私の夫は、世間的に言う「理解ある彼くん」なのか?
「理解ある彼くん」
それは発達/精神障害女性のエッセイ漫画等に度々現れる存在で、彼女たちの全てを受け入れて救い出してくれる神様のような存在。
精神障害や発達障害で苦労してるし、人間関係が上手く築けないけど、何処からか脈絡もなく生えてきた全部理解して受け入れてくれる彼くんがいるから私は大丈夫!解決!
…と言った、揶揄される形で語られる事が多いだろう。
本題に入るのだけど、
さて、発達障害持ちで現在はうつ病もしっかり患っている私にも、夫なる存在がいる。
その時点でネット論的には、「まーた理解ある彼くんかぁ~」なわけだ。
さて、私の夫はパートナーである弱者女性の全てを許し受け入れて包んでくれる「理解ある彼くん」なのだろうか。
結論を先に書くと、彼は「私を理解出来ないことを理解している彼くん」なのだ。
「いいんだよ~キミはそのままでいいんだよ、大丈夫、辛いよね、分かるよ、大丈夫キミはそのままで価値があるんだよ~、僕が支えるから変わらなくて大丈夫だよ~」
と言うのが、私が観測した「理解ある彼くん」と揶揄される存在だ。
そう言う意味では、私の夫は「理解ある彼くん」とは言えない気がする。
彼は、私がそのままでいいとは思ってないし、私に関しては山ほど理解出来ないことだらけだと言うし、辛いよね~なんて寄り添いはしない。
甘い言葉も、優しい言葉も、弱ってる私が欲しがるハリボテの言葉をかけてくれることはしない。
彼は「私の心は理解出来ないと理解した上で、私が立てるように身体をそっと支えてくれてる」
と言う感じだろうか。
心はあまり支えない。理解出来ないことを理解しているからなのと、なにより自分自身の心を守るためだ。
私の心は専門家に助けられながら自ら救うものだと二人の心の間に明確に境界線を引き、その代わり倒れない程度に身体は支える。
「理解出来ない」
「それはあおの悪いところ」
とハッキリ言う。
その時点で、ネットで揶揄される「理解ある彼くん」像からはかけ離れる気がする。
そしてもうひとつ、何処からともなく脈絡もなく生えてきたわけではない。
私は「発達障害」を持っている「精神障害者」だけど、それは「精神障害者と言う人格」と言うわけではない。
私と言う人格の中に、ADHDがありASDがありうつ病があるのだ。
精神障害女性が「理解ある彼くん」と揶揄される時、いつも思うのだ。
揶揄する側は、「精神障害女性」は「精神障害女性と言う人格」としてしか彼女らを認知できていない。
根本として、それぞれの人格があり性格があり個性があり歴史がある。
そんな根っこにあるはずの前提が忘れられてしまう。
私にだって、生きてきた歴史がある。
基本的には上手く行かないながらも、極々一部の人とは(老若男女問わず)深い繋がりを会得して、その少ない宝物を大事に守って、時には失いながら生きてきた。
そうやって会得して、そして生涯を共にする事になったのが夫なのだ。
うつ病は最近再発したものなので当時は無かったが、それでも診断されてなかっただけで確かに当時から私は発達障害者として数々の困難を抱えていた。
でも、ちゃんと「私」と言う人格は存在していて、そんな「私」と「彼」は一緒にいてとても楽しいとお互いに思えた。
彼は今後の困難をある程度は予測していたのだが、それでも「一緒にいて楽しいから、これからも一緒に生きていきたい」と思ってくれたから、私たちは結婚するに至ったのだ。
結論付けると、ある意味では「究極の理解ある彼くん」なのかもしれない。
都合よく生えてきたわけではないのに、私の事を理解出来ないと言うのに、
それでも一緒に生きようと努力してくれる。
これ以上の愛が、あるのだろうか。
私は何を返したらいいのだろうか。
いつも考えているけど、答えが見つかる見込みはない…
そして当然理解ある彼くん(真)を会得したことで、私の人生なんとかなりました、めでたしめでたし♪
なんて事は当然無く、離婚の危機だって何度もあったし(彼の負担でいることに耐えられず)、何度も死のうとしてきた。子供の発達障害も分かって、自分を責めて責めて更に病んだりもした。
理解ある彼くんがいれば全て解決なんて、ほんと幻想もいいところだ。
ただ、精神障害者に理解者が必要なことは真理だと思う。
でもそれは彼くんである必要はない。
家族だったり、医療者だったり、支援者だったり、友人だったり…
彼くんである必要なんて、ない。
「あなたに生きていてほしい」と言ってくれる人が一人でもいることが、大切なんだ。
だから、「理解ある彼くん/彼女ちゃん」に拘らないで、もっと回りに目をむけてほしいなと私は思うのだけど、夫のいる私の言葉が彼ら彼女らに響くことは決してない。
私もまた、彼ら彼女らと「理解しあえないことを理解している」
余談だが、子供の発達障害が分かった時
冗談風に「これで我が家では貴方(夫)の方が少数派だね」と言ったら、
夫は笑いながら、
「でも、俺は昔自力で対策を見付けられただけで、本来そっち側な気がするよ」
と言った。
自身の発達障害の診断は子供を生んだずっと後とは言え(何なら昔一度精神科で否定された)責任の所在を共に背負ってくれようとしての発言なんだろうなと、その時思った。
夫は私を理解してくれない、出来ない。
普段は泣いてたって優しい言葉をかけてくれることなんてない。
でも確かに、そっと寄り添って歩み寄ってくれているのだと、強く感じた。
結論
揶揄させないよ。
うちの夫は究極の理解ある彼くんです。
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