それ、なんか面白くないみたいですね
私が中学3年生になった春、卒業した先輩と久しぶりに会ってお話ししていた時のことだ。
先輩「通学電車の中でずっと〇〇(スマホゲーム)やってんねん」
私「あー、それ知ってます!なんかDS版に比べてあんまり面白くないみたいですね」
先輩「、、、、」
今ならわかる。どう考えても私が悪い。
楽しんでそのゲームをやっている先輩に対して失礼すぎる発言だ。
しかし当時は、全然それが理解できておらず、なぜ微妙な空気になってしまったのか、本気でわからなかった。
この話に限らず、私は生まれてからこれまでずっと失言を繰り返してきた。
もちろん悪気はない。
でもだからこそ、遠慮なく言ってしまって変な空気になったり、相手を傷つけたりしてしまうのだと思う。
Aさん「どう?この服装ちょっと変やんな」
私「うん、ちょっと変かもな」
Bちゃん「××(私のこと)〜!一緒に弁当食べよ〜」
私「え、弁当くらい1人で食べよや」
補足:私はBちゃんのことが嫌いなわけではなく、むしろすごくいい子だと思っている。
これらの私の発言が失礼だったり、相手を傷つけるようなものだったりするということには、たいてい後になって気がつく。
失礼に気が付かなくても、なんだか変な空気になったことくらいは分かるので、モヤモヤだけが残る。
後日それをふと思い出して、私が悪かったと反省するのだが、それではもう遅すぎるのだ。
先輩にも、Aさんにも Bちゃんにも、もう2年以上会っていない。
本当に申し訳ないことをしてきた。
気がついているエピソードだけでもたくさんあるのに、まだ気づいていないことがあると思うとうんざりする。
いや、うんざりしているのは周りの人たちの方か。
改善したいと思うが、言っている時はあまり自覚がないのでなかなか難しい。
こんな自分なのに、よく周りの人たちは仲良くしてくれていたと思う。
実は嫌われていたのかもしれない。
だとしても意地悪はされなかったし、お世辞だとしても私を「面白いね」と言ってくれさえすることも多かった。
私は本当に、人に恵まれていると思う。
心からみんなに感謝しているし、その人たちのことが私はどちらかというと好きだと思う。
人に興味がないところがあるけれど、それは嫌いなのとは違う。
でも、無意識に相手を傷つけているかもしれないというのは怖いし、自分にとっても苦しい。
友達はいらないが、決して友達のことが嫌いなわけではないのだ。
人とうまく付き合えない自分が嫌なだけなのだと思う。
だからと言って、いつまでも人付き合いから逃げ続けるわけにはいかない。
いつか必ず向き合わなければならない自分の欠点だ。
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