Raita Nakashima/中嶋雷太

京都生まれ。同志社大学大学院修了後、出版社、外国政府機関を経て、1990年番組Pとして…

Raita Nakashima/中嶋雷太

京都生まれ。同志社大学大学院修了後、出版社、外国政府機関を経て、1990年番組PとしてWOWOW立ち上げ参加。国内外の映画、演劇、テレビ番組等に携わりシニア・エグゼクティブP等の任につく。2019年WOWOW退社し映画等のプロデューサー・物語作家となる。国際エミー賞審査員。

マガジン

  • 他山の岩 Rocks on another hills

    庶民視点でのジャーナリズム・マガジンです。21世紀になりSNS等インターネットが普及し誰もが発言の機会を得ました。これまでは、ジャーナリズムはマスメディア(新聞、雑誌やテレビ)だけのものと考えられてきましたが、私たち庶民目線のものがあっても良いはずです。時間の制約等もあり取材活動に専念はできませんが、日常生活を営むなかでふと疑問に思い、静かにゆっくりと考えることは私たちでも可能です。同じような庶民的ジャーナリズムを戦前に展開された人物、桐生悠々氏がいます。明治から昭和初期にかけ信濃毎日新聞の主筆等を務めた気骨あるジャーナリストで、1941年に亡くなるまでの8年間、彼は「他山の石」という個人雑誌を発行し続け、戦雲に筆一本で立ち向かったジャーナリストです。ここでは「石」を「岩」に変えています。目の前に立ちはだかる岩々から反面教師として何を学べるか。問い続けられればと願っています。

  • 「悲しきガストロノームの夢想」マガジン

    食べることは人生だ。日常生活を営むなかで出会う「食」は私たちを幸福にする。このマガジン「悲しきガストロノームの夢想」では、なんでもない食生活の一瞬を切り取り、そこに覗く幸せを描く物語形式になっています。ぜひ、お楽しみください。

最近の記事

夢備忘録(0)

 数分前、目を覚ましてしまいました。  今朝から正午ごろまでサーフィンをし、クタクタになっていたせいか、いつもよりかなり早い午後11時にベッドに潜りこみ、直ぐに眠りにおちました。目を閉じて数秒後、深い眠りに落ちたのですが、ある夢を見てしまい、午前2時すぎに目を覚ましてしまいました。  心理学者のフロイトやユングや…数多くの心理学者が夢について長年研究し語ってきましたが、脳科学の進歩もあり、人間が夢を見る理由が朧げながらも分かってきたような現代ですが、私の考えは、あるストーリー

    • ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(31)「夕暮れの富士山に思うこと」

       湘南の片瀬海岸に引っ越しておよそ一年が経ちました。荒れた天候の日以外には必ず浜沿いを散歩しており、箱根あたりに雲がないときは、富士山の姿がクッキリと見えます。一年を通しいつも異なる風情をまとう富士山の姿に癒されてきたようです。  東京の国立市に住んでいたころは駅前に富士見通りというまっすぐな道があり、その向こうに富士山の姿がたまに見えていました。世田谷のときは近くの世田谷代田駅の西、環七の上をまたぐ通りからその姿を拝んだものです。こんなにも富士山に縁があるとは思っていなかっ

      • マイ・ライフ・サイエンス(38)「暑熱順化と寒冷順化」

         9月半ばだというのに日没後も30度近い気温のままで、秋が待ち遠しい日々が続きます。  雨さえ降っていなければ夕暮れになると近くの浜辺でカフェタイムを楽しんでおり、この夏もあいも変わらずほぼ毎日暮れゆく浜辺を楽しんでいました。そして、今日もまた、白く透き通った月を天空に眺めながら、コンビニで買ったアイスコーヒーを楽しんでいたのですが…。いつもと調子が違うことに気づきました。  浜辺に吹く風は南西の秒速8メートル。砂浜の表面を流れる砂つぶが時々頬に当たっていました。外洋から押し

        • 本に愛される人になりたい(92) スティーヴン・キング「書くことについて」

           書くことについて、特にエンタテインメント・ビジネスでのオリジナルな作品の土台となる原作(小説)を書くことについて深く考え始めたのは2015年ごろだったかと思います。  ふり返れば京都の太秦に実家があったころのこと、斜陽化する映画産業の煽りを受けた映画関係者から聴こえてきた声の多くが、「予算がないから映画が撮れない」というものでした。まだ子供だったので深くは考えませんでしたが、予算がなければ自分で撮りたい物語を書けば良いのではないかという思いは残ったまま、やがてエンタテインメ

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        • 他山の岩 Rocks on another hills
          5本
          ¥200
        • 「悲しきガストロノームの夢想」マガジン
          34本
          ¥200

        記事

          本に愛される人になりたい(91) 高峰秀子「つづりかた巴里」

           旅エッセイ好きにとり、作者が肩の力を抜き感じたままの言葉で綴られた作品ほど惹き込まれるものはありません。そして、私が読んできた旅エッセイもののなかでも大好きな一冊が本書です。1951年(昭和26年)に日本初総天然色映画『カルメン故郷に帰る』に主演後の6月、カンヌ国際映画祭へ参加するとして、結局翌年1月までの6ヶ月間、パリのアパートの一室で一人住まいを楽しんだ彼女の自由奔放な日々が、本書のなかの一章「巴里ひとりある記」に綴られています。  「毎朝、教会の鐘の音におこされて、窓

