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「火傷でも怪我でもない」いちご状血管腫って何?

乳児血管腫またの名を、いちご状血管腫という腫瘍をご存知ですか?
皮膚の表面や内部にできるもので、毛細血管の増殖異常が原因で発生する赤あざです。

ぱっと見は熟したいちごのように赤く、ぷにぷにしているので「いちご状」と呼ばれています。
生まれつきの場合と、生後にできる場合があるみたいですね。

今回は、自分自身が持ち続けている良性の腫瘍についてお話しようかなと。
医療的なことに関しては素人です。
当事者としての声と、調べたことを引用しながら書かせていただきますね。


幼少期はまさに、いちごが首にくっついている

ヨダレすみません。笑

多くは首や顔など、最も印象につきやすい上部にできるようです。
ただし、体のどこにでも可能性があり、内蔵までも含みます。
治療の必要性は症状により異なるようですので、専門的なことは控えます。
腫瘍名を検索していただくと、きっと見たことがある方もいらっしゃるかなと。

幸い、かなり軽度なので自分の一部として捉えられていますが、幼い頃は今以上に赤く、年頃もずっと悩んだので、思い切って書き上げました。
個人的な話ではありますが、同じ腫瘍で悩まれている方や、親御さんの心のケアになれば幸いです。

年頃になって、特殊だと気付いた

赤ちゃんの頃は首も短く、腫瘍も赤く大きかったのでとっても目立っていました。
生々しい艶が写真にしっかり写っていて、まるで熟れたいちご。
この頃の写真を初めて見たときは衝撃でした。

幼稚園~小学生も十分に赤いけれど、熟れたような艶はなかったです。

記憶に残っているのは、プールの授業で友達や先生に聞かれるストレス。
自分でもわからないのに、首に真っ赤なあざがある。
毎年クラス替えで、母が担任に告げてくれていたことをよく覚えています。
菌があるわけでもなく、触っても痛くないのに、腫れ物を扱う(腫れ物ですが。笑)ような目で見られるのは子どもながらに苦痛でした。

今思うと、デコルテにあるだけ恵まれているんですよね。

あえて治療をしなかった

両親は、将来のことを考えレーザー治療を検討したようです。
可愛がってくれていた祖父が、費用の相談にも乗ってくれていたそうです。

結果、治療には至りませんでした。
明確なことは覚えていませんが、納得しています。
それ以上話したこともありません。

私の場合は、見た目の解決以上の治療理由がなかったので安心していますが、治療の必要性には個人差があると思います。

すくすく伸びる身長といちご

身長は、中学生で170cm超えを記録していました。
皮膚もどんどん伸びて、腫瘍は引っ張られるように薄くなってきました。
自然治癒というよりは、ただ伸びてるだけです。(笑)
赤みが厚みが引いた分、表面が薄くなり肉眼で血管がうっすら見えています。

大人になり、消える様子もなし。

なぜか、ほとんどコンプレックスを感じません。
胸元の開いた洋服も着るし、聞かれても「生まれつき」と答えるだけです。
薄くなったおかげか、自分の中で諦めがついたかでしょうか。

いちご状血管腫という名前を知った時期

詳しいシチュエーションは覚えてませんが、24歳頃に調べました。
きっと傷だと心配した誰かに、細かく聞かれたんだと思います。

自分自身が、この物体の名前すら知らないことに気付いたんでしょうか。
適当に見た目のワードを検索して写真を見つけて、名前を知りました。

腫瘍って言葉はなかなかグサッときたのを覚えています。

そこからは、聞いてくる人にはだいたいは返せる程度になりました。
火傷や怪我でないことを丁寧に返せないと、心配をかけてしまうことも時々あったからです。

10代後半からは、この程度の薄さです。

モデル業で再認識するようになった

気にしなくなったものの、メイクさんが笑顔で対応してくださり、申し訳なかったですね。

海外では、「それ何?」と聞かれて「生まれつき」と答えると首を傾げられました。
詳しく説明する英語力がなくて、黙ってしまうことがほとんどでした。

衣装を試着して初めて担当者が気付き、首の隠れる衣装に変えられたり。
海外の勢いに慣れない頃は、首元を指差した瞬間気にしてしまいましたね。

学んだのは、気にされないためにも自分が一番気にしないこと。

なぜ治療を考えてないのか

健康に対して支障があるわけでもない。という軽い考えです。

見慣れたし、言われ慣れたし、もう血管腫の事で心が傷つくこともなくなりました。
これによって生き辛いのであれば、すぐに親へ相談していたはずです。
わざわざ治療しないのは、もう自分の一部として認識しているからです。

人の言葉で傷ついた子に伝えたいこと

ひとつ違えば、健康への影響もあるでしょう。
なので一概に「治さなくていい」とは思えません。
それでも伝えていいのであれば、コンプレックスに思う必要はないということ。

たぶん顔や手首だったら気持ちは全く違った。
デコルテだって本当はきれいでいたかった。
それでも振り切って残している人がいることを知っててほしい。

隠したい気分のときは隠せばいいんです。
見た目の違いひとつで、価値は下がらないから。


気持ちの整理のような記事に、お付き合いいただきありがとうございました★

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