母親という理想像
こどもを生み、
自分の母親が孫に接する姿をみて、
大好きだった母親の記憶のほかに、
本当は嫌だった母との記憶が蘇りました。
どんな母親の姿をみて気づいたかというと、
遊び方を指定し、
ルールを外れる遊び、
こどもに柔軟に合わて遊ぶことを嫌う姿。
やってあげることが喜びといってみたり、
こどもを待つことをせず、
すぐに手を貸し、先回りをして、
やる隙を与えない姿。
またこれまでの母親もこんなところがありました。
愛情深いけれど、
ときにひとりで責任を負いすぎるところ。
ときに被害者意識の強いところ。
自己肯定感の低いところ。
どこか不安、不満そうで、
自分らしく人生を生きていないところ。
昔も今も、人のため、が原動力で、
尽くす相手=こども がいるときはいいのですが、
尽くす相手が居なくなると、
プツンと糸が切れたように
喪失感に襲われている姿をみてきました。
こどもに手がかからなくなった後は
別の世話焼き先、依存先を探したり。
使命感を失い、一時的に身体を壊したり。
こんなことが起こります。
一人で色んなことを我慢してやってくれ、
学費も払ってくれて、
色々と無理してきたんだなぁと最初は同情しました。
ですが父親ではない男性に
母親が依存しようとする姿をみて、
拒絶感を覚えました。
また一生懸命育ててくれた母親のことを理解しつつ、
家の中に安心感がなく、どれだけ不安だったか。
こどもは親の世話焼き役でも、
はけ口でもないという本音も出ました。
こどもにも考えや想い、感情をもった
一人の人間であると認められ、尊重されたかった。
いつも親の顔色を伺い、大丈夫なふりをしていたあの頃。
こどもらしく生きられなかった過去を思い出し、
腹が立ったり、悲しくなったりもしたのです(/_;)
わたし自身が母にしてもらえなかったことは、
自分が親になったときは絶対にこどもにしてあげよう。
ちゃんとした母親でいたいし、そう思われたい。
夫にも暗に母親らしくあること、
妻らしくあることを求められ、
必死にこなそうと努力していました。
ですが「理想の母親像」の
理想と現実の狭間で
押しつぶされそうになりました。
可愛いと思いたいのに思えない、
愛情をかけてあげたいのにかけられない。
日々小さなストレスが溜まり続けます。
急に爆発するときもあります。
だけど、どうやって人の手を借りたらいいか、
夫も気持ちよく動けるような頼み方、
自然な甘え方が分からず、
いつも一人で背負い込んでいました。
そして気づけばされたくなかった子育てを
自分が親になったときに同じようにしていました。
次回はこんな状況の中、
自分を大切に、こどもにも愛情を感じ、
夫は協力し合える良い関係に変化した過程をお伝えします。
過去は変えられませんが、未来は変えられます°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
居心地のいい生き方が見つかりますように。
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