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デザイン以外の仕事をしてみたら出口が見えてきたお話

前回のお話の続きです。

初めての転職

2012年8月、学校卒業から7年勤めたデザイン事務所を自身の体調不良で退職しました。
ちょうどその頃、今の夫とお付き合いしてまだ3ヶ月でしたが、私が住む埼玉県のアパートの更新時期が来たので引き払って、千葉県の流山おおたかの森で一緒に暮らすことになりました。
彼は私の死別経験もうつ病のことも全てを受け入れてくれる人だったので、私は早く次の仕事を見つけて負担にならないようにしないと、と焦っていたかもしれません。
幸いすぐに仕事は見つかり、とある海外ブランドの輸入代理店のカタログやWebサイトのデザイナーとして働くことになりました。

その会社は店舗を全国の百貨店に拡大中の勢いに乗った会社で、私以外にデザイナーはおらず仕事のやりがいはありそうでした。
ですが、先輩として私の指導にあたる方がとても厳しい女性で、物撮り写真の切り抜きを1枚1分でやっても遅いと言い、商品のクレーム電話にうまく対応できないと怒られ、反省文を書かされて全店舗にメール送信され、百貨店の店頭で接客をさせられて接客がなってないと怒られ。
私、デザイナーとして入社したはずなんですが、なんだか話が違いますね…。状態でした。

社長はとっても良い人で、好きなようにデザインさせてくれたり、ポリシーや考え方などいろんなお話をしてくれて、人として尊敬できる方でした。
先輩のことも気にしていてくれて、もうちょっと我慢して、なんとかするからもうちょっと頑張って。と言ってくれていました。
しかし、社長の言う通りに仕事をしても先輩に何かしらのパワハラ的なダメ出しをされることが毎回あり、ただでさえ普通の精神状態ではなかった私が耐えられるはずがなく、2ヶ月で退職となってしまいました(後で知りましたが、その先輩の元ではすぐにやめる人が続出だったみたいです)。
社割でそのブランドの物を買って今も愛用させてもらっているので、当時はとても辛かったけど今はまぁいいか…という気持ちです。

完全なる療養期間

夫(当時は彼氏)の勧めもあり、2013年になってから3ヶ月ほど家でゆっくり過ごしていました。
掃除洗濯をして、料理をして、クラウドソーシングでロゴやチラシなどを作って、当時(今も?)開発中だった流山おおたかの森近辺を自転車で走って探検したりと、だいぶ自由に過ごさせてもらっていました。

病院は、母が調べてくれた所に変えました。
前のところも新しいところも家から電車で1時間かかるのですが、新しいところは待ち時間があまりないのがまず良かったです(前のところは予約制なのに最低でも2時間待ち)。
そして何より、今まで受診してきた先生たちのやり方とだいぶ異なっていて、うつのメカニズムや思考の癖などを論理的に的確に説明してくれる先生でした。

その時の私は、自分が何もできないダメ人間という考えに支配されていました。
そこで先生は、当たり前のことでも些細なことでも今日できたことを毎日書いていきましょう。とおっしゃいました。
たとえば、「ボタンを押して切符を買えた」「電車に往復2時間乗って病院に行けた」「料理をして夕食を作った」「朝起きて洗濯物を干した」など。
え、こんなんできて当たり前じゃん。と思っていることを毎日記録して、自分を肯定していく癖をつける。
それが私には合っていたようで、前のような落ち込みや絶望感などを感じることが少なくなり、薬の量が少しずつ減っていきました。

デザイン以外の仕事

2013年4月、30歳の時、何気なく見た求人誌で「シルクスクリーン」のアルバイトの仕事を見つけ、面白そうだと思い応募してみました。
無事に採用され、他2名の同期と共に入社しました。
そこは町工場という感じのところで親世代のご夫婦が営む会社で、働いている方々も長年いらっしゃるベテランばかりでした。

私の仕事は、どこかのデザイナーが作ったパッケージデザインのデータをシルクスクリーンで印刷するために、Illustratorで展開して分解して細かい線を印刷で出るように太くして調整したデータを作り、ポジフィルムに印刷してくれる会社にデータを飛ばし、車で片道30分ほどかけて取りに行き、フィルムを社内の整版する人に渡す、という流れでした。
シャンプーや歯磨き粉、クリームやヘアワックスなど、日用品のパッケージの印刷が多かったです。

細かいことはもう忘れてしまったのですが、円柱の場合やそうでないものなど計算が必須でμ単位での細かい作業、版の線数もデータ作りに関係してくるなど、デザイナーだけやっていたら知らなかったことがたくさんありました。
他の印刷工場が近くにたくさんある場所だったので何社か連れて行ってもらい、DICカラーのインクや印刷機が可動しているところなどを見学し、貴重な経験をさせてもらっていたなと今になって思います。

薬疹と断薬

シルクスクリーンの会社でのアルバイトを週5日で順調にしていましたが、3ヶ月ほど経った頃、どうも頭がクラクラして運転ができず休むことが増えてしまいました(職場まで車で片道40分ほどでした)。
加えて、太ももや腕に大量の蕁麻疹ができることも。
その頃の私は抗うつ薬は飲まず、睡眠薬の服用のみになっていました。

社長夫妻はとても優しい方たちで、私が過去の死別経験とうつで通院していることを親身になって聞いてくださいました。
そしてクラクラすることや蕁麻疹は薬の影響で薬疹ではないか、身内が同じような状態になったことがある。とのことでした。
会社はしばらく休んでいいから、睡眠薬を飲まないでみたらどう?眠れなかったら無理に寝なければいいんだよ。眠くなったら人間絶対寝れるから。
そう言われて、確かにそうだよな。と思い、睡眠薬を飲むのをやめました。
それが、2013年のフジロックの前日でした。
1日だけ行ったのですが、眠れないから変なテンション…でも眠い…でも眠れない…みたいな大変な状態でしたが、フジロック疲れもあって帰宅後は薬なしで眠ることができました。
実に、約3年ぶりのことでした。


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