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傲慢と善良

小説を読みながら
咽び泣いたのは初めてかもしれない。

辻村深月さんの「傲慢と善良」という恋愛ミステリー小説を読み終え、読書感想文という名目でこのnoteの執筆をする。スマホで入力していくのに執筆だなんて小説家気取りで可笑しい。

すぐに感化されてしまう自分だからこそ、今感じる様々な気持ちを表現せずに終わってしまったら、きっと後々後悔してしまうから読み終えて直ぐにこのアプリを開いた。

「傲慢と善良」という1冊の本と出会った女の恋のエピソードと心の内をお楽しみ頂けたら幸いです。(第四章にて 一部ネタバレを含みます)

第1章 コインランドリー

深夜、ほろ酔い気分で家路に向かう。

自宅から5分のところのスナックで週に2、3回アルバイトをしている私の帰宅時間はいつも真夜中だ。

あの日は土曜日。
よく覚えているのは、帰宅途中の道にあるコインランドリーで、お世話になっているスナックのママの息子を見つけて声をかけたからだ。

「あ!𓏸𓏸君 なんしてんの?」

見れば分かることを茶化すように平気で言ってのけたのも、私は彼の存在に気がついて自動扉を開ける直前にいつものキャラを作りこんだからだ。

あっけらかんとした物言いと屈託ないの笑顔で、箸が転んでもおかしいとケラケラと笑う。

これはお決まりの私のキャラ設定。

あたかも生まれつきの根明でバカな女のように振る舞うのは、見せたくない自分を無意識に守ってしまうから。そんなことを知ってか知らずか、ママの息子はいつも通り飄々(ひょうひょう)としていた。

「明日出かけるから、洗濯しに来た」

すんと澄ました表情のまま聞き取れるか怪しい音量でボソッと一言だけ話すのも、いつも通り。


-私は彼のことが苦手だ。

私の見てきた彼はいつだって自然に見えた。
私のようにわざとらしく笑うこともなく、無理に話を合わせることも無く、興味のない話題には平気で存在感を消して 無言でその場に君臨する。そのくせ自分に関わることになると、気の利いた言葉をほんの数量話すだけで、人の心を掴み その場を支配してしまう。

そんな彼に、私も場を支配された瞬間がある。

スナックで働き始めて数回目の時、ママに彼を紹介された。週に何度かお店を手伝いにきてくれていると、無邪気な少女のように嬉しそうに話すママとは対照的に 斜に構えた態度とほぼ無表情で挨拶するのが印象的だった。

その日の営業後、ママと息子と私の3人でママの行きつけのBARで飲むことになった。

話の流れだったのか、意図的に仕組まれたものだったのか 真実はわからないけれど、話はどんどん深いところまで入っていった。

議題は、『私が何故この店に来たのか』

そんな話題になったのは、私がこの街で 同じ業態で店を営む、とある店の娘だからだ。

私の住む街は、人と人との距離が近い。街と言うより村のようで時代錯誤の人間関係が当たり前のような場所だ。特に、夜の世界で生きる人間たちはその傾向が強い。

どこの店の誰が、誰と寝たみたいな話なんて 油断して口にした日には、数ヶ月もすりゃどこでも知られていると思ってもいい程にこの街は噂好きだ。

そんな街でスナックを営む母の元で働いてきた私が、とある店の娘ということを黙って面接を受け採用になったのが、今お世話になっているスナックだ。

出勤初日にママの行きつけのお店が 過去に私が何度もお世話になった場所だと分かって、隠しきれないと観念して事実を自ら打ち明けた。

-母の店では 働けないこと。
-今後も 戻れないこと。
-働けないのは、私が原因だということ。

詳しい内容は、話したくなかった。
むしろ話す訳にはいかないと思っていた。

過去の自分の行いがあまりに幼稚で、そして一歩間違えたら 檻の中に入っていてもおかしくないほどに常識外れの選択だったから。

そんな気持ちを無視するかのように、

「熱意は伝わるけれど、本当のことを言わないからママは不信感が拭えないんだと思う」

とママの息子は前のめりの姿勢で、私の目をじっと見つめ平然と言ってのけた。
言っていることは「ごもっともだ」と思ったと同時に、無性に怒りが湧いた。

そんなことを言われたら打ち明けない訳には、いかない。言わないということは信用していない証になり、結果的に私が彼らから信用されない存在になる。選択肢は、無数にあるのだけれど必然的に”真実を話す一択”しかないようにされた感覚になり、とても不愉快だった。

