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キレッキレでおりたいねん

エッセイとは何なんやろ?と考えた。
Google先生に「エッセイとは」と尋ねてみると以下のような文が並んでいた。

エッセイ
1.
自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。
2.
特殊の主題に関する試論。小論。
▷ 「エッセー」とも言う。 essay

自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文?それよりも「エッセー」の響きの方が気になって仕方がない。

文章を書いていこうと決意してから、私は文章を通して何を届けていきたいのかを考える日々が続いている。しっかりとした答えはまだ模索中の私が、「まずは、エッセイをマガジンにして書いていこう」と決めたのは、文章を書くことを習慣化させ私らしい文章の型を探すため。それに加えて、文字が苦手な友人が「文章っておもろいかも」と思うきっかけになるような、身近な話を届ける場を作れたらいいなと思ったからだったりする。

そんな私が文章を書き出したのは、実は今から22年前。中学一年生の頃。「キラキラ輝く中学ライフを過ごすんやぁ〜」と意気込んでいた私は、入学から1週間後にはクラスのあぶれ者窓際族になっていた。小学校卒業後の春休みのうちに、同級生は別人のように、少女から思春期女子に変わっていて、呑気に小学生気分が抜けていなかった私は取り残されてしまった。

そんなあぶれ者の私の唯一の友は、無印良品のノートだった。横書きのノートの向きを変えて、縦書きでひたすらポエムを書いたのが、文章の始まりだったりする。

黒歴史極まりないポエム学生は次第に、無印良品のノートをルーズリーフに進化させ、鳥肌が立つようなクサイセリフばかりを並べた妄想恋愛脚本家を経由し、進学後はガラケーで魔法のiらんどという簡易ホームページでブログを書くJKになっていった。時代も進化を続け、ガラケーはiPhoneに変わり、魔法のiらんどから個人ブログへと進化を遂げた。

現代のようにSNSが盛んではなかった当時、個人ブログはSNSのような役割をしていた。ブロガーと呼ばれるインフルエンサーのような存在が、日々ブログを通して自分の人生はいかに素晴らしいのか、素敵なのかを披露し、ランキングを競い合い、ブロガーに憧れた人達が紹介された商品などを購入するような仕組みが出来上がっていた。現代と対して、なんら変わらないのも何とも言い難いところではあるが、私もブロガーに憧れた1人だった。

企業はブロガーに商品を提供し、ブログで商品の宣伝をする。ブロガーに憧れた20代半ばの私は、「企業提供の商品が欲しいからブロガーになりたい」というゲスい思いを胸に抱き、コツコツ毎日ブログを書いていた。

コツコツ書き続けた私の個人ブログは、いつしかファンが付き、1日1万アクセスを超えるブログにまで成長した。しかし、当時はブログ戦国時代。企業提供などされるブロガーまではアクセス数が程遠く、頑張るぞ〜!と更新を続けていた時に事件が起こった。

「晒されていますよ」という文字とURLが記載された読者登録申請が私の元に届き、「晒す」という言葉を知らなかった無知な私は、そのURLにまんまとアクセスしてしまった。

そのURLの先は、アンチの方々の掃き溜めサイト。私のブログのタイトルでスレッドが上がり、あることないこと好き放題に心無い誹謗中傷がたくさん書かれていた。

アンチの方々に目をつけていただいたことで、私のブログのアクセス数は最大で1日6万アクセスを超えるまでになったのだが、当時の私は誹謗中傷を自身の力に変えるほどのメンタリティーはなく、心が折れてブログの世界から逃げ出してしまった。

その後も何度かブログを立ち上げ発信しようとするものの、折れてしまった心はそう簡単には立ち上がらず、気付けば私はアラフォーになっていた。

しかし、そんなブロークンハートのアラフォー女に今年予想もしていなかったことが起きた。折れた心で書いていた頃のブログを読んでくれた方と、直接お話させていただく機会が訪れたのだ。

その方は、私のブログを読み、感銘を受け「いつか直接この人と話がしたい」と何年も想ってくれていたことを、一生懸命私に伝えて下さった。

そのことがきっかけになり、企業提供の商品が欲しいというゲスい思いを抱いていた頃のような気持ちを微塵も抱かず、文章が人に与える影響力に美しさと可能性を感じた私は、何かを与えられるような存在を目指し、また再び文章を書き始めた。

しかし、改めてアンチの方々にお世話になったブログ時代を思い返すと、誹謗中傷自体には今も肯定は出来ないけれど、「当時の私は、叩かれて当然だったかも」と思う自分が、実は存在している。

当時の私は、それはそれはぶりっ子な文章を恥ずかしげもなく綴っていた。主語は、”私”ではなく自身の下の名前で、「今日はめぇーっちゃ楽しかったねん」みたいな小文字を混じえた言葉を好き好んで選び、その後には動くキラッキラッな絵文字を付け、彼氏(後の元旦那)とのラブラブ写真や何度も撮り直した盛れた自撮りなどを載せ、リア充感を必死にアピールする承認欲求の塊のような妖怪として自分の浅はかさを晒しながらブログを更新をしていた。

そんな当時の私を一言でまとめると、女子に嫌われる女。そんな嫌われ女を悪びれることも無く平然とやってのけていたので、「そりゃ叩きたくもなる人も居るよな」とアラフォーになった私は、アンチの方々の心情や生活などを勝手に想像してしまい、共感すらしてしまう。

しかし、素の私はコテコテの関西弁を標準語にする絵に描いたような典型的な大阪の女。

ガラガラ声でゲハゲハ笑い、コンビニで「おおきに」なんて言ってしまうようなオバチャンみたいな女が、まさかぶりっ子ブログを書いてるなんてあの当時、誰も想像していなかったのだろう。今となっちゃ、ファンでいてくれた方々や、アンチの方々にすら申し訳ないと思ってしまう。

ブログ時代の経験を通して、アラフォーになった私は偽ることなく自然な状態で文章を書いていきたいと思っていたりする。当たり障りのない耳障りのいい言葉や意見なんて柄じゃないから言えないし、偽ることで得られるものも、与えられるものもチープでしかないと思ってしまうから。

素の自分の本音の意見で、エッセイを書くならと想像してみると、数十分で20以上のエッセイのタイトルが出来上がっていった。そのどれもがキレッキレで、例えば「老害BBAになりたくなくて」「趣味マッチングアプリと言いたい女」「発達障害ロケンロー」などのタイトルが計画ノートに並んでいる。

そのタイトルたちを眺めて、他人事のように自分自身を見つめてみると「危ういな」と思ってしまうけれど、同時に「どんな文章がそこに広がっているんだろう」と私ならワクワクしてページを開いてしまうなと思う自分もいる。私は、いつだってキレッキレの本音に面白さを感じて生きてきたからだ。

それに、今月23日締切の「創作大賞2024」に、作品を2部門エントリーしようと計画していて、そのひとつがエッセイ部門。

自由に、気軽に、自分の意見を述べる散文。

私の自由さが、意見が、散らかり加減が、世間様にどこまで通用するのだろうか。不安もあるが、私が審査員ならありきたりな文章に魅力など感じないから攻めてみるのも悪くない。

応募締切までの短いスパンで、どれだけ文章のクオリティーを上げれるかという、一人仁義なき戦いを日々繰り広げている私の言葉の刀はまだまだ研磨途中。現在の斬れ味はいかがだろうか?

エッセイをエッセーと綴る精神力を持てば、今より斬れ味が上がる気がしてならない。

だが、今はまだない。

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