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プレ・プロダクション・ノオト(3)

さて時は十年ほど前に遡る。それまでにアムステルダムを訪ねたことは何度かあり、その柔らかな光に包まれた街に魅力され続けていたが、ゴッホ美術館を初めて訪ねることができた。上階から階下へと設けられた鑑賞ルートに沿って、一点一点、ゴッホの有名無名な絵を鑑賞し最後は回廊式の廊下を降りて行った。何十点も彼の絵を一度に鑑賞するとボディーブローを何度も打ちつけられたようになり、精神という名の肉体が揺らいだ。血を吐くほどの魂が込められた絵画に囲まれ、私の精神がいかに柔であるかを思い知らされた気分になっていた。途中の階段で「フゥ」と息をつき、気分を変え回廊式の廊下を降り始めると、壁沿いに「ひまわり」が飾られていた。実はそれまで「ひまわり」に強く惹かれたことはなかった。ふらふら揺らぐ精神の疲れもあり、早く階下に降り、ショップをふらふら眺めてから美術館を後にしたいと考えていたが……その「ひまわり」のクローム・イエローに心が惹かれ立ち止まる私がいた。どれだけ立ち止まっていただろう。ゴッホが希望を託したクローム・イエローに、過去の様々な記憶が蘇っていた。まだ、汗臭い街並みが残る昭和の風景が、堰を切ったように、好きだけれど嫌いだとそっぽを向いていたあの風景が、あれこれと蘇っていた。「あれは、雑草のように揺らいでいた菜の花だ」と気づいたのは、帰国後しばらくしてからだった。子供のころ、線路脇や空き地に咲き誇っていた菜の花は春の訪れの印だったが、どこかしら不安な明日を慰めてくれてもいた。子供から少年へと成長する不安定な私の心象風景に、菜の花が咲いていた。小編映画『Kay』の原作となった拙書「春は菜の花」の基本イメージができたのはそれから何年も経った大学生のころだった。中嶋雷太

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