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頭の中身がまとまらないの歌(1番)

 先に断る。読みにくいのはまとまってない所為だ。文字の羅列はそのまま思ったことを吐き出しているに過ぎず、生活の記録でもなければ伝えたい話でもない。今生まれたもののアウトプット。これを残しておくと、後で「何考えてんだあの時の俺」なんて具合に見返して笑えるからおすすめだ。極々稀に核心を突いた事とか書くこともあるし、自分を見つめ直す良いきっかけになったりする。かもしれない。可能性はある。信じよう。無鉄砲な文章を生むことに恥ずかしさを持ち合わせるタイプならこういうのを書くのはやめておけ、見返したときになんか変な汗かくと思うから。首と額と背中湿るくらいのやつ。こういうのはいつでも、どうでもいいやの精神に限る。向こう見ずどころか全方位ノールック。しょーもな。そんなことより部屋でずっと流れている推しメンの歌よ。本当に好き。LIKEよりLOVE寄り。推しのお陰で今日も生きてます、ありがとうこざいます。私の推しは……おっと、今説明はやめとこう、今日中に書ききれない。あ、今日のお酒が美味しい。こりゃ禁酒の期間が効いたね、40時間くらいだけど。美味しいお酒は心を豊かにします。これもLIKEよりLOVE寄り。嗚呼、ずっと流れる歌が沁みて仕方がない。剥き出しの純粋無垢な好きが部屋に散乱している快適さたるや。そういえば「好き」の反対は「無関心」とよく言うが、それでもやっぱりシンプルに「嫌い」が対義語なのではないか。無関心の立ち位置は偏差値でいえばぴったり50のみで、その存在を何も好意的に捉えらさせず、何も否定的に捉えさせることもない、そんな見方をする・させてくれるモノを指すのだと思う。だとすると「世の中に溢れる全ての中で私が認識しているもの」の中から、偏差値50を探すことは案外と難しいのではないだろうか。目の前にあるパソコン。今こうして思ったことを書き散らして誰かに伝える準備をしてくれることは好ましい。少し窓を開けたら湿度。じっとりと汗に変わるような暑さがとても不快で好ましくない。文字を打ち込む間に飲む水。冷たいとより好ましい。テレビに出ているYouTuber。そこにいたらただのタレントだ、ネットの海へお帰り、戦う場所が違う分には好ましくない。私じゃない誰かに求められて観られるまで動画作って待っててくれ、チャンネル変えたくなってしまう。いや変えたけど。おっと話がそれた。いやそれてないのか。ゴールはない。それこそが頭の中身がまとまらないの歌。話を戻すけど偏差値50は探すに難しい。「知らない何か」は等しく50。だって知らないもの。好き嫌いの判断材料がないもの。でも、知らないままでいいや、って気持ちになったらそれは「無関心」より「嫌い」寄りなのではないかと思ったりする今日この頃。好きだったはずのものへの愛情が薄れたりしていく様も覚えがあるな。決して「嫌い」にはならないけど「好き」とは言い難い、なんてのは偏差値50に入るのだろうか。あれ、なんか心当たりがあるな。思い出したくないこと思い出した。お酒を飲もう。あの人のこともその人のことも昔のことも今日のことも全部お酒で忘れたらどんなに楽なのだろうか。実際のところ少々飲むくらいでは冴える一方で困っている。楽しくなってくるんだなこれが。愚痴みたいに書いてみたけど思ったより忘れたいこともないみたい。あれもしかしてこれが「無関心」??堂々巡りインファイト開幕宣言。緊急事態宣言を乗り越えて、自粛を乗り越えて、コロナを乗り越えて、そうしたらまた日本酒をたらふく飲みに行こう。

 一升を超えたら気持ちよく忘れてやるんだ。あれもこれもぜーんぶ。

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