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”すべての細胞が同じDNAを持つ”と書いた、かつてのぼくは嘘つきです

・嘘つきが挨拶します

こんにちは、パブロフのぼくです。最近記事を書くために「若い読者に贈る美しい生物学講義ーーー感動する生命のはなし」という本を読んでいました。この本のタイトル通りまんまと感動させられたぼくですが、同時に「あれ?前ぼくが書いた記事間違ってね?」と気づきました。問題の記事はこちら。

したがって、以下は言い訳と陳謝です。

ちなみに「若い読者に贈る美しい生物学講義ーーー感動する生命のはなし」は、平易とまでは言わずともわかりやすく生物のさまざまな現象を説明しており、頭の弱い筆者でも楽しく読めました。ハッとさせられる表現が随所に見られる素敵な本です。


・実はすべての細胞は同じDNA情報をベースに共有しながらも、少しずつ違うという衝撃的で当たり前の事実

以前の記事でちんちんの細胞と髪の毛の細胞は同じDNAを共有している、と書きましたが、大雑把に見るとその表現でも間違いはないのですが、細胞一個一個を見るとそうではないようです。というのも、DNAは割と安定的な物質であるが、細胞内の環境は安定的ではないから、というのが結論ですかね。DNAにも自己修復機能とかはあるんですけど、DNAにが変異する原因というのは結構あるんですね。結果自己修復されずにDNAに変異が残ったりしているみたいです。

ではDNAが変異する原因は何なのか。

・DNAの突然変異の原因

X線や紫外線、亜硝酸などの化学物質、DNAポリメラーゼのミスなど意外と様々な原因がありますが、これらはざっくりと分けて、自然的変異誘発的変異に分けることができます。

自然的変異というのは、外からの影響関係なく、細胞内でいつも起こってる変異のことです。DNAポリメラーゼのミスや細胞内の化学反応による変異は自然的変異になりますね。

誘発的変異というのは、細胞外からの影響を受けて起こる変異のことです。紫外線やX線なんかはこっちですね。

さらっと細胞内でいつも起こるなんて書きましたが、実は突然変異というのは存外身近なものなのです。X線などの特別な刺激がなくても、細胞内では体の設計図たるDNAが不完全なコピーによって書き換えられたりしています
こんな風にだらだら記事を書いている間にも指先とか死んだ魚のような僕の目とかの細胞は突然変異をしているかもしれないのです。

抜け落ちても生えてくる髪の毛、伸びてくる爪、体の垢など、体が細胞分裂をしているということを実感できるシーンはいくつかありますが、そんな当たり前に、日常的に行われている細胞分裂はコピーを作るという一点において不完全なのです

・ではいかほどの確率なのか

これについてはすべての生物、すべての細胞で共通する変異確率というのは今のところ解明されていませんが、1回のDNA複製にあたり、およそ10万塩基対につき1塩基以下程度らしいです(アメリカ版 大学生物学の教科書 BLUE BACK出版参照)。

だいたいヒトのゲノムが30億塩基対くらいなので、細胞1個あたりに約60億塩基対存在していることになります。なので上記の確率で考えると、1回の細胞分裂当たりで変異する塩基対の数は、6万塩基対にも及びます。1/100000の確率というとなんだか小さいように思えますが、60億という莫大な情報においては、6万ものミスということになってしまいます。

この確率は普遍的な数値ではないので、時には10億塩基対に1塩基くらいの低確率の時もあるそうで、正確な数値はわかっていません。設計図たるDNA情報が意外と可変であるというのは驚きですよね。

