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オンナ35歳の恋愛観。

どうも、RIEROOMこと 理永でございます。

この記事を開き貴重なお時間を使い読んでくださっていることに、心から感謝申し上げます。

せっかく時間を使い読んでいただくのですから、この記事で何かしらを感じてもらえたら嬉しいです。それは共感でも、反面教師でも何でもいい。欲を言えば、私はあなたの心に足跡を残したい。

恥ずかしい自分の内面や過去を赤裸々にさらけ出す自己開示だからこそ欲深く何かを望んでしまう。35歳の初夏。

約7000字、お付き合い頂けると幸いです。

第1章 弱者と強者

私は恋愛弱者だった。

高校生になるまで驚く程にそれはそれはモテてなかった。失恋16連敗の連続記録を持つほどに、私は恋愛のセンスなんて1ミリも持ち合わせていなかった。

何より今思えば、子供の頃から「恋に恋するタイプ」で些細なことで好きになってしまう惚れっぽい気質と、好きな気持ちを表現せずにはいられない衝動的な性格、暴食を重ね膨らみきった身体が失恋16連敗という記録を生み出したと言っても過言では無いと思っている。

そんな恋愛弱者だった私が、恋愛とはなんぞやと悟ったのは中学時代。好きだった人の何気ない一言がきっかけだった。

「なんか、おっちゃんみたいやな」

その当時の私は、服なんて着れれば何でも良くて保温性を重要視し40歳過ぎの父のお下がりのトレーナーを気に入って毎日のように着ていたのだけれど、その服装を見た彼がこぼした一言に酷いカルチャーショックを受けた。

そして、「異性が求めているのものはコレか」というひらめきに近いものを感じた。

それからというもの「モテ」というワードがつくものを食い入るように見漁り、男ウケを狙うがごとくダイエットに励み、メイクにファッション、立ち振る舞いや言葉使いまで研究に研究を重ねた。言葉を発するだけで赤面し固まってしまっていた女がモテるオンナになる為にあの手この手を使って経験値を上げる日々を過ごしていった結果…

20代はそれはそれはモテた。

街を歩けば「連絡先を教えてくれるまで離れない」なんて言われもしたし、メール一通送ればアッシー君もメッシー君も満面の笑顔で秒でやってくる。告白なんて日常茶飯事。毎月お金を振り込んでくるような人すらいる。
そんな日常を送っていた。

あの当時、私は恋愛強者だった。

若さという最大の武器を片手に、欲しいと思うものは何だって手に入れていた。文句を言うオトコなんて気にしなくていいほど、次から次に選択肢が湧いていたから、ワガママ自分勝手がテンプレートいつだって姫扱い。

失恋を繰り返していたあの日の私は、もうそこには居なかった。手を握られても手汗ひとつかかず、ゲームをするかのように俯瞰的に恋愛を攻略していくだけ。しまいには、キスだけで男性の夜の技量まで大体わかるようになってしまった。

恋愛は惚れたら負けの攻略ゲーム。心を奪えたら攻略完了。あの当時、私は人でなしだった。

男性を人として扱うことのない狩人のような存在だった。失恋16連敗の悲しみは、いつしか悔しさに変化していたようでオトコに復讐し続けるバケモンと化していた。

第2章 目の当たりにした現実

モテることを学び続けた私の日々は、オトコを落とすまではいつも勝ち戦だ。

だけど、次第に問題点も浮上した。

私はモテ以外はびっくりするほどポンコツだった。なんせ人を人して一切見ておらず、相手の気持ちなんて1ミリも分からない。むしろ興味すらなかった。

付き合うことができても交際はいつも続かない。3ヶ月もすればオモチャに飽きるように交際相手をポイッと捨てて、次に乗りかえた。

失恋を繰り返していた当時の私が、本当に夢見ていたのは、モテることよりも「末永く続く相思相愛」。それなのに本来の目的を忘れ、誰かを好きになることよりも、狩人と成り果てていたのだと気づいた時、1人の男性が目の前に現れた。

彼は、私に興味がなかった。

常日頃、男性にチヤホヤされていた当時の私にとって彼は新鮮でしかなかった。いつも私が目の前にいればオトコたちは、ご機嫌を伺い甘い言葉を囁きタイミングを見つければ「今だ!」と叫ばん勢いで猛プッシュ。

