リハビリつれづれ 6

 このあと背骨の手術をしたおじいちゃんと、お腹の手術をして体力が落ちてしまったおじさんのリハビリを行って本日の臨床業務は終了した。
 ただ、ここで“はいさようなら”と帰れるわけではない。今日担当した患者さんのカルテを記入しなければならない。そして、今日はお昼にカルテ記入をさぼったため午前中の患者さんの分のカルテも書かなければならない。カルテは電子カルテであり前日の内容をコピー&ペーストができるのであるが、もちろん全部が同じ内容なわけではない。一日の臨床で疲れ切った心身を缶コーヒーというカフェインと糖分で誤魔化しながら、本日の出来事を思い出し記入していく。
 理学療法士だって人間である。もちろん仕事は早く終わらせて家には帰りたい。ただ、理学療法士のような人を相手にする仕事は、どうしても道徳的観念が発生する。私はまだまだ自分のリハビリに自信がないので、二十分や四十分、人によっては一時間のリハビリを時間一杯行い、カルテに細かく詳細を書こうとしてしまう。言ってしまえば効率が悪いのである。さらには臨床業務後の疲労から頭の回転は悪いわけであるから、どうしても帰るのが遅くなってしまうのである。
 そこに、太く低い声で“ほい、お疲れー”と声をかけたのは作業療法士の古本さんである。古本さんは豪先輩の十個上のベテランであり、理学療法士顔負けの筋骨隆々な前腕のためよくPTに間違えられている。体型の秘訣は、毎日ちゃんと箸を使ってご飯を食べることだそうだ。おそらく箸の重さは5kgくらいあるのであろう。
 リハビリの職業は主に三職種、理学療法士(よく英語で訳されてPTと言われる)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)がある。理学療法士は、筋力低下や関節可動域制限などの運動機能障害を有する人に対して介入を行い、基本的動作能力(起き上がり、立ち上がり、座位、歩行などのこと)の向上をめざす※10※11。作業療法士は、身体又は精神の障害の障害によって生じた、日常生活(トイレ動作、食事動作など)の能力障害や、生活行為(料理、買い物など)の障害を有する人に対して、応用的で実践的な活動・作業を活用してその動作の獲得を目指す※10※12。理学療法と作業療法は、このように違いはあるが、実際はそれぞれに共通する部分も多く、PTが生活活動や精神面にも当たり前に関わり、OTが運動機能にも当たり前に関わる。そして、言語聴覚士は主に飲み込み(専門用語では嚥下障害という)や、コミュニケーションの障害(言語障害、音声障害)を有する人に対して、検査・評価を実施し、必要に応じて訓練、指導、助言、その他の援助を行う※13。
 これら三職種は、お互いが連携してリハビリテーションを行っていく。例えば、誤嚥性肺炎となってしまった山田さんのような、飲み込みに障害がある方がリハビリの対象となった場合、嚥下障害に対してSTが関わるだけではなく、食べるためには座って手を使って食べるわけであるため、その部分ではPT・OTがプロフェッショナルを発揮することもある。ちなみに、理学療法と作業療法は、それぞれの特徴から、理学療法士は下肢に対してアプローチし、作業療法士は上肢に対してアプローチすることが多い。そのため、私はこの三職種を患者さんに説明するときには、理学療法士は“足のリハビリ”、作業療法士は“手のリハビリ”、言語聴覚士は“お口のリハビリ”と簡単に説明しているが、これらは厳密には分けられるものではない。
 古本さんは、私が書いているカルテを覗き込みながら尋ねた。
「中原、まだカルテ終わらないのか?」
「もう少しで終わります。あと二人です。」
「中原はカルテをちゃんと書きすぎなんだよ。もっと俺みたいにテキトーに書けばいいんだよ。テキトーに。手を抜くことも一つのスキルだよ。」
 発言は豪快であるが、古本さんの患者さんへの対応は柔らかく、リハビリの内容も私では理解できないほど考えられている。
「カルテに要点だけまとめて書くっちゅうのも一つ大切なことだから。他職種がPTの専門用語だらけのカルテをみても読む気が失せるだけだからな。細かい評価なんてのは自分の頭の中に整理できときゃいいんだよ。」
「そうですよね。私は自分の中で整理できていないのかもしれないです。考えすぎてしまうというか、自分が、何ができていて何ができていないかが分かってない気がするんです。もちろんリハビリでできることなんて限界はあります。だけど、リハビリで関われるところでは最大限患者さんの体をよくしたいと思うんです。だからこそ自分の知識不足で患者さんに不利益があるということが怖いし、今やっているリハビリが本当に患者さんにとって最善のリハビリなのか考えてしまうんです。自身がないのかもしれません。」
「もちろん自分に驕らないというのは大事なことだ。だけど、そんなこと言ったらリハビリの世界なんていくらでも疑問は湧いて出てくるぞ。そこである程度区切りをつけて、しっかりと自分の時間を持つってことも大事なことだ。俺たちの仕事は幸い夜勤がないんだから規則正しい生活を送れるだろ?早く帰って、脳みそリラックスして、ストレスフリーで臨床やった方が、余裕が生まれるってもんだ。自分が幸せじゃなきゃ人は幸せにできないからな。」
「そうですよね、分かりました。私もテキトーにやります。」
「そうそう、テキトーにな。じゃあ先帰るよ。お先にー!」
「お疲れ様です。」
 適当というのは難しく、頑張りすぎてもいけないし、怠けすぎてもいけない。この適当のラインで留めるということは難しいことである。この世の中に自分で自分をこの適当のラインでコントールできている人というのはなかなかいないであろう。ちなみに、“動機づけ(一般的に「やる気」とも表される)”による興奮状態(賦活水準)の高さと行動の強さとの関係には、高すぎても行動に結びつかない、低すぎても行動に結びつかない、つまり逆U字型の関係があるとヤーキーズさんとドッドソンさんは言っている※14。やる気がでないことは行動に結びつかないことは当たり前である。興奮状態が高すぎるというのは、スポーツの試合であったり人前で発表したりする場面では、緊張しすぎてしまうと体がガチガチになってしまい、思い通りのパフォーマンスが出来ないというのは誰もが経験があることであるだろう。そんなときは友人や目上の人から“力が入りすぎてるぞ”と声をかけてもらうと肩の力が抜けるものである。客観的に適当のラインに修正してくださる人というのはありがたい存在である。
 残り二人のカルテをようやく書き終えた私は、残っていた缶コーヒーを飲み干しパソコンの電源を閉じた。リハビリ室の戸締りをして電気を消すと、リハビリ室に静けさが現れた。こうして私は医療従事者としての一日を終えた。着替えを終えて病院を一歩出れば医療従事者ではなく、一人の人間である。月の大きな目に見守っていただきながら、仕事終わりの青年は帰路に就いた。