しかし、体を作るための情報が1/100000以下の確率とはいえ、これほど変動して体に影響はないのでしょうか。

・細胞にはDNAの校正機能がある

場合によっては生命活動に致命的な欠陥を生み出す突然変異ですが、幸いにも間違いを正し、本来の情報に差し替える校正機能があります。複製時に間違った塩基が結合しているとき、DNAポリメラーゼはその間違った情報を差し替える機能があります。また、万が一ミスマッチ(本来は結合しない組み合わせ、A-G、T-Cなど)が複製後残っていてもそれを修復する機能もあります。これは、DNA複製後に、メチル化というラベリングが行われるのですが、ミスマッチが起こっている塩基対はこのラベリングが行われず、それをサインにして修復機能が働くようです。

とはいえ、誘発的な原因(X線など)によって変異が多く発生している時など、すべての情報を完全に修復できないこともあります。

・DNAの情報には優先順位がある

建物の設計図でも、情報としては家の骨格といった大事なところから、屋根の梁の木材など様々な情報が、設計図という一つの媒体に内在していますが、骨格はともかく、木の材料とかは代替が効いたり、ぶっちゃけなんでもいい部分もあると思います。情報には優先順位があります。複数のものが並べられる以上、ある一定の価値観で優劣で並べることができるのです。細胞内のDNAも同じで、生存に重要だと思われる情報には保存性が高くなってると聞いたことがあります(うろおぼえです)。60億もの情報を10μm(0.01mm前後)前後の箱の中に収めるために、DNAは高度に立体化(折りたたまれている)されて存在しています。その際タンパク質と抱き合わせで折りたたまれているのですが、このタンパク質がDNAの保存性にかかわっているだとか。びみょーに覚えていないので改めて調べて記事にしたいと思います。

また、DNA情報の中には生体の活動を司るタンパク質をコードしていない部分も多く存在しています。イントロンと呼ばれる部位は、DNAからタンパク質を作るための中間物質であるRNAに転写されるとき、又はRNAのタンパク質合成前に、RNAから切り取られてしまいます。つまりタンパク質合成においては、プラモのバリよろしく削り取られてしまうのです。
一見何の役にも立たない部位のようですが、どうやら意味がないわけでもないみたいだってことが最近分かってきてイントロンの機能について見直されつつありますが、まだ未知の部分でもあり、情報としての重要性は低いように思われています。

実際ゲノム編集のフィールドにおいては、イントロンに突然変異が起こっても体に大きな変化が見られなかったりして、タンパク質をコードするエキソンに変異を起こすように、誘発物質を設計したりしています。

・とはいえ変異が残る可能性はゼロじゃない

DNAの情報としての優劣や細胞の校正機能があって、設計図としてのDNAの保存性はある程度保たれていますが、コピーである以上ミスは起こるし、場合によっては個体に致命的な欠陥を及ぼす変異が残ったりします。

その代表例が癌です。癌は細胞の寿命を定める遺伝子が機能しなくなったことにより、無限に増殖するようになった、突然変異した細胞です。日本人の3人に1人ががんで亡くなっていると考えると、突然変異というのは誰にでも起こっている身近なことだってわかります。

ただ、癌を変異の例として挙げると、突然変異はよくない、完璧なコピーを作ることこそが進化の未来だなんて思えるかもしれませんが、そうではないんですよね。
不完全で多様なコピーを作ることこそが進化への道だったりします。

