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本に愛される人になりたい(53) ステファン・エセル/エドガール・モラン共著「若者よ怒れ!これがきみたちの希望の道だ」

 おそらくというか、確実に、この両著者は、日本ではほとんど知られていないと残念ながら思います。二人とも対ナチス・レジスタンスの闘志で、戦後は、エセルさんは外交官として、そしてモランさんは哲学者として活躍されてきました。
 私は、モランさんの著書、「人間と死」、「時代精神」や「失われた範列」などから多くを学び、現在もそれらの本を時々手に取っては、私の考え方を確認しています。
 本書は2011年に発行されました。原題の直訳は「希望の道」です。そして、日本語版は2012年に発行されました。この日本語版への序文では2011年の東日本大震災を経験した日本人へのメッセージが記されています。「…日本国民の過酷な状況における勇敢な行動と、甚大な被害を乗り越えようとする勇気に対し、われわれは心から敬意を表したい。われわれは、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマのことを決して忘れない」と。
 2023年の現在、両者とも100歳を超えていますが、元レジスタンスの闘志としてのアジテーションの筆鋒は激しく鋭く、「若者よ!怒れ!」と問うています。
 気づけば「怒ること」はいけないことだと教えられ、その代わりに映画やテレビドラマやアニメなどの世界で主人公たちが代わりに怒ってくれる時代になりました。どうやら、私たちは大切な感情のひとつを摩耗させたようです。
 2022年から続くウクライナでの戦闘の情報が日々流れてきても、怒り方を忘れてしまった情報の受け手である私たちは、どうすれば良いのか戸惑いつつ、ウクライナの人々へのシンパシーを胸に抱えながら日常生活を営んでいるようです。一方で「あなたは優しくて繊細なのだ」を売り物にし満足させる映画やアニメや小説などで金儲けに勤しむ大人たちが跋扈し、「怒り」は益々消費して終わりという感情になってきたようです。(いつの日か「怒りの消失」という哲学書を書きたいと考えています)
 そうした日々、本書を開けると、真っ正直な彼らの言葉が飛び出してきます。彼らの主張が現実的か否かなどの議論を超え、真っ正直な視線を持つことを、彼らは若者たちに問うているようです。その主張をラディカルと捉えるか否かは、読者それぞれなのでしょうが、私は民主主義が良いと思っているので、それらは常識的だと捉えています。
 どのような形でも良いから、おかしいものはおかしいと考えられる若い人たちが、一人、また一人と増えていけばと私も願っています。有名店でスマホ片手に行列を作るのも、私は繊細で優しいんだと自己陶酔するのも、そして大人が悪いと拗ねているだけなのも良いでしょうが、未来を作るのは若い人たちであり、未来を生きる「老人」もまた、現在の若い人たちなのだよと、ちょっと不可思議なエールを送りたくなります。中嶋雷太

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