まるでお前は仲間なのか?スパイなのか?
と聞かれているような気分だったから、自然に怒りが込み上げてきてしまった。

母を想い 立場上本人が言えない言葉を代わりに言ってのける 彼の優しさを まざまざと感じたけれど、目の前の私の気持ちを平然と足蹴にする残酷さが許せなかった。

「この人はエモーショナルな人だから」

自身の母を、エモーショナルと言う言葉で表現した感性には天晴としか言いようがないほど感心したけれど、その言葉の裏には「だから、わかってあげてほしい」という本音が隠れているように感じ、なんて傲慢な押し付けをしてくるんだと思った。

しかし、私自身も一児の子を持つ母。
彼とママの関係を母親の視点で見てみると、羨ましいとも思った。

我が子がこの青年のように私のことを「エモーショナル」なんて情緒溢れる言葉で表現してくれるだろうか?私自身は、母をそう表現出来るほど受け入れているだろうか?

母と子の視点を瞬時にぐるぐると展開させていると、彼と自分が重なってみえるタイミングがあり、彼がこの言葉を発するまでに、様々な葛藤をしてきたんだろうと察した。

母という存在をまるごと受けいれるまでの日々を想像すると痛いげで純粋に母を愛しているのだと感じ、そんな彼を尊敬し、深く嫉妬した。

-彼が心底、苦手だと思った。

私が喉から手が出る程 欲しいものを持っている彼が疎ましいと同時に、羨ましくて 腸が煮えくり返りそうなのに、矛盾した気持ちが湧きあがった。

-彼のことをもっと知りたい。

そんな気持ちを抱いていたからか、コインランドリーで彼を見かけた時、胸が高鳴った。この気持ちに気づかれぬように、一生懸命作りあげた偽りのキャラクターの仮面を被る。

「あ、そうやったね!ママから聞いたわ!」

忘れていたような口振りで言葉を発したけれど、次の日 彼が朝早くから出かけることなんて知っていたから、コインランドリーに何故いるかも分かっていた。

それでも、彼に声をかけたのは、コインランドリーの店内にいる彼が、まるでドラマのワンシーンかのように見えて、チャンスの神様がくれたギフトのように感じてしまい、何事も無かったかのようにその場を通り過ぎれなかったからだ。

気づかないようにしていたけれど、この時には既に私は、彼を異性として意識し始めていた。

第2章 とあるBARでのこと

コインランドリーにいた時間は、ほんの数分。

異性として見ているなんて知られる訳にはいかないから、酔っ払ったフリをしてその場をそそくさと退散した。

そのまま家に帰ることも出来たけれど、ソワソワした心をどうにかしたくて、コインランドリーから200m程歩いた先にある BARの扉を開けた。

カラッとしているけれど優しく落ち着いた声で
「いらっしゃい」とマスターが声をかけてくれる。

-私はこの場所が好きだ。

噂好きな村で、このBARだけがマトモだとすら思っているほど、マスターをもちろんのこと、お客様も知的で落ち着いた常識的な人が多い。無駄に騒がしいわけではないのに、笑い声が絶えないこの場所は、私の心の拠り所になっている。