・不完全であればこそ完璧、進化とは環境への追随

ヒトの生きる理由は何かと問われれば、なんと答えるでしょうか。僕は何かを表現して、怠惰なコミュ力の代わりに誰かとつながれる何かを形に残すことだと信じていますが、進化生物学的にはそうではありません。
人が生きる理由は、産み増やすことです。これはどの生物にも一致している考え方です。子孫を、もっと言えば種を存続させるために様々な機能がついているのです。人間社会の価値観に照らし合わせると、納得できないさっぱりして味気ない回答ですが、人を分類上の生物としてとらえることからは逃れられません。人が形成した社会の中にある価値と、生物としての価値基準が違うのは当たり前です。社会における価値が個人の幸福である一方で、生物における価値は繁栄であり、個の幸福を目指して生物は作られていないからです。
そして、そんな生物としての価値、つまり種の繁栄という価値基準で機能が発達していくことを進化といいます。この価値基準のルールは簡単で、繁栄こそ正義、です。地球という限られたフィールド、リソースの中でいかに繁栄するかが進化というゲームのミソです。そして限られたフィールド、リソースの中でのゲームなので、1番重要なのは地球という環境に迎合することが勝利へのカギです。つまり進化とは地球という環境への適合、追随なんて見方もできます。
そして地球環境も一定ではありません。台風や冷夏などの短期間的な変化から、地球の公転軌道のずれによる氷河期という大規模な変化まで、地球環境は動的です。そのためには単一の完璧なコピーを作るよりも、不完全で多様性のあるコピーをすることの方が、種という視点で見れば、変化への適合性がある個体が生まれるか可能性がある分、優れているのです。DNAのコピーが不完全であることは、種として環境変化を追うための屋台骨だったりします。

進化が環境変化への追随であるならば、どんな変化にも耐えうる個を形成してそれをコピーすればいいようにも思えます。確かに万能の個と完璧なコピーを持つ種がいれば、短期間で生息領域を拡大していくでしょう。しかし、アリストテレスが論じた、全能のパラドックスのように、生物における万能を一つの個体に収めるのは難しそうです。人類は直立二足歩行という技能を手に入れて、道具の制作能力や脳の発達による思考能力を手に入れましたが、その代わりに4足歩行を捨てたために捕食者から逃げるための走力を手放しました。また、もっとさかのぼれば魚類から陸生生物へ分かれた時には、陸での活動能力の代わりに広い海での遊泳能力を失っています。このように、進化というのは歴史的に見れば技能のトレードオフという形で、何かを得る代わりに何かを失っているのです。
また、地球ないしは宇宙環境の変化に対する万能性というのは先述のように多岐にわたり、トレードオフで手に入れた技能では、すべての環境変化に相対すると何かが足りないのです。その中においては変化への余地を残しておく、つまりは不安定で可変な遺伝子情報で次の世代を形成することが、今のところ最適解のように思えます。

だからこそ不完全こそが完璧なんて思えませんか?一意的でない形質、一見すると不必要に思える形質の積み重ねが、種を生き永らえさせるならば、必要ない存在なんてないのかもしれません。

・体という環境で細胞も自然淘汰の中にいる

話がそれました。突然変異から進化の話になってしまいましたが、もともとの話は、一つの個体を形成する細胞同士も遺伝子の突然変異によって同じ情報を共有していないことが当たり前にあるよって話でした。

生物全体の進化が少なくない自然の淘汰圧によって、生き残る種と失われる種が出てくるように、個体の中にも規模は小さいですが同じようなことが起こっています。
ただ、地球という長い寿命を持つ環境と比べると、生物の寿命というのは一瞬です。なので個体の中で違う生命体が誕生するような変化というのは期間的に考えて起こりにくいものです。生物の遺伝子保全はそれくらいには堅牢ですだといえるでしょう。
一方で先述の癌細胞なんかは突然変異から発した違う生命体なんて言えるのかもしれません。だとすれば個体の中の環境の生み出す多様性というのもばかになりませんね。
”メンインブラック”という映画のラストシーンでは、地球を含めた宇宙が実は巨大生命体にとってのビー玉だったなんて表現でエンドロールになるのですが、似たようなことが私たちの体にも内包されているのです。私たちの体も宇宙を内包するなんてロマンがあると思いませんか?ぼくは少しだけ思います。

・あれ?謝罪は?

あぁ、謝罪と訂正のためにこの記事を書いたのに与太話で記事が終わる。でも満足。世界の広がりは、宇宙の広がりはこんなに小さなところに存在するという奇跡。生物の面白さってこういうところにあるんだなって、思います。こんな感じで、生物学について嘘と謝罪と与太話をつらつらと書いていきます。良かったら今後もお付き合い下さい。

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