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大人にこそ「とりとめもなく話せる場」が必要だ ~カウンセリングを受けて感じたこと~

結論ファーストで話す。誰かに何かを伝えるときに、これがものすごく重要なことのように感じられるようになったのって、何歳くらいからだろう。

自分のこれまでを振り返ると、それは21~22歳頃、就職活動が始まったタイミングだったように思う。大学の授業で論理的に話を組み立てなければいけない場は何度かくぐりに抜けてきたけれど、いよいよ「大人」として、「社会人」の一歩手前として自分の話に説得力を持たせなければならない、となるのは就職活動だ。

本当に論理的に話ができているかは置いておいたとしても、結論ファーストで話すだけでなんとなくそれっぽく聞こえるし、事実、聞く側の理解も簡単になる。聞かれた問いに関してまずは結論を話して、「なぜなら~…」と続けていく。これがわたしが教えられた「勝ち方」だった。

会社で大勢の前で話さなければいけないときやmtgの前は、あらかじめ自分の考えをテキストベースでアウトプットして"声に出す"練習をした。「勝ち方」に沿った話をしなければいけない。なんとなく、そんなプレッシャーみたいなものを感じていた。

いつからかわたしは、「とりとめのない話」ができなくなった。

社会人になって2年目のころから、友だちと話をするときにスムーズに言葉が出なくなった。今わたしはわかりやすい話ができているんだろうか。話のつじつまはあっているだろうか。矛盾なく、結論と理由を順序だてて話せているのだろうか。

お酒が進めばそうとも限らないのだけれど、少なくとも1杯目のビールが汗をかき始めるまでは、わたしは自分の発した言葉一つひとつにドギマギして、相手の顔色を窺うようになった。フェアな関係である友だちとの間でも、だ。

あぁ、自分はなんてしゃべるのが下手なのだろうと思うようになった。みんなみたいにスムーズに言葉が出てこない。考えるのに時間がかかるから言葉は途切れ途切れになるし、面白い話も全然できていない気がする。

大学生のころはあんなに「誰かといる」ことが好きだったのに、お酒を交わしながら笑いあうことが好きだったのに、いつしかそれをおっくうに感じるようになっていた。

カウンセリングのサービスを受け始めたのは最近のことだ。仕事に悩み、人生にも悩み、だけど結論の出ない話を友だちにするのもなんだか気が引けた。そういうわけで、Twitterでたまたま見かけた民間のカウンセリングサービスに申し込みをしてみたのだ。

端的に感想を伝えるとすると、「いままでに体験したことのないスッキリ感」を味わえた、というところだ。

今までわたしは誰かになにかを相談したり、とりとめなく話をしたりすることを避けてきた。だからこそ、自分の言葉で想いを話すことにはすごく抵抗があった。そんなわたしでもゆっくり言葉を選んで話すことができたのは、カウンセラーさんが「待つ」「耳を傾ける」を徹底してくれているからだろう。

カウンセリングは基本的に「問題解決の場」であると言われているが、その前段階にはきっと、「誰かが自分の話を受け止めてくれる」体験が必要だ。そしてそのと体験は、より良い人生を歩んでいくためのファーストステップとして本当に大切なことなのだと思う。

わたしの経験ベースでしか言えないが、とりとめもなく、誰かに話せる場があることは、心をかなりフラットにしてくれる。

もちろんカウンセリングだから、1時間あたりで料金が発生する。それは決して「安いね~!」と即決できる値段ではないけれど、わたしは個人的にそれだけの金額を出す価値があり、長い目で見たときに必ず自分にとってメリットのある行為(≒投資)だとも思っている。

この先わたしの人生にカウンセリングがどんな影響を及ぼすのが現時点では見当がつかない。だからその部分は言及しないでおくけれど、今もっとも強く感じているのは、「お金を払って受けるサービスって、良い!」ということだ。

身近な人には「こんな話したら迷惑だろうな」と思って伝えられないことも、カウンセラーさんにだからこそ言葉にできる。ふわふわと着地しない話に耳を傾けてくれる人がいる。

子どものころに当たり前にあった「とりとめもなく話せる場」を、大人になってひとつ見つけられたような気がしている。

カウンセリング、けっこう、ええで。


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