見出し画像

日系アメリカ人だった私が日本に来て感じた日本の素晴らしさと窮屈さから起業したというお話

こんにちは!EventHub代表の山本です。

これはEventHub Advent Calendar 2022の25日目(最終日)の記事です。昨日は共同創業者井関のなぜ起業したのかでした。こちらもぜひ!

弊社は、「人がつながる、世界が近づく」をミッションとして掲げる、イベントマーケティングプラットフォームを提供している会社です。昨年のアドベントCalendarでは、(この事業を)「なぜやるのか。 社会的インパクトについて」という題名で、EventHubが目指す世界観に関して書かせていただきました。

今回は、なぜこのテーマに自分は関心を持っているのか?、を自分の生い立ちからくる価値観やフラストレーションを起点に掘り下げる内容です。年の瀬ということもあり、半分自分の脳みそ整理のためにも書こうと思ったテーマです。

今回はあまり考えずに、ビール片手につらつらと書きました。少々長いです笑 お付き合いいただける方はぜひどうぞ・・・!

海外から来たからこそわかる、日本の素晴しさ

すっごい突然ですが皆さん、日本は好きですか?笑

私は大好きです。

ご飯も美味しくて、安全だし、夜歩けるし。

自分は小学校低学年から20代後半までをアメリカで過ごし、当初1年期間限定でコンサル会社からの出向プログラムで日本に来たのですが、その1年間の間で東京という街にすっかり魅了されました。

本当は出向が終わったらアメリカに帰る予定だったのですが、当時の人事に「まだサンフランシスコに戻りたくない」とダダをこねたところ笑「じゃあ5年以内ならいつでもいいわよ」と言われ(ほんといい会社・・・)、それを機にジャパン・ライフを正式にスタートしました。(あれよあれよとしている間に気づいたら5年はとうに過ぎていたというオチなのですが・・・)

良く自国の良さは外に出ないと気づかないと言います。自分は長らく外でしか暮らしていなかった、日本の良さを客観的に見れたのかもしれません。

サンフランシスコに住んでる時は携帯をいじって歩いてたら携帯は盗まれる。夜公園を歩いていいて、銃殺に出くわしたこともあります。社会人になって勤務1日目、15人の同期のうち、1人は駅の改札で銃を突きつけられ、もうひとり(私)は路上で顔を捕まれて、必死の思いで走って逃げました。自分の家の玄関前ではウイスキーをボトルからがぶ飲みするホームレスのおじさんがほぼ住み着いていたので、帰宅時は気をつけながら家に入らないといけない。(朝、家を出ようとしたら立ちションをかけられそうになったことが何回か・・・汚い・・・)

カラフルな壁画で知られる「ミッション地区」に住んでいました。SFは本当に楽しいところではあるのですが、意外と危ないので旅行の時はぜひ気をつけてください・・・!

今では東京では深夜に愛犬の散歩をしたりしています。「安全さ」はついつい当たり前に思いがちですが、本当に幸せなことだなと思います。

アメリカは今でも大好きな国ですしまた住みたいと思っていますが、身の危険を感じないこと、どこの店に言ってもご飯が美味しいこと、街に注射器とか(人間の)うん◯(まじです)が転がっていなくてキレイなこと・・・このような基本的な部分で満点過ぎる日本は本当に住みやすい国だと思います。これは、私のみならず海外から日本に引っ越してきた人が全員激しく同意してくれることだと思います笑。

ただ、そんな中でも、自分が日本に住む中で感じる窮屈さがあります。これは東京に住み始めた当初から変わっていません。これを感じるからこそ、日本を出て違う国に住みたい・・・と思うことが、月1の頻度で訪れます笑。

それは一言でいうと多様性に触れ合う機会の少なさ、出会いが少なく風通しが悪い、こと。

今思うと、このフラストレーションや価値観が、EventHubの起業のモチベーションの原点なのかもしれません。

米国で学んだ多様性の重要さ

自分は高校まで、非常に多様性に欠けている地域で育ちました。東海岸の圧倒的白人社会の地域で、クラス30人に白人以外の生徒は1-2名いる程度でした。白人がマジョリティであり、優遇される、そんな空気が漂う地域でした。