それなのに、彼だけは一向に口説く気配もなければ、ホテルに誘う素振りもない。ただ横にいて、無関心だった。

そんな彼が不思議でたまらず、「チーズバーグディッシュ食べに行きませんか?」と私から声をかけたことがキッカケになり、出会いから3ヶ月後には彼と入籍していた。

お腹には彼の子を宿し、末永く続く相思相愛を手に入れたような気になって「幸せとはこのことか!」と至福に包まれていた矢先…

彼の素行が乱れ始めた。

ことある事に出会い系サイトで女性と出会い、ひたすら口説き続けるという謎の行動。

1回目の時は「遊びたかったのね、ごめんなさいね」と現金を机に置いて「祝福してくださった人に申し訳ない」と私は泣いた。そんな私を見て、彼は涙ながらに謝罪した。

3回目の時には「あなたは病気なのかもしれないね」と笑った。そして彼は「病気だわ」と言うので関係を続けるために妥協案を提示した。

5回目の時には乳飲み子を連れて家を出た。彼は私たちを探すことなく家でイビキをかいて寝ていた。そんな彼を見て怒りが湧いた。

8回目ついに、堪忍袋の緒が切れた。
彼がした以上のことをしてやると宣戦布告して私たちは仮面夫婦になった。

彼と結婚をすると決めた時、この人だけを愛し支えていこうと決意したんだ。

苦手な早起きも彼のためなら5:30に起きることができた。毎日お弁当を作って、時にラブレターも添えて大好きを表現し続けた。

給料日には「ご苦労さまでした。ありがとうございます」と頭を下げ、寝坊をしてしまったら「起こせなくてごめんなさい」と謝った。友人や家族にも彼を大好きでいて欲しいからと、彼がしてくれた嬉しかったことだけを話し続けた。

だけど本当は、不満しか無かった。

生活がままならないから共働きで仕事をしていたのだけれど私が帰ってきても「お疲れ様」と1度も言われたことがなかった。起こせなくてごめんと伝えた言葉には「いいよ」と返ってきていたが、自分で起きろよと思っていた。

問題が起きても話すら出来なかった。部屋の扉を閉めて全てを遮断してしまうことも、私が泣いていてもなんの反応もなく ほったらかしなことなんて言えなかった。

言葉でも態度でも愛情表現なんて一切しないのに自分の都合で人形のように私を処理に使うことなんて口が裂けても言えないと思った。

結婚生活3年目で、彼と私は他人に戻った。
いい所しか周りに伝えていなかったから離婚が決まった時、家族も友人たちも私を責めた。

「あんないい子はいない」
「あんたが全部悪い」

末永く続く相思相愛を夢見ていた私は、初めて現実とはなんなのか知った。その時には、未来もオトコも何にも信用出来なくなっていた。

愛したって無意味だと思った。

第3章 依存

シングルマザーになってすぐ恋人ができた。
バツイチで前妻に子供がいる2個下の男性。

彼との日々は、約5年。

何にも信用出来なくなっていた頃に出会い、燃えるように恋をした。母親であることを忘れ、ただオンナとして愛される喜びに溺れた。


”相思相愛になりたい”


そんな気持ちを埋めるかのように、彼は私だけを見つめ、どんな時も本気で向き合い「お疲れ様」も「大好き」も何度だって言葉や態度で表現してくれた。私の名前を何度も呼んだ。

だから、自殺未遂を繰り返すほどの暴言だって耐えられた。投げ飛ばされたって殴られたって、警察や児童相談所が家にやってきたって何にも問題ないと思った。

そんな私を心配してくれた長年の友人や家族の言葉は口うるさく聞こえた。どうせまた私を悪者にするんでしょ、邪魔しないでよ!と心底思った。疎遠になっていくことも、どこかで仕方ないとすら思っていた。

彼が私を必要としてくれるのなら、他のことなんてどうなっても構わない。

それは、恐ろしい程の共依存。

世界を敵に回しても、彼さえ居てくれればそれでいいと思うほどに当時の私はぶっ壊れてしまっていた。愛情に飢えていた私は、まやかしの相思相愛に取り憑かれ自分も周りも不幸にする恋をした。

末永く続くであろう相思相愛を手に入れたはずなのに、幸せとは逆行して死んでしまいたかった。私なんて居なくなってしまえばいいと、ことある事に思った。

ジェットコースターのように毎日感情の浮き沈みが起こる日常に、心身ともにすり減っていくのに彼が居なくなってしまったら生きていけないと思ってしまう。逃げ出したいはずなのに、1人になる不安の方が大きくて何年も悩んだ。

”私の幸せってなんなんだろう”

さっきまで笑っていたのに些細なことで彼の態度を変わってしまう。彼を怒らせないようにと、お腹が痛い日もシャワーを出さないようにした。寒い日も「寒い」と言えば怒鳴られてしまうから、ストーブをつけず家の中でアウターを着てマフラーを巻いて、手袋をつけて過ごした。娘は彼の声色が変わるだけで震えていた。

限界が訪れたのは、別れた年の新年。

4月から小学校に進学するこの機会を逃したら一生この人と離れられないと思い別れを決意した。新居や引越しの手配などを進めているのに「別れたくない」と彼と居たい気持ちが何度も溢れて、何度も泣きついた。

