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【短編】デートとクーポンと可愛い店員

 兵庫県、尼崎市。人の顔をした大きな太陽が壁一面に描かれたイタリアンレストランで、一組の男女が食事を終え、会計に向かった。

 女は、実はまだ知り合って1ヶ月も経っていない男の背中をながめながら、それなりに満ち足りた気分になっていた。

 正直なところ会話はあまり盛り上がらなかったが、料理は前菜からパスタ、ピッツァ、肉料理、デザートに至るまでどれも美味しかった。堅苦しくないが庶民的すぎない適度な雰囲気が良い。このお店を選んだ男はセンスが良い、と素直に好感を抱いた。

 男が伝票を渡して財布からお金を取り出そうとした時、まだ20歳になるかならないかくらいの、細身でショートカットの可愛らしい女性の店員が、まぶしいくらいの若さを見せつける屈託のない笑顔で言った。

「お客様、〇〇なびからのご予約ありがとうございます。クーポン使用のコースですので、印刷した紙かスマホの画面でご提示お願いします。」

 男は「あっ…。」と言いながら、あわてて鞄からスマホを取り出し、しばらく落ち着きなく指を動かしていたが、すぐに出てこないらしい。

 〇〇なびのクーポンでお得なコース…。いや、美味しかったし満足したけど、なんか、うん…。クーポン使うならせめて、レジ前でもたつかず用意しといてよ。それに店員さんも、何も大声で言わんでも。女は軽く引いていた。

 遅れながらもそんな空気を察したのか、男は言った。

「あ、いや、もう、割引とか良いんで、お会計を…。」

「ええっ、そんな、もったいないですよー。せっかくなのに。」

 店員は少し口をとがらせてそう言い返した。

 あざとい…。女は一瞬、そう思ったが、すぐに考え直した。別にあの子、可愛く見せようとしてやっているわけではないのだろう。第一、地味な40前の男の気を惹こうとは考えないだろう。一応は女連れやし…。

 単に、まだあんな幼さがわずかに残っている年齢なのだ。若さなのだ…。

 可愛い?そうだ、くやしいが一瞬、若いって良いなあ、可愛いなあと思ってしまった。男ならなおさらそう思うだろう。それが無性に気に入らなかった。

 そういえばあの子が料理を運んでくるたび、男は横目でチラチラと店員を盗み見て、会話から気持ちがそれていたように見えた。

「うーん…、あ、これです!」

 店員は男のスマホをのぞき込み、指を伸ばして男のスマホをタップした。目的のクーポンが表示されたらしい。

「はい、ここのQRコードリーダーに読み取らせて下さいね。…はい、OKです!ボーノ・ボーノ・コース、二名様、10%引きさせていただきますね。」

 ボーノ・ボーノ・コース…。何それ…。いやだ、何だか恥ずかしい。

「あと、〇〇なびポイント1,025円分ご利用ですね。」

 もうかんべんして…。しかも、けっこう貯まってるやん、ポイント…。他の女性と来たのかしら。

 ああ、それにしても、クーポンとポイントの重ねがけとは…。節約上手なあなた…。女は笑いがこみあげてきた。

 お釣りが渡された時、店員の白い指がかすかに男の手のひらに触れ、男はごく小さな声で

「んっ……。」

 というあえぎ声を出した。女は寒気がした。

「ありがとうございました!サイトウ様、またのお越しをお待ちしていますね。」

 なんで名前を…?ああ、〇〇なびで予約した名前で知っているのか。それを去りぎわに呼ぶとは。人たらしめ。

 女は思った。この子は若くて可愛いし、親切で愛想も良いよくできた店員だ。そのことごとくが気に障った。そしてそんな風に感じる自分を嫌悪した。

「ああ、必ずまた来るよ。」

 なにそのキメ顔。私には見せたことのないイキった顔。

 この瞬間、女は完全に心が凍った。

***

 その男とはそれっきりになったが、女はこのお店のピッツァの味を忘れられなかった。

 一か月後、女はランチの時間帯が終わりかけの頃に一人で来て、カウンターのおひとり様席で、赤ワインを手酌であおりながら、マルゲリータを一枚、無理して一人で全部平らげようとした。だがさすがに量が多い。

 既にランチの時間は終わり、厨房ではディナーの為の仕込みが進んでいたが、女はまだカウンターの席にとどまっていた。

 そして隣の席には、なぜかあの日のショートカットの店員が座っている。冷めたマルゲリータをかじりながら、女のグチを聞いて共感し、何度もうなずきながら涙をポロポロと流していた。

「でもわかります、その切ない気持ち。私だって本当に好きな人には愛されなくて、いつも都合よく扱われちゃって…!」

「えっ、うそでしょ……。」

 こんな若くて可愛くて良い子でも、男に粗末に扱われることがあるのか。女は衝撃を受けた。女は黙って、店員のグラスにワインを注いでやった。

 やがて、二人がかりで何とかピッツァを平らげた時、

「ごめんね、長居しちゃって。」

 と、千円札を3枚置いて立ち上がり店を出ようとした。

「あっ、待って。」

 店員が女の腕を左手でつかみ、右手でカウンターの上から千円札を1枚つまみ上げて、女に差し出して言った。涙は止まっていた。

「〇〇なびのクーポン使って下さい。お得なものは使わないと。」

 女は酔っぱらった赤い顔をはげしく左右に振った。

「ヤダ!クーポンでお得にヤケ酒飲んでる女なんて恥ずかしい!安っぽい女みたいでヤダ!」

 店員は軽く微笑んで言った。

「お得に美味しくお食事していただきたいと、常に心がけています!また来て下さいね。」

 なんて親切で優秀な店員さん…。私が男だったら、絶対に大切にするというのに。ままならぬ世の中だ。