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素直に泣けないのはなんで?~書く習慣1ヶ月チャレンジ~

最近泣いたこと・・・思い出せない(笑)


最近楽しかったこと、悲しかったこと、怒ったことなら思いだせるけど。

そもそも「泣く」ということに意識を向けない。
だから、泣いているかもしれないけど、すぐには思い出せないんだろう。

「泣く」をないがしろにしているんだと思う。
「泣く」をいらないと思っているんだと思う。

なんでそんな風に思うんだろう。

小さい頃は、しょっちゅう泣く子だった。


気に入らないことがあれば泣く。
何かを訴えたい時、泣きながらエピソードを伝える。
挙句の果てには、泣いている子がいたら、自分も泣いちゃう。

何かにつけてびーびーびーびー泣いていた(笑)
今の自分からすると、恐ろしいほど「泣く」を使い倒していた。

まさか私、小さい頃は「泣く」達人だったのでは・・・!?


「泣く」を上手く使って、気持ちを伝えたり、
相手にもっと感情が伝わりやすいように、「わざと」泣いたり・・・!?

そんな「泣き」マスターだった私。

どうして最近「泣く」をないがしろにしてるんだろう。

泣かなくなった理由を思い出してみた。


一つに、泣いた時、周りの反応が変化してきたのを感じたから。

幼少期は、周りの子たちや大人たちが「どうしたのー?」と言って、
すぐに駆けつけて、なぐさめたり、可愛がってくれた。

ところが、小学生に上がると、
「泣き」マスターの私に、冷めた目線を送る同級生が一気に増えた。

さらに畳みかけるように担任の先生からの叱咤。



「泣いても何も変わらないんだから、まずは泣き止みなさい!!」



・・・いやいやいや!!!
こっちはまだ泣き足りないんですけど!!?(笑)


今度は先生が怖くて、それを涙に託してめそめそ再スタート。


・・・でも内心は、意外と冷静だった。



「あ、泣くって、迷惑なのかも。」


それからは、泣くタイミングが一気に減っていった。
泣きそうなときはグッと堪えるか、
別の場所に行って一人で泣くようにした。

そこから「泣く」を周りに見せまいと頑張るようになった。

「泣く」に関しては家族の影響も大きい。


うちの家族は、「泣く」を見せないように、
取り繕ったり、別の場所に逃げるような人たちだ。

なんでそうなのかは分からないけど。
ようは格好つけたいのかな?

そう考えると、うちの家族はみんな素直じゃない。
それとも、家族に弱みを見せたくない?
色々理由はありそうだけど。

「泣いたら負け」「泣いたらみっともない」みたいな?
そんな空気を、家族から感じ取っていた。


そんな風にして大人の年齢になった私。


泣いている人を見ると、どんな反応をするのか。



「わー・・・泣いてるよ・・・どうしよう・・・」


他人の「泣く」に対して、急激な困惑と「しらけ」を感じるようになった。

「泣くのはみっともない」が染みついた私は、
あの頃の先生と同じように、
「泣く」ことを否定する大人になった。

対して、自分が泣きそうになった時は、
周りに気づかれないタイミングでハンカチを目に当てたり、
汗を拭くふりして手を目に持っていったり(笑)

まさに「涙ぐましい」努力をしていた。
(上手いこと言った・・・(笑))


ここまで書いてきた率直な感想。



「いやぁ、そこまで泣くことをないがしろにしなくていいよね・・・」


思えば、「泣く」という行為も、れっきとした人間活動のひとつだし、
実際、私はけっこうな頻度で泣くのをこらえてる気がする(笑)

それが、素直に泣けるようになればどんなに楽か・・・と思う。

ただ、「泣く」ことで、周りの人を困らせたくないという気持ちもある。
この相反する気持ちに、どう整理をつけていけばいいか。

もうこうなったら、


「ええい!構ってられるか!私は泣きたいから泣くんじゃーーー!!!」


ぐらいの気持ちで泣くのが良いのかもしれない。
つまり、一言でいうと、自己満足。
それくらい割り切れると、もはや一発解決。
世の中にいる「泣き上戸」の人たちは、そんな気持ちで泣いているのかな?

楽しい時の笑顔と同じように、泣きたい時の涙も流していい。

「泣く」エピソードうんぬんの前に、その壁をクリアしなければいけない。

今回のテーマを書いて、少し肩の力が抜けた気がする。
気張って、泣きたいのに泣くことを我慢しなくていい。

以上、泣くことすら不器用な人間が考えた、
泣くことに対する考察でした。

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