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幸せでいてほしいんだ。

 「男女の友情って成立すると思う?」
 なんて、あまりにも使い古された言葉、令和の世じゃ愚問だろう。友情が成立する人と、そうじゃない人と。同性と、異性と、どちらでもない人と、誰とでも、どんな形でも。友情には種類があるけど、細分化された先に決まった呼び方がない。だから、なのかは知らないけれど、”友達”の一言は便利なのにやたらと取り扱いが難しい。
 愛の在り方も人の数だけあって、さらに言えば他人の愛が容易に可視化できる世の中で、気付いたら自分の愛情が一番見えてないように感じる。どこかに置いてきたかもしれないし、今頃部屋の隅で埃をかぶっているかもしれない。
 諸外国じゃ性別欄はMでもFでもない「X」が生まれたってさ。Xは細かく分けると4種類に分かれるとかなんとか。じゃあ6種類じゃねぇか。
 タイなんて性別が18種類あるらしい。覚えきれねぇよ。多様性って難しいんだな。

 立ち返って男女の友情。そう、存在するに決まってる。信じるに値する理由がある。だから、今日は普段よりも多分におかしなテンションで、それでいて私にとって意味のある話を残しておく。伝わるかもしれないし、伝わらないかもしれない。大きな大きな幸せの中に、一抹の寂しさを添えて。


 さて、彼女の話をしようか。覚えてないくらい昔から、いつから仲良くしているかもすっかり忘れるくらいの昔から。沢山の友人が知人や他人に置き換わったりしていく中で、こんなに適当で偏屈な私に付き合ってくれる優しい人だ。少々抜けていることもあるが努力家で真面目、思いやりもある。私と真逆、今でも非常に尊敬している。

 小学校中学校と一緒だった彼女は、私より偏差値の高い高校へ進学した。正しい努力に対して正しい結果。しかし彼女は家庭の事情もあってか大学へ進学しなかった。社会人のスタートだ。
 対して私はやりたいこともなく、目先の楽しさに飛び付いて地元を飛び出した大学時代。本来なら彼女のような人が勉学に励み、社会の中でもより良き方へ昇るべきなのでは?と、罷り通る漠然とした不条理を思った。そんな覚えがある。
 彼女の父が亡くなったのはそんな時分だった。物静かで穏やかな人だった。年月を重ねて彼女には友人よりも家族に近い感情を抱くようになっていた私は、帰ることができない身を少し悔いた。苦しい時に、悲しい時に、何も出来ないのはやはり辛かった。

 数年が経って、彼女に大切な人が出来た。夫となった人だ。整然としていて面倒見が良く、気の良い優しい男だ。お互いに見る目があるじゃあないか。こちとら口を挟む隙もない。そんな気持ちになることが何となく嬉しかった。
 また少し経った頃、彼女の母も亡くなった。賑やかで愛情深い人だった。友人と共に御通夜に顔を出し、思い出話をした。彼女の隣に寄り添う彼を見て、彼女が一人じゃないという事実に安心した。とても。


 書ききれない話がたくさんある。友人としての時間は続く。きっとこれからも。ずっと。それでも、変わるものもある。あった。変わったんだ。


 そんな彼女と彼に今日、子供が産まれたんだ。変化さ。なぁ、こんなに嬉しいことがあるかい。親になったんだ、こんなに素敵なことがあるかい。なぁ。友人が、家族が、触れられる命が増えた。これを喜ばずにいられるか。
 思うことがたくさんある、言いたいこともたくさんある。だが何より、何より。おめでとうを君達に。

 父になった、母になった、今までとはきっと何かが違う、何かが変わった。きっと私はそれが少し寂しくて、その寂しさの何十倍も何百倍も素敵な気分なんだ。


 誠に勝手ながら今日のお酒は格別に美味しく頂いている。

 この世に生を亨けた彼に「誕生日、おめでとう」と健やかな人生の願いを。

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