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しあわせについて考える、月とマーニとコーヒーとパン

【2016年に『シミルボン』(サイト終了)で掲載したエッセイです】

夜型を通り越して真夜中型人間。朝日が昇る瞬間を目にすることはそう滅多にない不規則な生活から抜け出せずにいる四十路です。いろんな人が「朝型に変えたら体調がよくなった」「仕事がはかどる」というので、「よしっ! 今度こそ!」と挑戦してみるものの、気づくと元の真夜中スタイルに戻ってしまっている。最近は、それが自分のスタイルなのだから仕方ない、無理しない無理しない……と、受け入れるようにしています(が、健康診断は今のところオールAの健康体です)。

でもときどきですが、夜中に執筆しなくてはならないのにうっかり眠ってしまい、明け方に目が覚めたりすると、真っ黒だった世界が徐々に光をとりこんで白んでくる、その美しさに感動します。早起きの人にとっては当たり前の風景であっても、日が完全に昇りきってから目覚める人間にとっては特別な瞬間です。

そんな日は、きまって近所のコーヒーショップに行き、淹れたてのドリップコーヒーとパンをいただきます。さすがに朝の6時台は人はまばら。新聞を片手にモーニングセットを食べるサラリーマン、朝の散歩の途中で立ち寄ったふうのおじいさん、昼間とは違うお店の雰囲気はなかなか心地いものです。なによりも朝の清々しい空気と、コーヒーショップに入ったときにふわっと薫ってくるあの香ばしい空気と、とても癒されます。

コーヒーは昔から好きです。母親がコーヒー好きということもあって、小さい頃は母がサイフォンを使って淹れるコーヒー、それを見ているのが好きでした。実家の居間にあるサイドボードには形や柄の違うカップ&ソーサーがいろいろあって、決して高価なものではないですが、日によってカップを変えてコーヒーを飲む、そういう心の贅沢は母に教えてもらった気がします。ひとり暮らしをしてからは、ものを増やせなかったりで食器は限られた数しか持っていませんが、カップ&ソーサーはそれなりに持っているのはやはり母の影響ですね。

カフェでコーヒーを飲むのはもちろん、出かけついでにコーヒーショップやコンビニのドリップコーヒーを買って帰ってくることも多いですが、一日、家で執筆するような日は、豆を挽いてコーヒーを淹れています。豆を挽くのはたしかに面倒です。でも、豆を挽いているときの無心な感じ、挽き立てだからこそのコクのある香りは、しあわせだなぁと思わせてくれるひとときでもあって。そんなふうにコーヒーミルで豆を挽くようになったのは「しあわせのパン」という映画がきっかけでした。それまでは、すでに挽いてある粉を買っていましたが、この映画を観て、一杯ごとに豆を挽いて丁寧にコーヒーを淹れることがとてもしあわせな時間に感じた。冒頭で、ヒロインのりえさん(自分と同じ名前でますます親近感!)がコーヒーを淹れるシーンに惚れたんです。ああ、私もこうして家でコーヒーを淹れたいなぁ、飲みたいなぁと。それと、はかったかのような絶妙のタイミングで、いつもは粉を買うのに間違って豆を買ってしまった。それもミルを買うきっかけでした。電動タイプもありますが、映画のなかのりえさんが使っているような少しアンティークなミルを選んで、今も大事に使っています。

「しあわせのパン」の話も少し。これは、北海道の洞爺湖のほとりで小さなカフェ・マーニを営む夫婦と彼らをとりまく人たちのお話です。りえさんを演じるのが原田知世さん、りえさんの夫・水縞くんを演じるのが大泉洋さん。この夫婦がとても素敵。りえさんの淹れるコーヒーと、水縞くんの焼くパンが、訪れる人たちの心を癒していく心あたたまるエピソードが綴られています。ただ、映画のなかでは、どうしてりえさんと水縞くんが東京から北海道へやって来てカフェをひらくことになったのか、2人はどうやって出会ったのか、水縞夫婦については敢えて深く描いていません。きっとこんなことがあったんだろうなと想像させる余白を残しているのも、この映画の好きなところです。

また、映画の公開の少し前には三島有紀子監督が撮影後にみずから書き下ろした小説も出版されました。もちろん読みました。通常、映画のノベライズというのは映画とほぼ同じ内容が語られるものだと思っていましたが、この小説の場合は少し違って、水縞夫婦の視点ではなくカフェ・マーニを訪れるお客たちの視点で夫婦を語っていきます。そして、映画のなかでは深く語られなかったりえさんと水縞くんの話も登場します。特に感動するのは水縞くんの日記。映画のなかでも水縞くんのりえさんへの想いは十分に伝わってきましたが、小説のなかの日記には彼の心の声が綴られていて、その愛の深さに涙がとまりませんでした。もうひとつ、小説の巻末にはりえさんがずっと大事にしている絵本「月とマーニ」が収録されています。

「大切なのは
 君が、照らされていて
 君が、照らしている
 ということなんだよ。」

そういうことなんだよね……と、このページを開いても涙がこぼれます。映画も小説も絵本もそれぞれひとつの作品として成立しているのに、それぞれが補い合うことで新たに生まれる感動がある。映画と小説と絵本──この“しあわせ”の3点セットは、コーヒーがもたらすしあわせな時間だけでなく、しあわせとは、しあわせになることとはどういうことなのかを教えてくれた、大切な大切な3点セットです。

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