この店に初めて訪れた日。

当時の私は、色んなことが度重なって心身共にボロボロで常に心の拠り所を探し求めていた。

そんな状態の私を見兼ねたのか、

「たまには飲みに行ってきたら?ママも1人でゆっくりしたい時あるやろ?お留守番できるし。てか、寝るし。」

まだ小学校の中学年だった娘が、声をかけてくれた。まだまだ幼い娘を1人置いて飲みに行くなんて出来ないと、思っていた私にとってその言葉は、何よりもの救いだった。

しかし、さすがに遠くへなんて行けないと思った。すぐにでも帰れる場所でなければ、罪悪感と後ろめたさで、自分自身が落ち着かない。

そんな思いを抱え、あの日扉を開けたのが
家から30秒の距離にある、このBARだった。

以前から存在を知っていて、気になってはいたけれどなかなか勇気が出ず、お店の扉を開けるまでに約3年もかかってしまった。

けれど、ここなら子供を置いて飲みに出ている自分のことを許せると感じたし、世間からも少しは許してもらえるんじゃないかと思って扉を開けた。

そしてあの日の私はこのBARで、大猫かぶり。

大人しめに ふふふと笑い、いつもよりゆっくりめに身体を動かす。か弱くて、ぞんざいな扱いをされない女の子のキャラクターを瞬時に体現してしまっていた。

私は、いつだってそうだ。

場所や人によってコロコロとキャラクターを変えていく。求められているものは何なのか、その場に合う存在状態を反射的に作ってしまう。
それは、極度の人見知りと人間不信だからだ。

初めてこの店を訪れた時も同様。
場所見知りと人見知り、人間不信から自己防衛するために大猫かぶりだった。

そんな私を知っているのが、
マスターとユウスケ君。

「りえちゃん、最初と雰囲気違うもんね」

と茶化すように笑うユウスケ君は、このBARの常連さんで私が初めてここに来た日にもお店にいて会話をした2つ下の社会人。

その後、何度も顔を合わすようになり今ではユウスケ君と遭遇するとテンションが上がってしまうほど、私が気を許している存在のひとりである。

今年に入りユウスケ君と私の心の距離が、グッと近くなったように感じている。

-最近の議題は、もっぱら「恋活と婚活」。

お互いの活動状況をシェアするうちに、まるで同志のような感覚になった。ユウスケ君を見かけると「ブラザー!」と呼びかけ、隣に来いとばかりに椅子をポンポンと叩く。少し気まずそうに、横の席に彼が座ると私はいつも嬉しくて仕方ない。

「最近どう?」

いつも、どちらからともなく自然に会話が始まっていく。最近の何気ない出来事や素晴らしいと感じた本の話、気になるアート展のことなど感性の交換をしたり、マッチングアプリで出会った異性の話や、オススメのアプリは何なのか恋愛話に花を咲かせたり、心のことや家族のことなどプライベートなことまで、何だってユウスケ君には話せてしまうようになった。

時に、ユウスケ君の顔面が引きつってしまうほどの女性目線のリアルな意見や本音を言ってしまうほどユウスケ君の前では、油断して無防備な自分でいられる。

-私は、ユウスケ君を気に入っている。

だけど、決して、お互い連絡先を聞こうとはせず、偶然タイミングが合ったその夜、この場所だけで前回の話の続きを展開し、時間と心や考え方を共有するだけ。

そこが、なんとも言えないほどロマンティックで、そしてエモい関係だからこそ、私はこの関係がたまらなく好きで気に入っているし、ある時ユウスケ君の口から「友達」と言ってもらえたことが嬉しかった。

「深入りしないからこそ築けている関係だから良いんだ」と思うようになれたのも、ユウスケ君とこのBARのおかけだ。

年齢とともに人間関係が複雑になる中で、大切だからこそ言えないことや、タイミングによっては親友にすら「まだ打ち明けられない」と思うことも増えてしまったアラフォー女にとって、この場でしか存在しない関係が、楽であり尊い。

残酷な言い方に言い換えてしまえば、嫌われてしまっても仕方ないと諦めがつけやすく、最悪この場に行かない選択が自分の手の中にある。その安心感が、私をことある事にBARへと呼び寄せる。

