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漏らしたんじゃねえ、エネルギー獲得効率を上げる為に、あえて出したんだ!【うんち学入門】

子供というのは、おしっこやうんちといった、排泄物の話が大好きである。僕も幼少期は「道でうんちが落ちてるのをみた!」とか、「デパートでおしっこ漏れそうになった!」などの話をしたり聞いたりしては引くほど笑っていた経験がある。なぜか公共の場での排泄の話ばかりであるが、そんな話が愉快で仕方なかった。

冒頭から汚い話で申し訳ない。だが、兎にも角にも子供というのは(話のネタとしても観察対象としても)排泄物に異常な興味を持ってやまないらしい。僕もそうだったし、たぶん、これを読んでいるあなたもそうではなかろうか?「おしっこ」「うんち」などのワードが出るだけで笑い転げることができていた幸せな幼少期の記憶は多くの人が持っているような気がする(僕が男子というのもあるかもしれない。一般に男の子の方が下品な話題が好きな傾向にあるように思える)。

だが、人は大人になるにつれ、こういった排泄物の話は下品な話題だと認識し始め、話題にするのを控える。もちろん、大人になってもその探究心が止まることを知らない例外的な人もいるだろうが(※1)、そういった興味は成長と共に薄れていく傾向にあるようだ。

確かに、場末の居酒屋ならともかく、ちょいと洒落たレストランやバルなんかに行って、「今日うんこ漏れそうでまいったよー」「そりゃあ危機一髪だったね」「替えのパンツ持って行って正解だったよ」などという会話が聞こえてきたら自分の耳を疑うこと請け合いである(あと、この人"漏れそう"といっているが、どうやら替えのパンツを使ったようなので、"漏れそう"ではなく"漏らしている")。

では、大人になれば、排泄物の話を真面目にする機会はないのだろうか?「おしっこ」と「うんち」で延々と笑い転げていられたあの栄光の日々は戻らないのだろうか?

それはである。今日は下品と思われがちな排泄の話を力強く肯定する、真面目な本を紹介したいと思う。

うんち学入門

「うんち学入門 生き物にとって「排泄物」とは何か」増田隆一[1]
うんちに秘められた生き物たちの「すごい生きざま」!
なぜするのか?
いつからしはじめたのか?
しない生き物はいるのか?
なぜ茶色いのか? 臭い理由は?
「うんちに擬態する」生き物や、「他の生き物のうんちを食べる」動物がいる!?
仲間やライバルの行動を支配する、うんちを使った「情報」戦略とは?
うんちとは……、進化の結晶にして生存戦略の武器だった!
思わず誰かに話したくなる「うんちのうんちく」が満載!

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すごいタイトルである。この一切取り繕わない感じ、潔くて素敵である。

実は生物学者が"うんち"について真面目に考察するのは、珍しいことではない。僕は微生物の研究者だが、腸内細菌叢は微生物の生態系としても、宿主の健康の観点からも、非常に興味深いトピックである。そして、腸内細菌叢は生物の"うんち"を解析することによって知ることができる。

この本の著者である増田隆一氏は分子系統進化学や動物地理学を専門として長年研究を積んできた大学教授である。生態系を知る手掛かりとして、排泄物の分析は大きな要素だ。本書[1]は彼の生態学者としての知見から"うんち"を深く考察し、噛み砕いて説明したものである。

ここからは少し込み入った話になるが、本書の中で僕が面白いと思った部分を紹介しよう。

個体としてのうんち

個体にとっては"うんち"は結果的に出てきたものという印象が強い。食べた物が出ていく、ただそれだけであるようにも見える。

だが、生物が排泄を積極的に行うことは、生きていくのに有利になることも多い。例えば、"うんち"を"する"ということが栄養の積極的接種と体を軽く保つことを両立する、という面がある。「たくさん食べて、たくさん出す」ことが可能になる。

一方で、積極的に排泄をしない生き物、例えば海綿動物などは、受動的に排泄を行う。海綿動物は水の流れに乗ってやってきた微生物を胃腔という部分でキャッチし、大孔という開口部から水を放出する。「ちょっと食べて、ちょっと出す」スタイルであり、「食べ物が運ばれてくるのを待つし、体から勝手に出ていくのを待つ」スタイルでもある。

進化は弱肉強食というよりは基本的に適者生存である(※2)。そのため、どちらのスタイルが優れているかは単純化できない。ただ、積極的な排泄がエネルギーを取り込む効率を上げ、ある種の環境においてその生物の生存を有利にしたのは間違いないだろう。

そうなってくると、うんこが漏れた、というのは正しい言葉選びではない。漏れた、のではなく、出した、のである。ついては不意の脱糞により同級生にからかわれた時はこう言い返そう;「漏らしたんじゃねえ、エネルギー獲得効率を上げる為に、あえて出したんだ!