          本に愛される人になりたい(91) 高峰秀子「つづりかた巴里」

          ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(30)「不自然な造形-ゴミ拾いイベントで思ったこと」

           片瀬海岸では絶えずゴミ拾いイベントが開催されていて、私もこれまでいくつかのイベントに参加しました。今日も、ご近所でお世話になっているサーフショップの月一ゴミ拾いイベントがあり参加してきました。  9月2日に海水浴シーズンが終わり、浜辺の海の家も解体作業に入り、赤と黄色のユニフォーム姿のレスキューたちの姿も消えました。とはいえ、気候は真夏と変わらないから、海水浴客の姿もちらほらあり、これまであるエリアに制限されていたサーフィンやSUPやウィンドサーフィンを楽しむ人の姿が一気に

          ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(30)「不自然な造形-ゴミ拾いイベントで思ったこと」

          ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(29)「そして、虫たち…」

           8月のお盆が明けるや否や猛暑や豪雨や地震や台風やで、荒ぶる天候を過ごす日々が続きました。湘南・片瀬海岸・鵠沼海岸も海開き最後の日となった9月2日は雨模様で、寂しげな夕方を迎えました。やはり、季節はゆっくりと変化を遂げながら移りいって欲しいものですが、地球温暖化が原因なのか、季節は激しい変貌を遂げながらあっと言う間に過ぎ去ります。  この激しい天候で、蝉や蚊の姿もかき消えてしまい、台風10号が熱帯低気圧に変わった日には、その姿はありませんでした。彼らはどこに行ったやら…。林の

          ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(29)「そして、虫たち…」

          本に愛される人になりたい(90) ケム・ナン「源にふれろ」(Kem Nunn 「Tapping Source」)

           サーフィン小説としてピンとくる作品に出会ったことがなかったのですが、先夜新宿ゴールデン街にある「深夜+1」のお店の方から紹介してもらったのが本作品です。邦題は、ケム・ナン「源にふれろ」。翻訳者は大久保寛さんで、2004年に早川書房から発行されています。アメリカでの原書は1984年に初版が発行されています。  サーフィンの物語としては、映画では、『エンドレス・サマー』や『ビッグ・ウェンズデー』などがありましたが、ベトナム戦争から数年が経過した1980年ごろのサーファーの群像を

          本に愛される人になりたい(90) ケム・ナン「源にふれろ」(Kem Nunn 「Tapping Source」)

          鏡江ノ島

          @片瀬西浜 #夏の1コマ

          ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(28):「夏の終わりのセンチメンタル」

           生きているとあちこちにぶつかったり、ガクンとつまずいたりしながら色々な感情を学ぶもので、たとえば百種類の感情があったとしても、さらに強弱もあるはずで、私の脳みその中に刻まれた感情の種類たるや、もはや無限ではないかと思っています。  8月の終わりごろになると、その無限の感情が収まっている感情箱からふわりと現れるのがセンチメンタルという感情です。  小中学生のころであれば、長い夏休みが終わるという寂しさだけだったかもしれませんが、やがて恋愛を重ねたり社会に入って汗だくの日々を送

          ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(28):「夏の終わりのセンチメンタル」

          遠ざかる夏

          @片瀬江ノ島 #夏の1コマ

          本に愛される人になりたい(89) 檀一雄「漂蕩の自由」

           もの心ついたころから、じっと静かにしていられない性格のまま現在に至ったなぁと思っています。現代なら多動症的だなどとカテゴライズされ、生真面目で社会的な価値判断という物差しで子供を測り、スマホで対処法などを調べたりするのでしょうが、昭和の時代はもっと寛容で、大筋さえ理解しているなら大人たちは私を自由にしてくれたようです。人間としてやってはいけないことをしっかり教える良い時代でした。たぶん、大人たちも生きることに精一杯で、いちいち細かく子供のことを構っていられなかったのもあった

          本に愛される人になりたい(89) 檀一雄「漂蕩の自由」

          マイ・ライフ・サイエンス(37)「猛暑・豪雨あとの蚊」

           蚊が大嫌いなので、このnoteでは度々蚊の話を綴っています。心理学用語でインビバレンス、まツンデレみたいなものなのかもしれませんね。  先日テレビを見ていると、今夏は猛暑日が続き、ゲリラ豪雨などもあり、蚊の姿が見えなかったけれど、この秋は蚊が大量発生するかもしれないというようなことを話していました。  確かに、蚊は25度から30度ぐらいでブーンと元気づくようですから、最低気温でさえ30度弱の日々が続いた今夏、ましてや滝のような雨が突然降ったり台風がやってきたりしたので、蚊に

          マイ・ライフ・サイエンス(37)「猛暑・豪雨あとの蚊」

          夏の守り人

          @湘南 #夏の1コマ

          塹壕から見えた夏

          @オアフ島 #夏の1コマ

          麦わら帽子の男

          @湘南 #夏の1コマ