いつだって辞められるからこそ、飾らない自分でいれるこの場所が、どこよりも心地よくて社会の中で息がしやすいと感じる場所になった。

第3章 急展開と一冊の本


マッチングアプリで何度、異性とデートをしてみても、これと言って心に引っかかる人がおらず、少し良いかもと思って進展しようとしてみたら毎度、肩透かしを食らう。

そんな日々を送っていた私は、この夜もママと息子と3人で飲んで乱れていた。

「ママ〜私、もう恋愛できへんかもしれーん」
「アンタは、恋に恋してるからやん。ほんと1番うちで女やわ!」

そんな会話をママと交わしている私の横で、彼は今宵もあっけらかんとマイペース。しかし、冗談なんかも言い合える程の関係になりつつあって、以前ほど苦手と思うことは減っていた。

「あん時、𓏸𓏸とか言うなし!」

スナックの営業中に彼が私をいじったことにツッこみをいれると、フッと鼻で笑いながらまた私のことをいじるように一言ボソッと彼が呟き、またツッコミをいれる。まるで、子猫の兄弟のように言葉で噛みつきあいじゃれ合っていた。

その様子を向かいの席から見ていたママが、

「𓏸𓏸ちゃんが孫やったらいいのに…」

なんて言葉を言うからドキッとした。
𓏸𓏸ちゃんとは、私の娘のことだ。

ママは時折、こうして意味深なこという。
「りえ、息子のこと押し倒してもうたって!」
と何度言われたことだろう。

だけど、今までは「そんなこと恐れ多くてようしませんわ!」と笑い飛ばしていたけれど、この日は妙に彼を意識してしまっていたから、その発言だけは勘弁してくれと思った。

彼は、この日出勤してすぐ私の手を見て
「ネイル変えたんや」ってボソッと呟いた。
その一言に、無駄に意識してしまう。

-私は、ちょろい女だ。

そんなところ見てるなんて思いもしなかったのと、そもそも私に興味なんてないと思い込んでいたから予想外の言葉に心が持っていかれてしまっていた。そこに追い打ちをかけるように、ママのこの発言があった。

期待なんてしちゃいけないって思いつつ、今日しかチャンスはないと感じるような不思議な感覚に揺れ動いていたら、帰りの方向が同じなので流れで2人きりなった。

ただ真っ直ぐ歩いていけば、ある分岐点で左右に別れる。そこまで彼と同じ時間を過ごすことが出来たらいいなくらいに思っていたのに、彼が直前で左へ曲がった。

あと数100m歩けば分岐の場所に出るのに、彼が左に曲がったことで、共にいる時間が必然的に伸びる。一瞬違和感を感じたけれど、今しかないと思って冗談っぽく彼に声をかけた。

「飲み行く?」

彼と2人で飲むのは2度目だった。

1度目の時も、実は口説こうとしていた。そんなこと恥ずかしくて口が裂けても誰には言っていなかったけれど、あの時は華麗に交わされたと言うか、口説く隙すら掴めなかった。

飲みに行った後、少しでも距離が縮まればとLINEを送ってみても他人行儀な返事と既読スルー。未読スルーも既読スルーも大嫌いな私にとって、あの時も地味にキツかった。

だけど、今回はお酒でほろ酔いになってたこともあって、大胆に思っていることを吐き出した。

何を話したかは具体的に覚えていないけれど

-私が、君に気があるということ。
-生半可な気持ちでは君には行けないこと。
-だけど、君に近づきたいと思っていること。

その気持ちをお酒に力を借りながら、彼にぶつけた記憶はある。しかし、その時の彼の表情を思い出せない。

きっと怖くて仕方なかったからだ。

気持ち悪がられてしまうかもしれない。
今の関係が壊れてしまうかもしれない。
仕事での立場が なくなるかもしれない。

そんな気持ちを抱きながら、想いを伝えているのに表情を覚えておく余裕なんてない。怖くて怖くて仕方ないのに、あの時の感じた衝動は”恋は盲目”以外の何ものでもなかった。

