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音楽があれば(4)(改・歌があれば幸せ)ジョン・ウィリアムズの映画音楽

 ここ数カ月、ドライブで流す音楽はCDの音源になりました。スマホを接続してiMusic等をこれまで流してきましたが、なんだか音楽を聴き流しスナック菓子のように軽く消費して終わりみたいな感じが嫌になったのがあります。
 1980年代、1990年代には、ドライブに出かける前日からCD棚に納めた何百枚ものCDから、ドライブでかけるCDを選ぶのが楽しかったその感じをふと思い出しました。
 昨日は、ハワイアンやロックなどのCDを選びつつ、ジョン・ウィリアムズの映画音楽集も手に取りました。
 話は大きく変わりますが、私の大学生時代(1980年代前半)、「私は映画に詳しい」という知り合いと映画の話をしているなかで、私が「ハリウッド映画も好きだ」と言うと「お馬鹿な奴」というレッテルを貼られるような風潮がありました。映画は楽しむものだ派の私と、映画はかくあるべき派との溝は深かったように思います。映画は楽しむべき派の私は、たとえある物事を深く捉え、観客にある指針を描こうと頑張った映画でも、観客が面白かったなぁと思わねば、作り手の自己満足でしかないと思っています。あるテーマを描くにも、コメディでも恋愛でも良いはずです。観客が面白かったなぁと満足する感情の深底に、そのテーマがしっかり根づくのが大切ではないでしょうか。
 もちろん、ハリウッド映画だけでなく、古今東西の「良い映画」を楽しんでいたので、ハリウッド映画だけが「良い映画」だとは思ってはいなかったのですが、その溝は今でもあると感じています。
 2000年頃、ロサンゼルス事務所の所長として駐在し、数年間、ウェスト・ハリウッドという街に住んでいました。この街には若い映画関係者が数多く住んでおり、近くのカフェに行くと、監督や脚本家などを目指す人たちが、あれこれ楽しげに話をしている姿がありました。彼らとも知り合いになり会話を楽しむなかで、彼らはもちろん有名になりお金を稼ぎたいというのが第一義にあり、それをはっきり言葉にする彼らに好感を持ちました。ただ、単に有名になりお金を稼ぎたいだけではなく、観客に楽しんでもらいたいという観客目線がしっかりあったのも事実です。
 日常生活を営んでいると、大きな喜怒哀楽などはあまりなく、生活に追われた日々が淡々と続きます。その観客の皆さんがお財布を開け、つかの間の喜怒哀楽を楽しみ、映画館から出てからも「面白かったよね」などと語らい合い、一年ほどたって有料放送で放送されると、またまた同じ映画を楽しむというのが、映画を作ろうとする人たちの、とてもシンプルだけれど、とても大切な観客論だったのではと思います。
 いつまでも観客の皆さんに愛され楽しまれる映画を目指すというのは、実は映画製作者たちが本来持つべき大望で、100年近くの著作権期間を生き続ける映画(エバー・グリーン・タイトルと言います)であれば、一人でも数多くの観客を楽しませることができますし、国内だけでなく世界でも楽しませるクオリティがあるはずです。そして、わずかながらも、権利料の一部が分配され、収入が入ってきて生活の安定にも繋がります。
 ここで、ようやく、ジョン・ウィリアムズの映画音楽です。
 「ジョーズ」、「スター・ウォーズ」、「未知との遭遇」、「インディ・ジョーンズ」や「ジュラシック・パーク」などでスティーヴン・スピルバーグの御用達的な映画音楽家のような印象がありますが、ひも解けば、1960年代のTV番組「宇宙家族ロビンソン一家」や「タイムトンネル」の主題歌を手がけられ、その後も「おしゃれ泥棒」、「チップス先生さようなら」、「屋根の上のバイオリン弾き」や「ポセイドン・アドベンチャー」などで活躍されています。
 何十年も時が経ぎても、未だに心を打つ映画音楽を作られ続けているジョン・ウィリアムズの映画音楽集のCDを車の中でかけていると、一作一作の映画が思い出され、さらにその映画から学んだことなども記憶の底から現れてきます。
 彼の作品の多くが交響楽的なものなのですが、それだからこそ記憶に残るわけではありません。
 ギター一本でも心に残る映画音楽が数多くあります。「第三の男」のオーストリアの民族楽器「ツィター」という弦楽器だけの音色もまた、その素晴らしい映画音楽の一つです。
 ハリウッド映画好きな私にとり、主題歌や挿入歌、そして背景の音(楽)などもまた、映画の重要な一部なので、それらをも楽しめる映画に出会えればと願うばかりです。中嶋雷太

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