小・中・高校時代を過ごした街。懐かしい・・・。

そんな中で多感な思春期を過ごした私は、いつしか白人=かっこいい、non-白人とつるむのは=ダサいと思うようになり、ひどい話ですがあえて学校内で日本人に声をかけることすら避けていました(当時の皆、ごめん・・・)。現地の「白人っぽい」アクセント(発音)を習得しては、レストランに電話する時に相手に自分の名前を伝えると「あなた本当にアジア人なの!?話し方から完全に白人だと思ったわ」と言われてはめちゃニヤニヤする自分がいました。

地元の友人の結婚式での写真。緑が多く素敵な地域でした

そんな私が多様性や色んなバックグラウンドの人と交わることの大切さを意識するようになるのは、その後進んだ大学での経験が大きいです。

大学に進学し、一番最初に待ち受けていたのは「マイノリティの学生」を集めたオリエンテーション・ワークショップでした。白人以外「しか」いない場所で(それはそれでどうなんだと思ったものの)、黒人、ラテン系、アジア系、等マイノリティの学生が自分のアイデンティティや葛藤等を話し合っていて、当時「自分はもはや白人だし」モードだった自分は(笑)衝撃を受けました。また、自分は「元は日本出身のアメリカ人」として人生を歩んできましたが、親族が第二次世界大戦中にアメリカ人であるのに差別を受け、Internment camps(日系人の強制収容所)に派遣されるという歴史、そしてそこから来る「ジャパニーズ・プライド」を背負う日系アメリカ人3~4世の人とはじめて出会い、「同じ2つの国のバックグラウンドを持っているのにこんなにも違うアイデンティティなんだ」という新しい発見もありました。

東日本大震災の時に、大学の日系アメリカ人コミュニティで募金活動をした時。色んなタイプの「ジャパニーズ」がいて面白かったです。

はじめて一気に多様なバックグラウンド・価値観を持つ人たちと出会い、自分の視野や考え方は間違いなく広がりました。そして違う人と触れ合うからこそ、自分を知るという経験にも繋がりました。

大学で「広い世界を見る」ことが癖になった私は、翌年2年生の時に国外からの留学生が集まる寮サークルに入寮し、2年ほどそこに住みました。そこにはおよそ60人の学生が住んでいたのですが、全員2-3カ国語が喋れるのが当たり前で、出身の国は全員ほぼバラバラ(国連に住んでるのか?と思うような場所でした)。左隣の部屋にはトルコ人が、右にはジンバブウェ人が、真正面にはアルゼンチン人が住んでいて、朝から晩まで生活を共にする。時事問題を話せば各国の違う視点が飛び交い、一緒にご飯を作れば複数カ国のテイストが含まれたフュージョン料理が生まれる。

夏休みも、内モンゴル自治区の孤児院でボランティアをしたり、フランス南部の農家に住み込みで働いたり、香港の投資銀行で3ヶ月勤務したり、とりあえず大学生の身分を謳歌して色んな国で幅広い体験をし、色んな人と出会うことを重要視しました。

寮の廊下で朝まで飲みながら会話をしている図。(汚・・・)

異なる価値観・バックグラウンドの人と出会うことで自分の視野が広がり、可能性が広がる。協働すれば新しいものが生まれる。そしてそれは、何より刺激的でめちゃくちゃ楽しい。多様性を重んじる大切さと、多様な人材を引きつけるアメリカという国や教育システムの強さを身に染みて感じました。

色々課題はあれど、そこがアメリカの大好きなところであり、刺激的と感じるところです。

日本では当時の価値観やバックグラウンドの振れ幅と比べると狭い範囲の中で生活をしてしまっているなと感じています。画一的な社会が必ずしも悪いというわけではないものの、そこに対して同化してしまっていることの危機感や刺激のなさを感じてしまいます。

出会いが少なく風通しが悪い

フラストレーションポイントの2つ目。少しふわふわした表現になっちゃいますが、偶発的な出会いや色んな人と話す機会がすっごい少ない!と東京に来て感じました。

ふと考えると、アメリカに住んでた時は、路上で人が声をかけてくれることもザラにある(もちろん、怪しい声がけも多いですが・・・)。社会人の飲み会でも基本友人を連れてくるのがごく当たり前だったので、比較的日頃から出会いの数が多く、自分の界隈外の人と出会うきっかけが多くありました。(社会の陽キャ比率が高いのだろうか・・・。)