それに、彼が長年想いを寄せている元カノがいる、なんて話を何度も嫌という程、耳にしていたから相手になんてされないと思っていた。
それなのに、ことは動いた。

-男と女なんて単純なもんだ。

女がプライドを捨て勇気を振り絞りさえしてしまえば、男と女になれてしまうのだから。怖いのに、決して行っては行けないと分かっているのに止められなかった。虚しくて悲しくて「もう戻れない」のだと悟った。

それからというもの、何度だってバカみたいに彼の元にかけていった。バカなフリを続けることを私は選び続けた。

まるで恋人のように甘い時間が過ぎていく。
そして、今までの私だったら例え恋人でもカンタンには許さないことを平気で許し続けてしまう。そんな自分が許せなかった。

彼は、都合のいい時だけ私に近付いてきた。
普段は何の音沙汰もない。既読スルー。

それが何故なのかなんて分かってた。彼が私に興味をもつ部分は、女である部分でしかなくて、これ以上の関係になるつもりなんてはなから無いからだ。だから、私が辞めるって決めたらこの関係はカンタンに終わってしまう。

私は彼の前では何度だって口を噤んでしまう。
ユウスケ君と話している時ようにお喋りな私はどこにも居ない。本当は言いたいことなんてとめどない程、湧いてきているのに私はまた偽りのキャラクターを演じてしまっていた。

-都合のいい女。

都合のいい女は、余計なことは言わない。余計な連絡だってしない。呼ばれりゃ騙されたフリをして、何度だって女になる。白黒なんてつけようとしない。そんな女を、演じ続けた。

だけど、心は何度も叫ぶ。


「あんたが好きな女は私じゃないんでしょ?」
「何が一途なの?笑わせないで」

「どういうつもりで、今こうしているの?」
「なんでコソコソしなきゃいけないの?」

「なんの覚悟もないくせに」
「私の名前すら、まともに呼ばないくせに」

彼は気づいているのだろうか。
私が、とんでもない女だと。

覚悟ができた時、相手を平気で壊してしまうほど何だってしてしまう残忍な女だと。気付いているから踏み込ませないのか、気付いていないからそんな態度を続けられるのか私には分からない。

私の中にある狂気性を表現することなく”善良で居たい”と思う自分が、必死に「噛み付くな」と私がまるで猛獣かのように手網を引いていた。

そんな自分を見せたくないと思う私の中にあるこの”弱さ”や、自分の心持ちを変えてしまえば止められるかもしれないと思っている”浅はさ”を、私はユウスケ君に打ち明けた。

そんな私の話を聞き終えて、
ユウスケ君は、一冊の本を勧めた。

「傲慢と善良」

タイトルだけで胸が張り裂けそうだった。まるで、今の私にピッタリだと言われているような気持ちになって逃げ出してしまいたかった。

「この本に出会って、気付くことが多かった」

「普段何冊も本を読むし速読だから読み終えるのが早いけど、この本は数日かかった」

「マッチングアプリをしていたからきっと共感すること、胸に刺さること多いかもよ」

話の合間合間で自然に私の名前を呼びながら、会話を進めてくれるユウスケ君の表情は、この本の話をする時はどこか痛いげで、だけど何かを吹っ切ったように清々しい顔をしていた。

そんな風になりたくて、
私はこの本を読んでみると決めた。

第4章 傲慢と善良

小説を読むのは、いつぶりだろう。

学生時代は毎日のように授業中に本を読んでいた。当時、小型叢書本や中古本が嫌いで毎週のように本屋に行ってはハードカバーの単行本を好き好んで買っていた。

35歳にして、手にした小説はあの時とは違って手によく馴染むのだと気付いたことに、時の流れを感じた。

ブックカバーを外し「今から読みますよ」と本とコミュニケーションをとるようにペラペラとページをめくり、そっと1行目の言葉たちを体の中に入れていく。

”夜の中を、彼女は走っている”
”街頭に乏しい深夜の住宅街の闇の中を、せめて明るい場所に出るまでは、と休まずに全力で”

