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我が家の読み聞かせ事情

上の娘が生まれて間もなく、祖母となった私の母が、絵本を数冊買ってきた。

さすがにまだ早いだろうと思ってしまった私も、読むと娘がじぃーと興味深そうに見たり、にんまりと笑ったりするので嬉しくなって読み聞かせを始めた。たまたま にんまりしただけ、なんてことは微塵も疑いもせずに。

読み聞かせの効果は「心を豊かにする」とか、「親のストレスを減らす」とか、「読み手も聞き手も脳の刺激になる」とかね。
いろいろあるのは十分承知しているので早くから始めても良いことしかないだろう、と。そういうわけで0歳から開始。

「いないいないばあ」などは、最初のうちは私がいないいないばあ!と言って、娘がきゃっきゃと笑うパターンだった。
すると、嬉しくなってまた読み聞かせて、を繰り返していた。

単純に我が子の笑い声を聞くのが嬉しかったのだ。確かに読み手の脳も良い刺激となりそう。

1歳頃になると「いないいないばあ」に、一緒に「ばあ!」と身振り手振りがついてきたり、自分で先に言って私を笑わそうとしたりした。
そうなると俄然楽しい。

歩けるようになってくると、「とっとことっとこ」と真似をするようになって、行動も伴い始めると ああ成長しているな、と感じる。

2歳を過ぎてくると絵本の場所まで行って、絵本を選んで私のところへ持ってくるようになって。
私は長女の「これ読んで」と絵本を大事そうに両手で持って歩く姿が可愛らしくて好きだった。そんな姿を見たら、はいはいと読みたくなってしまう。

ただ「もういっかい」が何度も繰り返されると、げんなりしてしまうこともあったけれど…。

しかしながら、この「もういっかい」は子どもにとっては大変意味ある言葉。繰り返すことによって子どもは理解し反応し確認する作業を行い、場面のパターン、対話の楽しさをアウトプット出来るようになるわけで、無下にやめてはいけない行為であると重々知っている私。

どれくらい付き合ったかなあ、もうおしまい、と言ってしまったことも1度や2度ではないから、そこは反省。
でも時は戻せないから、現役読み聞かせ世代は気を長くもって頑張ってほしい。

我が家は年子の娘がふたり。
小さいころは双子のようだとよく言われていて、私もあまり姉や妹と区別せずに育てたけれど、幼児期の1年は大きく違うもの。

長女は、3歳頃になると言葉も達者で、繰り返し読んでいたせいか、ストーリーを覚えて絵を見て、自分で声に出して読むようになったので、「これ読んで」を聞くことは激減した。
まさに繰り返しの効果?

気が付くと、自分で絵本を開いてお話していた。
最初にその姿を見たときは「おおーすごい!」と思ったものだ。絵を見て正確にお話を覚えているところもあれば、ちょっと作っているところもあったけれど。

そんなふうに自分で読んでいる時には、そっと私がそばに座り、うんうんと聞いていた。そう、一緒に絵本をみながら娘に読み聞かせてもらっていた。
そばに聞き手がいると娘も一生懸命に読んでくれる。
親と子。読み手と聞き手が逆転。
これが、けっこう楽しかった。

それだけではなく、長女はいつの頃からか、ひとつ下の妹に「読み聞かせ」いえ正しくは「絵を見ての話し聞かせ」を始めていた。

その頃読んでいたのはこんな感じ

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林明子さんの絵は、子どもの表情がリアルで可愛らしくて、なんといっても我が子に似ていたので、お気に入りだった。

長女の得意は「おおきなかぶ」。
絵を見てそのまんまだから覚えやすかったのだろう。
「おばあさんがおじいさんをひっぱってー、まーだまーだかぶはー」と、とても臨場感たっぷりに読んでいた。

お気に入りは「あさえとちいさいいもうと」だった。
長女が読むときは、いもうとのあやちゃんのところは次女の名前になる。
本当にそのくらい似ている。ただあさえと違って長女はひとつ上なだけで、見た目は双子なのだけども。
長女にとっては、お話の中では自分はあさえで
「どうしよう、あやちゃんだったらどうしよう」とか「あやちゃん、あやちゃん!」と必死に探すところは、女優ばりの演技で私もハラハラドキドキするくらい。ストーリーも完璧。

そんな様子なので次女は食い入るように絵本を見つめ、その様子がまた可愛らしくて、長女が絵本を読んでいるとつい私も一緒に隣に座って、読み聞かせしてもらう側になってしまうのだった。

我が家の読み聞かせは、小さな頃から読み手にも聞き手にもなるローテーション読み聞かせ。これがどういう効果をもたらしたのかは不明だけれど、まあ、普通に育っている笑


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