別に皆と友人になる必要はないですが、そのような出会いで自分が住んでいる世界とは少し離れた業界や経済圏やバックグラウンドの人とふれあう機会はすごく多かったです。

一方、日本に引っ越したら、周りの人がお互いに迷惑をかけないように下を向きながら歩いていることに気付きました。飲み会でも、いきなり違う友人を呼ぶということは少ない。カンファレンスにいっても、海外のカンファレンスであれば「Hey!」と自然発生の会話が多かったけど、皆セミナーだけ聴いてパンフレットだけ取って帰宅したり、懇親会では知り合い同士だけでつるんでる。

職場でも人材の流動性が低いからか、多様性が低いと感じました(※今は流動性や転職は増えていると思います。)同じ職場内で違う業界やバックグラウンドの人が交わるからこそ生まれる気づきや案もあるはずなのに。

多様な社会で偶発的な出会いがそれなりに多く、刺激的だった大学〜社会人時代から、いきなり東京に来て、美味しいご飯や安全な環境という素晴らしさを感じた反面、

「なんだか風通しが悪いな」

そう思う自分がいました。

なぜ風通しを良くし、越境する出会いを作りたいのか

何よりも、自分が自分の視野や可能性を広げてくれる出会いがめちゃくちゃ楽しいし、好きだから。

ただそれ以外にも、いくつか理由はあります。

一つは、より遠い世界同士の人をつなぎ合わせられる方が面白い科学反応が起きたり、新しいことが生まれたり、視野が広くなったり・・・。その人の可能性を広げることにつながると思うからです。

少し話は飛びますが、以前私はコンサル会社に務めている時にTeach For Americaという教育NGOの日本の立ち上げに携わっていました(これが冒頭の、日本に来たきっかけである「出向プログラム」の内容です)。

 Image from Teach For Japan

元々は教育業界への興味関心やご縁があり参加したのですが、特に自分が共鳴したのは、「多様な社会経験を経た教師を教室に送る」ことでした。

日本ではあまりにも社会と公立教育の断絶が大きすぎると感じます。子供は社会に出るために教育を受けているのに、教鞭に立つのはほぼ、「教師」以外の経験をしたことがない人達です。

そんななか、Teach For Japanは多様なバックグラウンドの教員を採用し、経済的困難な地域の学校に教師を派遣する。そんな事業を行っていました。

例えば、学校には典型的な英語教師ではなく、(※実際に送った教師のプロフィールです)国境なき医師団で働き、戦争地域の最前線で働いたことがある英語教師を送る。その教師は英語を教えるだけでなく、なぜ英語を学ぶのか、どれだけ世界が広いのか、を子どもたちに熱量と共に伝えます。それにより学生の目は変わり、彼らは学ぶ「意味」を見出し、成果に繋がります。自分が学生であれば、ただファクト・スキルを教わるよりも、学ぶことでどんな可能性が開けるのかを教えてくれる、そんな教師に教わりたい。

他にも、色んな教師を派遣しました。スペインでプロのサッカー選手をしていた教師、総合商社出身の教師、外資系投資銀行出身の教師、などなど・・・。教育業界しか経験をしたことがない教師とだけ触れ合うよりも、いろんなバックグラウンドの大人が社会に関して伝え、教える。色んな価値観や人生観を知れるからこそ、子供は多様なロールモデルとふれあい、将来に関して考え、学ぶ意味を見出すことができる。

これは、業界の壁を超える人間の接点や流動性がなければ生まれないことだと思います。それだけ、業界や世界を越境した人や情報とのふれあいは大事だと。

今となっては自分は教育の仕事からは離れていますが、「出会いは人の可能性を変える」、「異なる価値観や情報に触れると人間は変わる」という考えや確信は当時から変わっていません。

共同創業者の井関との出会いも、同じです。前日の井関のエントリーで、私と井関の出会いのきっかけが書かれていましたが、

私達は

「どこで出会ったの?」
「なんで一緒に起業したの?」
「本当に仲良いの?w」

とよく聞かれるぐらい笑 めちゃくちゃバックグラウンドも性格も異なる2人です。

出会った当時はお互いの生活圏は全く違い、おそらく共通の友人もほとんどいなかったんじゃないかなと思います。

でも、そんな違う二人だから補完関係があり、今に至っているんだと思います。これが近い界隈の人間との出会いだったら、近い経歴の人同士の出会いだったら起業に至ってないかもしれません。

違うバックグランドや価値観、強みがある人同士の出会いだから面白い。そういった科学反応が増えれば増えるほどイノベーションが生まれ、社会は前進するんだと思っています。

New鎖国時代?