「傲慢と善良」著:辻村深月

私は、冒頭の何行かで心を掴まれてしまった。
その理由を上手く言葉に出来ないけれど、心の奥から何かが吹き出し始め、胸がいっぱいになる。

-私はとんでもない作品を読み始めてしまったかもしれない。

このお話はどうなっていくだろう?と先の展開が読めない描写に期待感と、なんだか今まで持っていた価値観をぶっ壊されてしまうんじゃないかという恐怖で少し身体が震えていた。

小説の冒頭、一人の女性(真実)が息を切らしながら走りタクシーに乗り込み「家の中にストーカーがいた」と、交際相手の男性(架)に助けを求め電話をする。

”私を助けて”

その言葉で締めくくった後、第一部が始まる。

第一部は序盤でストーカーから逃げていた女性が突然失踪し、女性を探す男性が描かれ続ける。そして、第二部から女性目線でのお話が展開されていく二部構成の恋愛ミステリー小説。

第一部を読み切るまでに
実は、数週間かかった。

ユウスケ君が言った通り、自分と重なり胸に突き刺さる言葉がそこには羅列されていて、読み進めたいのに、読み進めたくないそんな気持ちでいっぱいになった。

私の中の薄汚くズルい傲慢さが、そのまま描かれてしまっているような言葉が次々と目の中に飛び込んできて、「これ以上見透かされたくない」と思ってしまうほどに痛かった。

特に、男性主人公(架)の友人女性が言ったセリフが印象的で、死んでやろうかと思うくらいに突き刺さる言葉ばかりだった。

「あの子と結婚したい気持ち、今、何パーセント?」
「七十パーセントくらいかな」

「傲慢と善良」 一部 第二章

「今私、パーセントで聞いたけど、それはそのまま架が真実ちゃんにつけた点数そのものだよ。架にとって、あの子は七十点の彼女だって、そう言ったのと同じだよ」

「傲慢と善良」一部 第二章

「だって、架、たとえばアユちゃんだったら百点か、百二十点をつけたでしょ」

「傲慢と善良」 一部 第二章

この小説を読み始める数日前まで、マッチングアプリで私は架と同じようなことをしていた。

わざわざ言葉にはしないけれど、まるで採点するようにマッチングアプリで出会った男性をじっと観察して心の中で減点と加点をしていたのだと自分の浅ましさに気づき、嫌気がさした。

その浅ましさをまざまざと見ろ!と言わんばかりに畳み掛けるように場面が展開され、第二章の結婚相談所を営む女性の言葉がまたしても私の心にベトりと張り付いた。

「ピンとこない、の正体は、その人が、自分につけている値段です」

「傲慢と善良」 一部 第二章

「値段、という言い方が悪ければ、点数と言い換えていいかもしれません。その人が無意識に自分はいくら、何点とつけた点数に見合う相手が来なければ、人は、”ピンとこない”と言います。-私の価値はこんなに低くない。もっと高い相手でなければ、私の値段とは釣り合わない」

「傲慢と善良」 一部 第二章

「ささやかな幸せを望むだけ、と言いながら、皆さん、ご自分につけていらっしゃる値段は相当お高いですよ。ピンとくる、こないの感覚は、相手を鏡のようにして見る、皆さんご自身の自己評価額なんですよ」

「傲慢と善良」 一部 第二章

頼むからそれ以上言わないでくれと思った。マッチングアプリでの出来事を面白おかしく話していた いつかの私を全否定するような文章たちが胸に突き刺さって立ち上がれない。

-自己評価額が高い
-自己愛が強い

やめてくれーーー!ホントのことは言わないでくれ!そう叫びたくなる。現に恋活をすると決めた日から、たくさんの人とデートをして何度も思ったことがあった。

「私とこの人は釣り合わない」

なんとも失礼で傲慢すぎる気持ちをずっと胸の奥で隠し持っていた。でも、その傲慢すぎる気持ちは、きっと私の言葉の端々に現れていただろうと思い返すと恥ずかしくて死にたくなった。