集団としてのうんち

同種や異種間の集団や生態系の中では、排泄は重要な役割を持つ。例えば排泄物の匂いはナワバリを示したり、集合を促したり、異性を嗅ぎ分けるなどのコミュニケーションに使われる。

また生態系の中では、"うんち"は物質循環に寄与している。窒素循環はその最たる例だろう。農業で家畜の糞が肥料として使われたりするが、あれは植物に窒素源を供給しているのである。

というわけで、不意の脱糞により同級生にからかわれた時はこう言い返そう;「俺がこの環境に窒素源を供給してるんだ!

人間(大人)はなぜうんちを嫌うのか?

冒頭で「人は大人になるにつれ、こういった排泄物の話は下品な話題だと認識し始め、話題にするのを控える」と述べた。人間というのは、話題としても実体としても排泄物に触れることを嫌がるようになる。人間社会では、"うんち"など無いように振る舞わねばならない。少なくとも大声で「うんち!」とか言うのは好ましく無い

だが、人間以外の生物は子供だろうと大人だろうと、排泄物に忌避感がないことが多い。代表的な例はウサギやネズミの食糞という行動である。自分の糞を再び食べ物がとして口に入れ、消化吸収するのが食糞である。あるいは冬眠している穴の中で、赤ちゃんグマが排泄した"うんち"を母グマが食べる、と言う例もある。

人間と他の動物の、"うんち"への忌避感の違いはなんだろうか?人間がうんちをネガティブに捉える理由は、人口密度が高い環境で過ごす上で、"うんち"が公衆衛生上のリスクになるからだ。

大型でこれだけ密集して暮らしている生物は人間以外には中々いない。それだけに、不衛生による感染者の拡大は人間の生存にとって大きな問題である。実際、大きな都市を形成していた古代ギリシャ・ローマ世界では度々感染症が流行し、夥しい数の市民が死亡した[5]。

人間は自分たちが住む環境の衛生を徹底的に保つようにした。下水道を完備し、直ぐに排泄物を処理できるようになった環境は、感染症の危険から我々を遠ざけた。現代日本では道端にうんちがびっしり落ちている、という状況はほぼ無いといっていい。ある意味、人類の知見や対策の成果が清潔な大都市の姿であると言えるだろう。

一方で、清潔な街の姿は、"うんち"が遠ざけるべきものであると言う意識を強くする。そのような感染症との戦いの歴史が、人間にうんちに対する忌避感をもたらすのでは無いだろうか。

宿主の進化と腸内細菌叢の生態系の進化

さて、これまでは本書の内容を説明してきた(漏らした時の言い訳は僕が勝手に書いたのだが)。ここら辺で、僕の専門である微生物の話と結びつけて、簡単に考察をしてみたいと思う。

僕はこの本を読んで、かなり学びが多かったと思った。個人的ハイライトは、"うんち"が茶色の理由が、十二指腸で食物粥が胆汁に含まれるビリルビンというヘモグロビン由来の色素によって染められるから、というものである。そして黄褐色のその色素は腸内細菌に代謝されて茶色になる。

あのうんちの色は胆汁、もっと言えば血液由来の色が腸内細菌に代謝されたものだったのか、と感心した。

あとこれはかなりマニアックな話になるが、消化管の進化に伴い、腸内細菌叢が形成される話もいい。宿主の進化とその体内のニッチの進化の構造が味わい深いと言うか、ニッチ構築(※3)っぽい。それどころか、細菌にとっての生息環境もまた生物であるという状況は非常に興味深い。

本の構成

今までは内容面について触れてきたが、ここでは本書の構成についても少し触れておきたい。

本書は物語調になっている。弟子ポジションのうんち君師匠ポジションのミエルダの会話で本の大部分が構成されている。科学的に難しい内容を噛み砕いて説明するためには、結構適した構成だと思う。

