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「中央駅」キム・へジン著 生田美保訳 彩流社

読み終わって、不思議な気持ちになっている。

※本の内容を書いているので、あらすじもわかってしまうかもしれません。これから読む人は読み終わってから見てください。



最初にカバンを持って中央駅に来た男には、それほどの悲壮感も絶望もないように見えた。実際には職も住まいもなくし、わずかな所持金だけで駅で寝泊まりしようとしているのだから、追い詰められてはいたはずなのに。そして中央駅で女に出会った時、唯一持っていたカバンもとられ、女だけが残る。

韓国に中央駅なんてあったかな?ホームレスと聞いて思い出すのはソウル駅だった。「椿の花咲く頃」でドンベクと母親がどうにもならなくなって一晩過ごした場所もソウル駅だったように思う。訳者あとがきでキム・ヘジンさんがソウル駅のホームレス支援センターに勤める友人のもとでボランティアをしていたことを知る。ソウル駅は韓国と日本を行ったり来たりする時によく行った。噴水があって、何かしらプラカードを持って訴えている人や、カセットテープを売るために音楽をガンガン鳴らしていたり、救世軍が立っていたり。騒々しい場所。あそこで寝泊まりするのは、かなり厳しそうだ。

日本でホームレスと言って思い出すのは新宿駅だ。仕事帰り、せかせかと歩く地下道にホームレスが段ボールのうちを作っていたのはもう30年くらい前のことか。遠くからでも臭ってきて、男か女か、若者が老人か見分けがつかない人たち。今の新宿駅にホームレスの居場所はない。

所持金も全部取られて、広場で女と待ち合わせ、時間つぶしにゴミを拾って歩く男は、いらいらしてけんかしたりもするが、それほど絶望やどん底にいるような感じがしなかった。

男でしかなく、女でしかなく、家もお金もなく、過去も未来もない、というのはそれほど苦しいことでもないような、そんな気さえしてきていた。

それが男は女と安らかに寝られる場所を確保するために他人の安住の地を奪う仕事を始め、そのお金で女は何もない四角い部屋に入る。それからの物語はすさまじく苦しくなった。

いろんなひとやもの、町と間接的につながって見せものになる広場と、全てを遮断して男と女だけの場所を作る部屋。2人ともその部屋が苦しくて広場に来たのではなかったか。

自分の身分も売って女を守ろうとした直後にまた広場で身ぐるみ剥がされる男。体を巣食った病から逃れられない女。男には自分を守れないことを、女はよく知っているように思えた。

きちんと名前で描かれる支援センターのカンチーム長や古物屋で働くソク氏、隣部屋の少女ソラとは違い、男と女は最後まで名前がない。いや、女の名前を呼ぶ場面があったから、男は女の名前を知っているが、私たちにはわからない。

中央駅で身ぐるみ剥がれてただ人間という動物になっている人たち。毛もなく筋力も弱く、飛べない、動物界では最下層に位置しそうな人間という動物。とことん堕ちていき、人間のルールから自由にはなったが動物であり肉体があることからは逃れられない人たち。

女を失った男は自分の生存競争に出かけていく。そこは再開発で立ち退きが決まった場所だ。立ち退かせる側と立ち退かない側との闘い。だが、立ち退かせてその場所を手に入れるのは実際に闘った人たちではない。

「こびとが打ち上げた小さなボール」を思い出す。

偶然みたこの動画を思い出す。

きらびやかな超高層ビル群もスラム街もホームレスも結局は椅子取りゲームだ。どれだけ蹴散らかして自分の椅子を確保できるか。男は生きようとすれば過酷なそのゲームから逃れられない。逃れたいと思っているのに逃れられない。それはわたしもそうなのかもしれない。だから、中央駅にいた人々には絶望やどん底を感じなかったのもしれない。

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