リハビリつれづれ 1

リハビリつれづれ
                    康永 健



※この作品はフィクションであり、登場する人物・団体・事件等は、すべて架空のものです。


 プロローグ
 "つれづれなるままに、日ぐらし、硯(すずり)にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。"
 日本三大随筆の一つ、兼好法師の「徒然草」である。たしか、中学校の国語で学んだはずであるが内容は思い出せない。現代語訳は以下である。
 "為すこともなく退屈なまま、日がな一日硯に向かって、心に映っては消え、消えては映る埒もないことどもを、浮かぶまま、順序もまとまりもなく書きつけていると、自分が正気かどうかさえ疑われるような、狂おしい気持ちになってくる※1。"
 「退屈だったら昼寝でもすればいいのに。」
 と、現代のストレス社会に生きる私の一個人の意見をぶつけたところで、別に何百年と受け継がれるこの名作はびくともしないだろう。私がこの徒然草に目を留めたのは別に兼好法師が好きで目に留めたわけではない。行きつけの図書館の掲示板に、”名作を読み解くシリーズ第三弾、~徒然草~、兼好法師作”と大きなポスターが貼ってあっただけにすぎない。
 私の名は中原正人という。病院で理学療法士、いわゆるリハビリの先生として働く一介の青年である。ここで先生という言葉を使ったが、これはあくまで患者さんから呼んでいただく愛称であるだけで、実際のところは医者のように6年も学校に通い勉学に励んだわけではない。ただ専門学校を卒業した少し運動に詳しいだけの人間である。このことを知らない患者さんはよく私たちのことを「先生」と呼ぶが、それは甚だ間違いである。だが、リハビリテーションという仕事が日本の世の中に浸透していないためここではリハビリの先生という言葉を使わせていただく。
 このリハビリテーションという専門職は奥が深い。ひとえにリハビリといっても、階段から転んで骨が折れてしまったおばあちゃんから、脳卒中(脳出血や脳梗塞のこと)のおじいちゃん、膝の靭帯を損傷したスポーツ選手、さらには生まれたばかりの赤ん坊などなど、その対象とする患者さんは多岐にわたる。これだけの分野がある中で、さらに医療というものは日々進歩を遂げるものであるから、おそらく私が一生涯勉強したところでこの本質に辿り着くことはないのだろう。ただ、
 「そこで諦めたら試合終了だよ。」
 と、とあるバスケ漫画の監督が私の良心に囁きかけたため、兼好法師のようにつれづれなるままに過ごそうと思っていた休日を捨てて、まだまだ理学療法士としては新人という立ち位置の私は仕方なく図書館にきた次第である。
 医療用語というものは難しい。先人達が偉大な発見をしてくれたおかげで難しい言葉に満ち溢れている。カルテに書いてある言葉なんて、世界中で人気となったモンスターゲームの比にならないほどカタカナが出てくる。それぞれのカタカナにキャラクターのような特徴があればまだ覚える気になるだろうが、いまここに出現してきた「プロスタグランジン」をどう眺めてもキャラクターらしさはみられない。そんなことを思いながら参考書のページをめくっていると、血圧を下げる薬のページに辿り着いた。そこに書かれていた薬の商品名は、「ノルバスク」。この「ノルバスク」を無理矢理キャラクターにするならば、炎系の強そうなモンスターだなと余計なことを考えていると、医療単語から時の魔法をかけられ簡単に私の時間は奪われていく。
 カタカナでさえ覚えられないのに医療の世界の先生方はせっかちで、なんでも省略したがるため略語も覚えなければならない。例えば、「ヘモグロビン」という赤血球の中に含まれているタンパク質がある。これは貧血の指標となるのだが、カルテに記載されると「Hb」、これは「ハーベー」と呼ぶことになる。名称だけでも「ヘモグロビン」、「Hb」、「ハーベー」と3種類もあるのにそこに「HbA1c」という兄弟が現れるとこれは糖尿病の血糖値の指標となるため本当にややこしい。ただ、ここで例に挙げた情報であれば脳みそが1キロとちょっとある医療関係者にとっては記憶できる量である。
 いま私が対峙しているのは厚さ4.0cm、ページ数833ページの良書である。この本は背表紙に「身体運動学のエキスパートになる!」と堂々と自己アピールしているがまさにその通りである。解剖学、運動学、生体力学を関節ごとにまとめられており、理学療法士であれば一度は手に取ったことがある本である。この良書の特徴は二段階で魔法をかけてくるところである。第一に、混乱の魔法をかけ読者のレベルを図ってくる。偉大なる理学療法士の先輩方にはこんな魔法はかからないのだろうが私はまだまだ新人の理学療法士である。難しく表現し、新しく私に疑問を生ませるこの魔法は実に効果抜群である。この混乱の魔法を受けてしまうとこの良書からは逃れられない。第二の魔法である睡眠の魔法「マイスリー」をかけられ眠りに落ちるだけである。
 こうして平日の睡眠不足を解消した私は重い良書を担いで帰路につくのである。