ところが、うんち君があまりに科学に詳しすぎる質問や解釈をするのでびっくりする。ひとつ、うんち君のセリフを引用しよう。

「環形動物門に属しているミミズは、三胚葉性動物・真体腔動物としてりっぱな消化管をもち、能動的に『うんち』を排泄しているんだったよね。でも、今の話に出てきたヒゲムシやハオリムシ、ホネクイハナムシは同じ環形動物に分類されているのに、なぜ消化管がなくなってしまったの?」

増田隆一「うんち学入門 生き物にとって「排泄物」とは何か」p.47

おいおい賢すぎるぜ、うんち君……

ややこしい分類の概念を把握し、分類名を覚え、質問も的確かつ論理的である。君はうんちだろう?もう少しボケっとしててもいいんじゃない?大学院時代の口頭発表の質疑応答を思い出すじゃねぇか……

こんな感じで、学生の研究発表の整合性がかけている部分を詰めていく大学教授かのような鋭い質問を随所で見せるうんち君であるが(※4)、その一方で、自分(うんち)がどこからきて、なにもので、どこへ行くのか、という問いを純粋に追求する姿勢も見せる。

基本的にはこの物語調、会話調の構成は、読者に内容を理解させるのに非常に功を奏している。特にぴったり合っていると思った部分は、"うんち"というものが何故ネガティブなイメージなのか、という問いをうんち君自身が問うていた部分だ。うんち君は"当事者"なのでとてもその話題に食いついていたし、それが自然に感じられたので、適した語り口だったと言えよう。

時々大学院時代のトラウマに向き合いつつも、楽しい読書体験であった。

まとめ

いかがだっただろうか?今回は生物学者が真面目に書いた「うんち学入門」と言う本のレビューをしてきた。

なかなか大人の社会で真面目に語られることがない”うんち”の話題だが、学術的に向き合ってみると興味深い点は山ほどある。

腸内細菌叢は人の健康に大きな影響を与えることが知られている。微生物学を専門としている僕としても、この研究領域は近年ホットなトピックであると感じている。腸内細菌叢は排泄物を解析することにより知ることができるので、なかなか排泄物と腸内細菌叢を切り離して考えるのは難しい。そのため宿主の消化の特性と微生物叢は合わせて考察されるのが望ましい。

もしこれを機に興味を持って本書を読もうと思っていただけたなら幸いである。

そして、あの「おしっこ」や「うんち」で延々と笑い転げていられたあの栄光の日々を取り戻そうではないか。

執筆:早雲

備考

※1. 少し茶化すように書いてしまったが、そのような嗜好(例えばスカトロ趣味)を持つ人を、僕は否定するつもりもないし、その権利もない。適法で且つ、相手との合意があり、公共の福祉に十分気をつけているのなら、その自由は妨げられるべきではない。僕は微生物学者なので、衛生面には十分気をつけて楽しんで、と思うだけである。そもそも僕も研究者として排泄物(の菌叢など)には興味深々である。

※2. 話を単純化するために、進化=適者生存と書いたが、進化が適者生存のみで形作られているという説は実は正しくない。分子レベル(遺伝子の塩基配列レベル)で見れば、適応進化よりも中立進化の方がよく見られる[2]。また、「ほぼ中立説」によれば、多少有害な形質でも集団内に固定され、残る可能性は十分にある[3]。

※3. 生物が自身が住む環境を変化させて、その変化した環境が、今度は生物の進化に影響を与えると言う現象はニッチ構築として知られている[4]。

※4. 書いている人が大学教授なので当たり前ではある。あと博士審査では先生方から、極めて論理的且つ自分の研究の非を認めざるを得ないようなまとも且つ非道な質問から、とんでもねえイチャモンのような質問まで、様々な種類の質疑が飛んでくる(普通に心が折れる)。うんち君のはまだ紳士かつマイルドな質問である。

参考文献

1. 増田隆一「うんち学入門 生き物にとって「排泄物」とは何か」ブルーバックス. 講談社

2. 斎藤成也「ゲノム進化学入門」共立出版 p.106

3. 長田直樹「進化で読み解くバイオインフォマティクス入門」森北出版 p.46

4. F. John Odling-Smee, Kevin N. Laland, Marcus W. Feldman著, 佐倉統, 山下篤子, 徳永幸彦訳「ニッチ構築 忘れられていた進化過程」共立出版

5. D.C.A. Hillman著, 森夏樹訳「麻薬の文化史」青土社 p.39


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