追記:理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の定義
 〇「理学療法士」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、理学療法士の名称を用いて、医師の指示の下に、理学療法を行なうことを業とする者をいう※15。
「理学療法」とは、身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マツサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう※15。
〇「作業療法士」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、作業療法士の名称を用いて、医師の指示の下に、作業療法を行なうことを業とする者をいう※15。
  作業療法の定義(法):「作業療法」とは、身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作 業を行なわせることをいう※15。
作業療法の定義(日本作業療法士協会):作業療法は、人々の健康と幸福を促進するために、医療、保健、福祉、教育、職業などの領域で行われる、作業に焦点を当てた治療、指導、援助である。作業とは、対象となる人々にとって目的や価値を持つ生活行為を指す※16。
〇「言語聴覚士」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、言語聴覚士の名称を用いて、音声機能、言語機能又は聴覚に障害のある者についてその機能の維持向上を図るため、言語訓練その他の訓練、これに必要な検査及び助言、指導その他の援助を行うことを業とする者をいう※17。

※10 作業療法士と理学療法士の上手な連携のポイントとは?|日本作業療法士協会 (jaot.or.jp)  https://www.jaot.or.jp/ot_support/qa/detail/78/ 参考
※11 理学療法とは|理学療法士を知る|公益社団法人 日本理学療法士協会 (japanpt.or.jp)  https://www.japanpt.or.jp/about_pt/therapy/ 参考
※12 ・理学療法士及び作業療法士法(◆昭和40年06月29日法律第137号) (mhlw.go.jp)  https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=80038000&dataType=0&pageNo=1 参考
※13 言語聴覚士とは | 一般社団法人 日本言語聴覚士協会 (japanslht.or.jp)  https://www.japanslht.or.jp/what/ 参考
※14 山内弘継・橋本宰(監),岡市廣成・鈴木直人(編):心理学概論.株式会社ナカニシヤ出版, p139-146.2006 参考
※15 ・理学療法士及び作業療法士法(◆昭和40年06月29日法律第137号) (mhlw.go.jp)  https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=80038000&dataType=0&pageNo=1
※16 日本作業療法士協会 作業療法の定義|日本作業療法士協会 (jaot.or.jp) https://www.jaot.or.jp/about/definition/
※17 ・言語聴覚士法(◆平成09年12月19日法律第132号) (mhlw.go.jp) https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=80998053&dataType=0&pageNo=1

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