「どうして……あなたは……」

何度も彼を責めたてた。
変わってくれることなどないと知っていたのに、それでも希望を捨てられず彼さえ変わってくれれば幸せになれるのにと思っていた。

あの当時の私は、誰かが私を幸せにしてくれると信じていた。だけど真実は、自分で自分を不幸にし私の選択が招いた悲劇。

依存することしか知らなかった女の末路だ。

第4章 自立

新生活を始めると、どんどん気持ちが変化していった。約5年連れ添った人と離れて暮らす日々は、寂しさと同時に開放的だった。

どれだけシャワーを出していたって、24時間クーラーをつけたって、素足のままガスストーブの前に座っていたって誰にも怒られないから。

新生活を始める前「したいことはなに?」と問われたことがあった。その当時、私が即答したのは「好きなだけシャワーを浴びたい。快適な温度で、好きな格好で過ごしたい。なにより穏やかに過ごしたい」これだけは今でも譲れない大切なこと。

彼と離れて、その全てが手に入ったし様々なものが戻ってきた。長年の友達や、家族、娘の笑顔。周りの人々は安心したように笑っていて幸せそうにしていた。

それが嬉しいと思ったと同時に「私は幸せじゃないのに」と虚しさを感じた。

娘と暮らす家を守るため本格的に仕事も始めた。一文無しだった私を見兼ねて、母が引越し費用と、うちのお店で働きなさいと職まで用意してくれた。母のお店は夜営業のため、祖母に娘を預け、夜な夜な働いた。

真夜中に仕事を終えることもあり、娘は早朝に帰宅する。仕事を終えて家に帰ると真っ暗な部屋でひとりきり。静まり返った部屋の明かりをつけてストーブの前で1人で泣きながらお酒を飲む。酔いつぶれてフローリングで眠ることが私の日常になった。

寂しさと虚しさでどうにかなりそうで次第に夜な夜な外で飲み歩くことも増えた。そんな日々を繰り返して数ヶ月がたった頃…

また恋をした。

その彼と初めて手を繋いだ時「やっと見つけた」と思った。この人こそが私の探していた人だと感じて仕方なかった。この人となら辛い時だって笑って生きていける気がした。

彼との日々は、初めはすごく順調だった。

穏やかで楽しくて安心感に満ち溢れていて、結婚の話や未来の話をしていつも笑っていた。
彼は私を喜ばせようと家事や育児も積極的にしてくれていた。突然大好きなお花をプレゼントしてくれたことなんかもあって幸せだった。


私はそんな彼に甘えすぎた。

彼の帰宅はいつも0時前。お話をしたいけれどいつも少し疲れているのと、口数の少ない人で質問しても回答はほぼ返ってこない。今日はどんなことがあったの?とたずねてみても、「普通」なんて言葉が返ってくる。

疲れているのだから仕方ない。どうせ彼と一生居るし「まぁいいか」と油断した。


そして、私たちは最低限の言葉しか交わさなくなってしまった。彼からは笑顔が消え、私はいつも眉間に皺を寄せていた。明らかに関係が壊れてしまっているのに不満を一切こぼさない彼との関係修復は解決策が見えず途方に暮れていた頃、彼が無断外泊。

なにかの糸がお互い切れてしまった。

「もういい加減にして」

そう叫び、彼との関係を終わらせた。
引き止めて欲しそうに何度も声をかけてくる彼を無視した。これが最後になるなんて思いもせず、私は意地を張って引き止めなかった。

この人だと思った人は、私の目の前からあっさりと消えてしまい二度と戻ってこなかった。

彼はどこか昔の私に似ていた。いつも私の顔色を伺い、自信なんて1ミリもなかった。一緒に生きていくのだから私は彼と過ごすことで変わりたいと望んだけれど彼は「あなたを変えたくない」といつも言っていた。

依存的な恋愛を続けてきたからこそ、私はどこか冷めたように現実的になってしまっていた。「もうあんな思いはしたくない」と自分の家と心を守ることが最優先事項になり、お互いいい年なんだから自分のことは自分でやる。至極当たり前のように感じるけれど、本当はただ依存することに怯え、人を信じることが出来ずツンケンした態度で生きていただけ。

そんな私をむしろ変えて欲しかった。
信頼関係があっての自立が必要なのだとこの時初めて知ることが出来た。

彼と過した日々で私は、依存とは自立とは何なのか痛い程に感じさせられた。

第5章 35歳の恋愛観

最後の恋愛から2年以上が経った。
2年以上決まったパートナーは居ない。

それが、現在の私である。

恋愛弱者でモテなかった女は、モテる方法は学び続けバケモノになることは出来たけれど愛し愛され続ける方法を未だに見つけられていない。

本当に悲惨な話だ。

35歳になった私は、慎重で臆病になった。ただ恋に恋するように夢を見るだけの純粋さはなくなり、現実的なことを多角的に見てしまうようになった私は離婚当時よりも何かと考えすぎてしまう。

