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スープを振る舞う夜。

 「一人じゃ気づけなかったこと」ってのは、家族だったり友人だったり、恋人だったり他人だったり、誰かとの関りで生まれるもの。言ってしまうと「一人で気づけること」以外の全てだと思う。今日この時も生まれているし、もしかしたらこの文章も誰かの気づきの助けになるかもしれない。……ならないかもしれないけれど。
 それさえ一人じゃ気づけないから、目に留まったものや心に留まったものを言葉にして遊んでいる。そんな感じ。


 7歳年下の妹がいる。産まれてからずっと可愛がっていたつもりなのだけれど、妹本人はあんまり記憶にない感じを出してくるので客観的に見たらたぶん大した可愛がりではなかったのだろう。笑っちゃうね。

 彼女が小学校を卒業するより前に大学進学で県外に出てから15年。一緒に住んで育った時間より別に暮らしている時間の方が長いのだからそりゃ微妙な距離感もできる。7歳も離れているとそもそも話は合わないし、ぶっちゃけるとお互いのことはよく知らない。
 2歳年下と4歳年下の弟もいるが、今回の話には関係ないのでこいつらは一旦忘れる。そっけなく見えるかもしれないが案外ときょうだい仲は良い。そんなことより今しがた書いた15年が地味に重くてびっくりしている。高校を卒業してもうそんなに経っているとは。そりゃ妹も26歳になるわけだわ。


 さて、先日はそんな妹が訪ねてくる時間のことなどすっかり忘れ、私は無心でキャベツを煮込んでいた。冷蔵庫の中で死にかけていたキャベツ。どうにか活用したいと考え、思い付いたのがポトフ的なものだった。
 煮込み始めてすぐコンソメのストックが無いことが判明したがまぁなんとかなるだろう。コンソメの有無は一人で気づけるし、ゴールの見えないキャベツの行く末くらいは考えられるのだ。大人だからな。

 余っていたウインナーを一緒に煮込み、創味シャンタンと牡蛎塩を絶妙なバランスで足していく。分量?美味いと思ったところで止めるだけさ。料理くらいは男らしくいこう。
 すするだけで溶けるほどにキャベツの芯を柔らかく仕上げたい。そんな気持ちで鍋を見つめる。鍋の底から生まれた水蒸気に乗って、ひたすらキャベツと踊るウインナー。製造工程の狂気と相反するキュートさとでも言うべきか、肉を潰して内蔵に詰め込んだ代物とは思えないテンションで鍋を賑やかにしている。なんとも愛らしいではないか。

 そんなくだらないことを考えているうちに仕事帰りの妹が来た。しまった、鍋に夢中になりすぎた。


 頼まれたものを代わりに買っておいただけ。それを取りに来るだけ。事務的なやり取りの為に来た妹に対し、つい出てしまう兄貴面。

 「腹減っとらんか?作ったばっかりのスープがあるで」

 食べる食べると部屋に上がり机の前に座る妹。まだ熱いスープを用意するとポツリと呟いた。

 「自炊、するんじゃね」

 あぁ、そんなことも知らなかったのか。
 と思うと同時に、自分はこれまで妹にそういう姿を見せてない兄貴なんだな、と考えてしまった。不意に距離感を認識してしまう。
 いやまぁ、動くウインナーを嬉々として眺める姿は見せたくないので、ある意味適切な距離感かもしれないが。

 「どうじゃ?今日のはなかなか美味くできたんじゃが」

 「うん、美味しい」

 その顔を見て、何というか、まぁこんな感じでいいか。って腑に落ちる。
 今更きょうだいの在り方を考えることなどできないし、付かず離れず。みたいな。
 7歳のときに世に出てきた妹と、世に出てきたときに7歳だった兄がいるだけ。
 ただそれだけの空間が心地良いのは、一人じゃ気づけなかったこと。
 きっとお互いにしかわからないのだ。

#一人じゃ気づけなかったこと

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