でも、どこかで、皆そんなもんだろう。とも思っていた自分もいた。マッチングアプリに限らず、男女であろうとなんだろうとそんな部分は誰でも持ち合わせているじゃないか。

開き直りに似た気持ちを抱きながら、小説を読み進めていく度に、男性主人公の架の気持ちに何度と共感した。

どちらかと言えば私は架のように”選び”生きてきたタイプだったから。

しかし、元カレと別れ、ふと現実を見た時。

自分の恋愛市場での肩書きが「35歳。バツイチ子持ち」であると気付き、焦って動き出したけれども、何度もピンとこないを繰り返してきた。

自分の世間一般的な価値なんて、とんでもなく低いことなど分かっていたはずなのに知らず知らずのうちに相手を値踏みして、傲慢に見下している自分に気付いてバチが当たるような気がした。

男性主人公の架と同じようになってしまう瞬間があるかもしれない。いや、現にあったんだ。
傲慢に生きてきた結果、この人だと思った人は二度と目の前に現れなくなってしまった。

-私の傲慢さが招いたことだったのか。

と過去の恋愛の失敗した原因に今更、気付いてしまったのも情けなくて堪らなかった。

そんなことを思いながら第二部に入ると、女性主人公(真実)にも酷く共感してしまう。しかし、一章に入る冒頭での内容は同性である私でも恐ろしかった。男性ならどう思うのだろう?と思った。

第二部で女性主人公 真実が助けてと言った言葉の伏線回収されるのだが、他責にまみれた言葉尻と、ドラマティックに物事を進めるその姿に妙に腹が立った。

腹が立つのは、自分と重なるからだ。
客観的に見た真実を何度も「メンヘラじゃねーか」と思ったけれど、私によく似ていて第二部の一章の序盤なんて、私の心の動きを盗み見られているのかとすら思った。

そんな真実の気持ちの描写で、特に印象的だった一行がある。

相手とキスしたいと思えない、という理由だけでは断ってはいけないのか。

「傲慢と善良」二部  第一章

ほんとよく言ってくれた!と思った。

どれだけ相手の男性が善良な人だとわかっていても、キスしたいと思わなきゃそれ以上になんて進めやしない。だけど、そう思ってしまう自分がいけないんじゃないかと思う日だって沢山あった。

キスした瞬間「ないわ」って思ってしまうこともあって、そんな自分を「なんて嫌な奴なんだろう」と思った日もあった。

だから、女性主人公 真実のこの言葉は「同じことを思う人がいる」のだと安心感からの共感だった。

本当に辻村深月さんという作家はどこまでも感情描写が細かい。様々な角度から共感を刺激してくる、それは時に温かくて、時に驚くほどに痛かった。

小説も残すところ100ページを切り、終わりが見え始めた中で予想もしない言葉が登場した。

「あんだら、大恋愛なんだな」

「傲慢と善良」二部 第三章

この言葉を見た瞬間、涙が止まらなかった。
たった一言。ほんと何気ない一言だけれど、その何気なさや飾り気のない言葉が私の心をそっと包み込む。

まるで、泣いている私を微笑みながら何も言わず抱きしめるようなそんな言葉だった。

もしも、今の私がこの言葉を直接何気なく言われてしまったら小説を読んだ時のようにきっと泣き崩れてしまうだろう。

自分が一歩踏み出してしまったばかりに、始まってしまった彼との関係に本当は酷く胸を痛めていて、自分のことを情けなくてだらしない奴だと無意識に責めていたことすら気付いていなかった。

自分が悪いことなど気づいているつもりでいた、はたから見たら「やめればいい」だけのことだとも知っていた。

この小説が痛いくらい刺さったのは、、架が真実につけた点数と同じように私は彼にとって100点の女ではないと知っていたからだ。

そんな私がこの関係に名前をつけてしまったら、彼が元カノに120点を付けていると自ら認めてしまう気がしてずっと目を逸らし続け「これは、恋とは呼んではいけない」と無意識に否定していたからだ。