 四月一日(月)
 時期は四月である。熊が冬眠から目覚める時期だけでなく、人間もようやく朝の寒さから解放され目覚めがよくなってくる時期である。私は寝起きが悪いことから寒い時期は苦手なため、この時期がくるのが待ち遠しい人間である。また、多くの人の目と鼻に洪水をおこさせる花粉症も幸い発症していない(もしくはしていないことにしている)ため、この季節は過ごしやすい季節である。世の中では桜の満開予想が連日のようにニュースとなっているため、これは患者さんのコミュニケーションに使えそうだと考えながら急いで朝食を食べ、病院へと向かった。

 ここは神奈川県横浜市にある横浜市立緑野総合病院のリハビリテーション室である。ここでは毎朝何人もの人が一塊に集まって眠い目をこすりながらパソコンとにらめっこをしている。この決着のつかないにらめっこは、実際に患者さんを担当する臨床開始の前に、今日担当する患者さんの情報を取るために必要な作業である。ちなみに、新年度が始まったからといって新しく人が増えるわけでもなく、普段と変わらない空気がリハビリ室に流れている。
 私の隣でより一層怖い顔でにらんでいるのは武井豪先輩である。趣味は筋力トレーニング。宝物は全身の鍛え上げられた美しき筋肉とのことであり、黒光りしている宝物を毎日丹念に磨いている。この豪先輩とは、私が入職したての頃に忘れられない名前のごとく豪快であるエピソードがある。入職したての頃、臆病な私は強面の豪先輩に話かけることは出来ないでいた。そんな私を気にかけてくれた先輩理学療法士であり、二児の母でもある千葉さんから、
 「武井君は、顔は怖いけど後輩にはとてもやさしいのよ。ちなみに彼、学生時代は柔道をしていて、県大会で優勝するほどの実力者だったみたいよ。」
 と教えていただいた。それを聞いた私は勇気を出して武井さんに声をかけた。
 「武井さんは柔道をしていたんですよね?柔道だったらどうして柔道整復師ではなくて理学療法士という資格を選んだんですか?」
 その答えは、
 「理学療法士には開業権はないけど、柔道整復師には開業権があるだろ?もし俺が開業して接骨院なんか開いたら人気が出すぎて俺が過労死してしまうだろ。」
 というものであった。体格だけでなく声量の大きい武井先輩に私は圧倒され、その時は、
 「そうなんですね。」
 としか返すことができなかった。ただ、このとき武井先輩は笑うとリスみたいなかわいい笑顔をしていることに気付き、そこから苦手意識はなくなり、今では何かと臨床で分からないことがあれば、“豪先輩!”と何でも相談できる頼もしい先輩となっている。ちなみにこの強面な顔とリスの笑顔は私だけが感じていることではない。豪先輩はよく担当患者さんから、
 「第一印象は怖かったけど話してみたら笑顔が素敵でとてもいい人だったわ。」
 と言われている。もちろん豪先輩の分かりやすい説明や患者さんに親身になる人柄が患者さんからこの言葉を言われることは言うまでもない。ただ、強面のところに可愛い笑顔というギャップ効果が存在しているのも事実だろう。
 この豪先輩の強面の顔を作り出しているのは顔の全体的なバランスだけではなく、吊り上った眉毛と、もはや鋭利物といってもいいようなほどワックスで丁寧に整えられたソフトモヒカンの影響も大きい。ただこれにも豪先輩なりのポリシーがあって、
 「患者さんに運動させるためには落ち込んでいる患者さんのメンタルを上げるのも俺らの仕事だろ?そしたらその仕事をする俺らは自分で整えて上げられるところくらいは上げておくべきだろ?」