業界や世界を越境した出会いを作りたい理由はもう一つあります。それは、ひいては日本の企業のポテンシャルを最大化し、国力や経済を向上させることにつながると思うからです。

自分はフリーランス時代、日本のとある宇宙ベンチャーの海外マーケティングを担当していました。

その宇宙ベンチャーの事業内容はぶっとんでいて面白く、自分から見たらどう考えても日本よりも海外の方が「ウケる」内容でした。海外マーケティングをして欲しいと言われたので、海外PRを実行したり、アメリカやシンガポールのカンファレンスに行ってはせっせと名刺交換をしていました。結果、半年間でBBCやNewsweek等含む160媒体以上に取り上げられる他、名だたる有名企業とのアポが面白いぐらいバンバン取れるようになりました。

アメリカで結構プレゼンスが高まり、MITメディアラボの宇宙カンファレンスに呼ばれたりも

当時は「すごい!」と感謝されたのですが、私からすると自分がたまたま英語が話せて、イベントに出展・参加して、フランクに声かけてくれる人たちとせっせと名刺交換したりしただけ。たいしてすごいことでもなんでもないと思っていたのですが、ふと考えると日本には素晴らしい製品や企業なのに、国外に魅力を発信できていない企業は本当にごまんといるのだろうな、と改めて思いました。

シンガポールやアメリカのカンファレンスを見渡すと、世界各国から企業やスタートアップがここぞと集まり、出展して、懇親して、名刺交換して、ビジネスを広げている。ただし、そこに日本企業の存在はほぼ、ない。ここで世界の経済が動いているのに、日本には面白い企業がたくさんあるのに、どこにいるのだろう、と思ったのを覚えています。

この「もったいなさ」は、日本国内でとある展示会の主催者と話した時にも感じました。

「最近、海外の企業がうちの展示会に出展を検討してくれないんですよ」

「なんでですか?」

「なんか日本人がシャイ過ぎて、出展したけど全然商談にならない、とか。海外のイベントであればテクノロジーを活用してマッチングするサービスもたくさんあるし、自然と会話が発生するけど、日本では全然だ、って・・・。まだ中国の展示会の方がマシだから、日本の展示会は出展せずに中国にするんだと。ただねぇ、日本人はそういう国民性だからどうしてもね。御社のサービスでそこを変えられないかしら」

まあ、確かに。自分が海外の企業だったら日本のカンファレンス・展示会に出たらイライラするだろうな、と当時の自分は思いました。

同時に、これは日本経済にとって本当に大きな損失だとも思いました。本当にもったいない。イベントマーケティングはビジネスを広く展開するにはもってのこいの手段なのに、確かに海外のイベントでは日本の企業のプレゼンスはなく、日本のカンファレンスにも来てもらえないとなると

国境は物理的には開いているけど、経済圏的にはもはや鎖国化してるのでは・・・?

と思いました。

ちなみに、これはイベントやイベントマーケがオンライン化したことにより、より顕著に感じています。

オンラインウェビナーやオンラインカンファレンスが当たり前になると、「英語経済圏」はほぼ完全にボーダーレスになっていると感じます。日本はまだ「言語」という壁があるので、そこにシームレスにはいれていない。誰でもPC一つで繋がれて情報交換ができる時代だからこそ、世界がつながっているからこそ、そこに乗り遅れるリスクは大きいと感じます。

新しい人・情報に触れ合う機会を

久しぶりに当時のフラストレーションを思い出そうと思って書き始めたら長くなってしまいました笑

前回のアドベントカレンダーでは「こんな世界にできたら素敵ではありませんか?!」というキレイ目なアングルの書き方をしてしまいましたが、今回は改めて生い立ちやもう少しネガティブな感情やフラストレーションから来る原動力に関して書いてみました。

