のなかで虚実の判断がつかなくなっていくような、呪われた物語がそこには並んでいた。講談社文芸文庫特有の小学校の文集みたいな装丁と高めの価格がアンバランスだが、これに関してはまったく不満はない。ありがとう講談社。

という流れを経て、今は吉田知子の古本を探そうと思っているところだが、何だろう、この嬉しさは。この手の連鎖の感覚は本当に久し振りだ。ちょうどサッカーでワンツーからゴールを決めるのに近い(決めたことないけど)。基本的に読書という行為は受け身だが、しかしこういう掘り方をすると俄然能動的な何かに様変わりする。それは何か作家の頭のなかにある意味のネットワークを追体験しているようにも感じるが、まあこれは私の妄想かもしれない。

ということで、今年の読書周りで何が一番の収穫だったかといえば、今のところ岸本佐知子とその周辺ということになる。去年は岸政彦だった。こういう発見があるとやっぱり嬉しいものだ。ちなみに私は昔どこでこの御方と出会っていたのかというと……。

確かに。もう20年近く前になるが、私は岸本氏の翻訳にしっかり親しんだ経験があったのだった。

年末までの間、果してどんな出会いがあるだろうか。もう少し昔みたいに、宝さがしのような気分で本屋さんに行ってみようかと思っている。

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