私の現在の恋愛市場での肩書きは
35歳。バツイチ子持ち。

それが世間から見える私だと知っているからこそ、何かと考えすぎるんだ。

例えばお相手の方が初婚の人だったら、年齢による出産のこと、過去の結婚歴、連れ子がいること。30代の活きのいい男性が、可愛くて若い女の子が無数にいる中でわざわざバツイチで子持ちのアラフォーを選ぶ理由なんてない。

仮に選んでくれたとしても、初婚ならば結婚生活に夢を見ているかもしれないし、子供だって欲しいかも知れない。けれど年齢的に産めるかどうか、例え産んだとしても育てていけるだろうかと不安になってしまう。

この年で出産すれば、子供が成人する頃には私は55歳だ。体力的にも経済的にも責任を持って子育てがしていけるだろうか。もし仮に別れてしまったら、1人で2人の我が子を守っていけるだろうか。

もし仮に産まない選択や産めなかったとしたらお相手の方のご両親を悲しませてしまわないだろうか。きっと初孫を、我が子が産んだ子供を抱く幸せを夢見ているかもしれない。そんな想いを無下にしてしまうんじゃないか。

現実的なことを考えれば考えるほど、結論は毎度「私でなくて別の女性を選んだ方がいい」そんな想いが湧いてきてしまう。

2年前まで交際していた彼と居る時に同じようなことを思った。そしてそんな私の気持ちを知ってか知らずか母は「いいタイミングで、別れてあげなさいね」そんなことを言った。

私も一人の子を持つ親だからこそパートナーの親心を想像し母の言った言葉が胸に突き刺さって仕方なかった。

しかし、そんな想いが湧く反面で「それでも君がいい」と言ってほしいという欲が今でも湧いてしまうから厄介なもんで。

考えすぎた結果…
全てがめんどくさくなってしまった。

気になる人が出来ても、当たって砕ける覚悟なんて正直もうどこにもない。若い頃のように砕けた後の心の痛みに耐えられる自信がないからだ。心が砕けてしまうと生活がままならなくなってしまう。一人娘を守ることができなくなってしまうかもしれないから。

それ程までに、私の心は弱い。

だけど、そんな臆病なままの自分ではいけないと思う自分もいて勇気を振り絞って「好きだよ」と伝えてみたりもするのだけれど、後1歩先の言葉が出てこない。たった一言「あなたの彼女になりたい」その言葉が出てきやしない。

そばに居られるだけで満足しなさい。欲張りすぎてはいけないよ。あんたはそんなことを望んでいい程、優良物件ではないんだから。コブ付き中古物件でしょ?

現実を見れば見るほどに、私は恋愛することに臆病になってしまった。

本当は、もう一度。
1人の人を信じ愛し誰かと共に人生を歩んでいきたい。

共依存でもなく、過度な自立でもなく、自分も周りも幸せだと思える関係や信頼を築いて、明日死んでしまっても後悔のないように ただ真っ直ぐに愛を表現しあえる恋愛をしてみたい。

だけど、自分を受け入れてもらえる自信なんてこれっぽちもないんだ。そんな自分が、好意を表現することに気持ち悪がられるかもしれないと怯え倒し、スカすようにまでなってしまっているから まるで思春期の男子。

これが俗に言う、
拗らせオンナ。末期だ。


まさか自分が拗らせオンナになるなんて微塵も思っていなかったから戸惑いは隠せないし、経験を重ねた結果 妙に心の整理が上手くなってしまったからキャパが超えてしまうと感じた瞬間に断捨離を始めてしまう。こんな状態で恋愛なんてできやしない。

本格的な恋愛市場に出て、約15年。

狩人のようにオトコ遊びばかりをしていたツケがこんな形で帰ってくるなんて想像もしていなかった。恋愛経験を重ねたことで、沢山傷つき泣いてきたからこそ人の気持ちや痛みを想像できるようになったけれど、過去にしてしまったことは取り戻せなくて因果応報でしかないから受け止めてみているけれど胸が張り裂けてしまいそうな程に、現実って痛い。

出産や恋愛市場価値のタイムリミットが刻一刻と迫る中で、焦りや葛藤も生まれてしまう。

焦るほど空回るものなんてなくて、葛藤ほど生活の邪魔になるものはない。

その結果、35歳の拗らせオンナは天涯孤独の覚悟をして「ただ待ちぼうける」ことを選んだ。

35歳のオンナが守りたいものは、捨てられないプライドと心の安定。恋愛をメインにできるほど、もうタフじゃない。そんな自分が情けなくて恥ずかしくてかっこ悪いけれど…


これが正真正銘の35歳の女のリアルだ。

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