「渦中さいる本人だぢは大変なんだろうげっと、わたしがら見っと素晴らしいとしか思わないわね、大恋愛な」

「傲慢と善良」二部 第三章

そうか…。その視点を忘れていた。と安心したようにまた涙がポロポロこぼれ落ちた。

-当事者の私は大恋愛の渦中にいる。

一喜一憂する感情の波に飲まれて死んでしまいそうだと思う日も、いっそ何も感じないようにしてしまいたいと投げ出したくなる日も、誰かにとっては、それも素晴らしいもの。

恋人の愚痴を言い泣いている友人を見て「ほんと羨ましいよ、私にはそんな風に思える人なんか居らんねんで」と励まし続けていたあの日の私は、本当に友人を羨ましいと思っていた。

そして、現在の私はあの日泣いていた友人のように大恋愛の渦中なんだ。なんて尊いのだろう。

そして、とてつもなく傲慢だ。

羨ましいと思っていたはずなのに「こんなの嫌だ」と今は必死に駄々をこねているのと変わらないから笑ってしまった。

そして、小説はラストに向かって静かに、しかし着実に、畳み掛けてきた。物語にどっぷりと浸かっていたせいか、「傲慢と善良」の世界の中に私は確かに存在していた。

そこにいるはずがないのに、手に取るように目の前に景色や匂い、音までが聞こえてくる。

架が真実に告げた ある一言に、
私は咽び泣いてしまった。
私はその瞬間、確実に真実だった。

-私は、この言葉をずっと待っている

そのことに気付かないフリをして生きていくのは無理なんだな悟った瞬間でもあった。

自分自身と架や真実を重ね、小説を読み終えた後に私はあの日のユウスケ君と同じような顔をしていた。

-どこか痛いげで、
  だけど何かを吹っ切ったように清々しい顔

小説を読み終えて、私は今の自分のことを少しだけ誇らしいと思えるようになっていた。

エピローグ

恋活も婚活も辞めました!とSNSで高らかに宣言し、「オンナ35歳の恋愛感。」では、そうなった経緯を事細かく自己開示し、待ちぼうけることを選ぶことにしたと綴った。

そんな私は、たしかに恋活を辞めた。

-私は今、ただ恋をしている。

恋は痛くて甘い。

まるで、口の中でパチパチと弾ける飴玉みたいだ。痛いなーと思いながら、面白いとも思っていて甘いから何度だって食べたくなってしまう。そんな矛盾した感情ばかりを繰り返してしまう自分を受け止めさせてくれた小説。

「傲慢と善良」


小説を読み終え、このnoteを書き終え
気づいたことは、私は善良ではない。

時に、小説に登場した女性たちのように嘘をついてしまう。そして、きっとこれからも「善良になりたい」と思う傲慢さも持ち合わせていくのだろう。

それでも、恋を「恋だ」と素直に言えるようになった心が今存在している、その事実だけで「善良かも知れないな」と思ってしまう。

これまた、傲慢なのだ。

そして、女性主人公のように
女には勇気と大胆さも必要だ。

まさか私の恋する彼は、自分との恋模様を赤裸々に書かれてしまうなんて思っていなかっただろう。しかし、きっとこの記事を読んでも、彼は飄々と受け流すだろうな。

彼もまた、傲慢なのかもしれない。
それすら、愛おしい。

彼も私と同じように、誰かに恋する存在なのだから仕方あるまい。私は色々と諦め開き直ってしまった。

恋は、いつだって傲慢でしかいられないのかもしれないから。

だけど、今私は思う、”それでもいい”と。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

-あなたは、恋をしていますか?

恋が何か分からなくなった時
恋の痛さで胸が張り裂けそうな時
是非とも、この書籍を手にして欲しい。

きっと今の私のように痛いげだけれど、何かが吹っ切れたような清々しい顔をあなたもしているだろうから…。

-RIEROOM(理永)
午前五時半の朝焼けを眺めながら愛をこめて。

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