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仕事を戦いに例えるのは、そろそろ、やめてしまってもいいのではないだろうか。

宇多川元一さんの「他者と働く」を読んでいて、自分が普段から感じていたことはこれだったのか‥?と、妙に響いてきたので、ちょっと書いてみようと思う。
(ちなみにこの本自体は、現代の組織において起こっている適応課題という問題と、それに対応するための「ナラティブ・アプローチ」について書かれていて、とても素晴らしい内容です。悩める全組織構成員に読んでほしい)

https://publishing.newspicks.com/books/9784910063010

仕事が戦争のメタファーで語られることはよくあると思います。
それはとても男性的で、勇ましく、無意識のうちに私たちを駆り立てる力があります。
しかしその反面、戦いとは異なること、たとえば「明確には割り切れないこと」に逡巡したり、「柔和な関係性」を構築したり、「男性的でないもの」を組織の中に持ち込むことを、無意識のうちに排除してしまうというネガティブな働きもあるのです。その結果、組織の適応課題を生み出してしまう元凶にもなるのです。しかし、一方で、戦争のメタファーはとても強く企業社会に根付いているので、なかなか厄介な代物です。(p72 コラムより)

会社の中で何か始まる時に必ず出てくる「戦略」、付加価値という意味で使われる「武器」、戦術としての「情報戦」「局地戦」。社内資料に躍る勇ましい「〇〇で勝つ!」「〇〇作戦」「攻めるぞ!」の言葉‥‥

それが出てくる必要性も理解できるし、その言葉によって鼓舞され気分が高揚する人、社内ムードがポジティブになる、という人たちが仕事場においては大半なんだろうという事も頭ではわかる。
しかし、いつもなにか居心地悪く、乗り切れない。
勝つこと=会社売上が増える=自分の収入に影響する喜び
負けること=競合に仕事を奪われ業績悪化=自分の仕事までなくなる危険性

どちらかというと、後者の危機感に突き動かされて仕事をする感じ。これって共感してもらえる人いるのかな、負ける恐怖感が常に後ろに張り付いているのがストレスで、何というか、不本意で窮屈なのです。

こういう時、私はいつも「とりあえずそれ(競合相手に勝って会社売上を上げなくてはいけない)はわかった。でもまさかクライアントに「うちの売上数値を上げるためにお金ください」とは言えない。だから、まずはお金をより出してくれるためにニーズを探りその機会と価値を増やさなきゃいけない、じゃあ、今のクライアント、そして新たなお客さまは何を欲しているのだろう、どうすれば彼らが「お金を出したい」という気持ちになるのだろう‥‥と考える。
なんかコレって面倒じゃないかな。
勇ましい戦争用語なんか挟まなくても、単純に「相手の喜ぶことを真剣に考える」→「それが相手にとってお金を出しても良いというものだったらこちらの利益が出る値段をつけて提供し、喜んでもらう」→「継続してお金を払ってもらう仕組みをさらに考える」ぐらいの平和的な考え方の方が、より自由で良いアイデアにつながり、結果的には目標達成のための近道ではないだろうか。

結局のところ、戦いというのは、勝者と敗者に分かれる。
そして、どんなに優秀なチームでも、永遠に勝ち続けることはできない。(と、思う。たぶん。めちゃくちゃ優秀な常勝チームというのは存在するとは思うが、そういう人たちはすでに「ルールを自分たちで作れる」域にいることが多い)

持続可能な社会を目指すことが命題になっている時代において、限りある領土(売上シェア)を奪い取るために敵を見つけ戦いを挑み続けるのは、もうあまり魅力的な行為とは言えなくなっているんじゃないだろうか。
どうせムリめなムーンショットで目標を立てるのなら、もっと豊かなポジティブさをベースに、競合他社とも協力し合い業界全体で顧客に貢献し、社会全体をより高めていく‥‥なんて夢想からスタートした方が個人的にモチベーションが上がる。

ということで、自分で作る資料だけは、「戦略」じゃなくて「計画」や「構想」。「勝つ」じゃなくて普通に「獲得する」と、もっと自分にしっくりくる言葉で書くようにしてる。
わざわざ人を傷つける行為の比喩を使わなくても、十分にポジティブなムードは醸成できるし、成果へ向かうモチベーションは表現できるはず、ということを信じて。

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