 とのことだそうだ。眉毛と髪型を上に持ち上げたところで患者さんにとっては逆効果な気がするが、こうも自身満々に言われると、
 「なるほど。」
 としか返答できない。ただここで思ったのは、豪先輩のりすのような笑顔も自分で整えて口角を上げているのであればそれは本当に理学療法士として尊敬できる部分である。ただ、これを豪先輩本人に確認しようにも、
 「先輩の笑顔はリスみたいですね。これは意識してやってらっしゃるのですか?」
 というのは失礼だし、もしこれが偶然の産物でも、
 「そんなの計算してやってるに決まってるだろ。」
 といわれるのがオチであるから、実際のところは確認できていない。
 この豪先輩から余計なお節介が飛んでくる。
 「正人の今の髪型変な髪型だよなー。“私はまじめですー”って髪型してるよ。だからモテないんだよ。俺みたいにソフモヒにすれば?」
 まず、モテる髪型がソフトモヒカンという概念がおかしい。もしモテる髪型がソフトモヒカンであれば、今世間を騒がしている男性アイドルはみんなソフトモヒカンをしているはずである。さらに言えば、「モテる」の要素は外見と内面に分けられるし、外見の髪型という狭いジャンルの中でも、女性それぞれの好みがあるのだから、この髪型はモテるという単一の適正解は存在しないはずである。そして、髪型で真面目と判断していることもおかしな話である。真面目というのは、学生であれば一生懸命勉学に励んでいる姿が真面目なのであり、私たちのようなリハビリ職であるセラピストであれば、患者さんのために一生懸命に働くことを真面目というのである(理学療法士は英語でPhysical Therapist(PT)といい、自分たちのことをセラピストと呼んだりする。ただ、セラピストというのはセラピー(療法)を提供する人はみなセラピストであるため、それこそ柔道整復師、アロマセラピスト、臨床心理士などさまざまな職種がある。)。真面目であればスーパー真面目マンとなって髪の毛の色や長さが変わるわけではないのだから、髪の毛で真面目かどうかを判断するのは筋違いである。ただ、私の髪型がおかしいことは否定できない。確かにここ最近は忙しくて髪の毛を切りにいっていなかったため、前髪は目にかかりそうなほど長くなっていた。
 「なんなら俺がいつも言っている美容院紹介してあげようか?」
 強引に自分と同じ髪型にしようとする、いわゆるゴリ押しならぬゴリラ押しを受けたところで、美容院で作られたきれいなソフモヒの先輩にどのように返答しようか悩んでいたところ、
 「今の時代ツーブロックのほうがもてますよ?」
 と横から口を出したのは私の同期入職の篠原詩織である。詩織はいわゆるスポーツ女子でさばさばした性格、豪先輩に限らずどんな先輩に対しても間違ったことは違うと言える人である。
 「えー、そうか?時代はソフトモヒカンだと思うけどなー。」
 と自分の考えを否定できない豪先輩に、
 「そしたら今はやりのソフトモヒカンの有名人教えてください。」
 と詩織が追い打ちをかける。すると、
 「んー、ベッカムだな!」
と豪先輩が豪快にオウンゴールを決めたところで一同が熱心にパソコンをいじるクリック音やタイピング音が詩織の勝利を祝福する。このようにして朝のうちに患者さんのバイタルサインや昨日の患者さんの動向、今後の動向などを確認するのが毎朝の日課である。

※1 中野幸次:すらすら読める徒然草. P.13,講談社文庫,2013 

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