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本に愛される人になりたい(58) アーネスト・ヘミングウェイ著「ザ・ニック・アダムス・ストーリーズ」

 1972年に発行された「The Nick Adams Stories」は、アーネスト・ヘミングウェイが、1920年代から30年代に書いた、ニック・アダムスという架空の主人公についての短編小説をまとめたものです。
 この原書を手にしたのは1970年代後半で、高校生になったころからヘミングウェイの英語の原書を少しずつ読み楽しんでいて、確か丸善京都店で注文しました。雑誌か図書系の新聞でその存在を知り、丸善京都店に足を運んだと記憶しています。
 それまで、ヘミングウェイの有名な小説は翻訳でほぼ読み終わっていましたが、心の隅で、もっと読みたいものだと思っていた私にとり、ニック・アダムスという主人公の物語は、心惹かれるものでした。「河を渡って木立の中へ」や「海流のなかの島々」などの小説から漂う香りが、そこにあるに違いないと思ったのもあります。
 この「ザ・ニック・アダムス・ストーリーズ」では、ニック・アダムスの幼少期(The Northern Woods)、20歳までの少年期(On His Own)、第一次大戦の兵士となり負傷する青年期(War)、PTSDを抱えた復員兵(A Soldier Home)そしてその後(Company of Two)と、二十数作の短編が集められています。
 削ぎ落とされた、とてもシンプルで乾いたヘミングウェイの文体を好む私にとり、ニック・アダムスという一つの人生は、とてもリアルに迫ってきました。
 さて、そのリアルですが…。
 昨今、精緻な心理描写が良いとされているようですが、私はかなり神経質な、ある種の言語優越主義というような危うさを感じています。現実の人間はそんなに生真面目に事細かく物事を考えてはいないし論理的でもない。どちらかと言うと、とても断片的で、時には考えを飛ばしたりする、とてもシンプルで文節的な思考をしているのではないかと感じています。そして、そうした書き手の自己満足とも受け取れる文体に出会うと、イライラとしてしまう私です。「私は物事をとても細かく考えているのだ。どうだ?私は美文家なのだ!」という臭いがするのです。楽譜の表面だけをなぞりピアノを精緻に美しく弾くピアニストなのかもしれませんが、楽譜の奥底にあるものにはまったく興味のないピアニストな感じです。スティーヴン・キングだったか、読者の想像に任せることを、私は読者として好んでいますし、書き手としてもそうありたいと願っています。
 さて、ヘミングウェイの文体に魅了されるのは、そうした神経質な自己満足文体とは真逆にあるからだと思います。さらに、ニック・アダムスという一人の主人公の一つの人生を描く語り口は、私をぐっと惹きつけます。30年ほど昔、映画『リバー・ランズ・スルー・イット』(監督:ロバート・レッドフォード)を観たとき、この映画の背景に流れている香りが、「ザ・ニック・アダムス・ストーリーズ」で嗅ぎ取った香りと近似しており、初めて出会った(原書を読んだ)あの感激を思い出させてくれ、ニヤリとした覚えがあります。この映画はモンタナ州の大自然のなかで、鱒釣りが好きな兄弟の成長を追った作品で、弟役は若かりしブラッド・ピッドでした。
 豊かな自然のなかに生まれ育ち、そして過酷ともいえる人生を生きていくニック・アダムスの成長を辿り、忘れていた何かを見つけるのが、今でも楽しみな私です。中嶋雷太

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