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12回目の3月11日の話

あれから12回目の3月11日がやってきました。
地震が起きた時、私は仕事中で、娘は幼稚園へ
夫は日帰り出張で福島県の双葉町(原発から4.5km)にいました。

長い揺れがやっとおさまった頃に、
それまで晴れていた空がみるみると曇って
季節外れの雪まで降りはじめ、
職場をやっと閉めて、幼稚園の迎えに向かった時には
すっかり日が落ちて暗くなっていました。

夫とも、両方の実家
(宮城県沿岸部と、これまた福島県沿岸部)とも連絡がつかず、
娘と二人、不安なまま過ごしたあの夜。

停電で暗闇に包まれた仙台の街には、
驚くほどの、満点の星空が広がっていたのを覚えています。
(実家とは3日後、夫は2日後に連絡がつき5日後に無事帰宅しました)

震災を機にその後、ドイツ(これについてはまた今度書きますね)、
そして東京と移り住み、現在はまた仙台で暮らしておりますが、

これはやはり、私の人生にとっても大きな分岐点となりました。

当然、来るはずと疑うこともなかった
「なんでもない、普通の3月12日」は
あの年、そこにいた人々には、やって来ませんでした。

その日を境に、家や、学校や仕事を失い、
その尊い命までも・・・。
また、大切な家族や友人を失った方々・・・。

あたりまえと思った、
今日と地続きの「明日」が突然断ち切られて、
私自身も大きな喪失感に囚われました。

しかしまた、それと同時に、
「何気ない1日の大切さ」に気づくこともできました。

日々の生活の中で、それは少しづつ薄れてしまいがちですが、
毎年この日、もう一度心に刻み直します。

「何気ない1日が、とても尊い、かけがえのないもの」

最後になりますが、震災の犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。


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