改めて前日の井関の記事と見返してみると面白いな、と思うのが、井関は自分で「可能性を広げるためにも出会いたいけど、初対面の人と出会うのは苦手・・・」と思い、解決するために作りたいと言っていたこと。

今まで生きていた中で自分自身が大きく変化・成長ができたという根本のきっかけは全て人との出会いでした。自身の可能性を広げるためにもっとそういった出会いを作りたいと漠然と考えてました。

しかし、、、自分自身は初対面の人と話をしたり距離を詰めるのが苦手な性格です。。。

そんな自分を変えようと頑張ってカンファレンスなどの懇親会に参加しようとしてみますが、、、誰にも話しかけることができずに中途半端にケータリングを食べただけで終わるなんてことがよくありました。。。

一方で、私はそういう彼みたいな人を見て「もったいない」と余計なおせっかいの観点から見ている笑。ある意味事象や出会いが人の可能性を拓くという考え方は似ているけれども見ているアングルが違いますね。

ただ、だからこそ二人ともこの事業をやっていて良かったなと思うポイントは一緒です。

「EventHubがあったから◯◯さんに出会えた」
「EventHubがあったから営業先が見つかり、事業の転機になった」「EventHubで出会った投資家から出資を受けた」
「EventHubがあったから、この業界のことを学んで、転職しようと思った」
「EventHubがあったから地方にいても東京の企業に関して知ることができた」

・・・その人のコンフォートゾーンを「越境」する人や情報との出会いが、人の可能性や選択肢を変えたと聞くと純粋に嬉しい。

※尚、決して「物理的にそのイベントで人と会って会話する」ことが必要なのではありません。前述の英語教室の例もそうですが、人は他人から情報を受取る、他人の話を聞くだけでも態度変容を起こすことはできると思います。新しい情報や人との出会いを提供し、企業や人が躍進でき、経済が発展する。それが実現したいことです。

どうせやるなら、社会を前進させるものを産む

これは前回の記事にも書いたのですが、自分は人生において「死」をイメージするようにしていて、その上で下記の言葉を大事にしています。

Image from AZ-Quotes

(和訳)自分が生まれた世界よりも良い世界にしてこの世を去ること

せっかくだから、パイを奪い合うビジネスとかじゃなくて、社会を前進させるとか、新しいものを産むことをしたい。業界や場所を越境した情報や人の出会いを生み出し、人、企業の可能性を広げる。それをたくさん産むことに貢献した人生は、確実に自分が生まれた時よりも良い社会を造ることにつながっているはず。

そして、ついでに自分にとっても、、、日本で美味しいごはんや安全な環境を楽しみながら、パソコン一つでEventHub経由で世界中のセミナー・イベントに参加し、人と出会い、人を採用し、企業と商談する。好きな場所に住みながら、人や情報とのアクセスは断絶されない。

おいしいおでんと日本酒片手に、世界の経済圏とつながっている笑 そんな刺激的な毎日になれば幸せだなと願います。

美味しいごはんが食べられる日本という国を出ずに、世界の経済圏とつながっているのが理想笑

以上、生い立ちや過去のフラストレーションから振り返る、自分の思考整理のためでもある記事でした。ビールも飲みきってしまったのでここまでとします。最後まで読んでくれた人は本当にありがとうございます!

最後に:EventHubでは、シリーズAの資金調達を受けて採用活動を強化しています!
興味がある方は是非ご応募またはTwitterでDMください! 

おしまい。

おまけ

「風通し」が悪いの下りの書いていて思い出したのですが、最近自分の東京を見る目が変わったできごとがありました。

今年の夏に犬(コーギー)を飼い、毎日都内を散歩しているのですが、街の雰囲気ががらりと変わったような体験をしました。すれ違う人が微笑んでくれたり、声かけてくれたり。たいてい「かわいいわね〜」とか「足短い!(失礼w)」とか「お尻かわいい」とかそういう会話には限られるのですが笑 ここはニューヨークか!と錯覚してしまうほど、周りの人との自然な会話が一気に増えました。

犬を連れて歩くだけでこんなにも街の見え方が変わるのかーーと、新しい発見がありました。

今年の夏に我が家にジョイン。コーギー犬のペニーちゃんです。

以上、長文を読んでくださりありがとうございました!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集