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なにもやりたくない。もうがんばれない。がんばってきた自分へ。

「もう歩きたくない。歩けない。がんばりたくない。がんばれない。」

 そう実家の玄関に寝転んで泣きわめきちらしたのが、だいたい一か月半前。ちょいちょい限界がきていたのを、だましだましここまでやってきたけど、もう本当に歩くこともなにもできなかった。

 こどものように泣き叫んでいる私を「あんたは変わらないわねぇ」と実母が言った。高校生のときにもあった。「もうがんばれない」状態で精神科に通い、薬を飲んで閉鎖病棟に入院もして重症だった。

 実家から徒歩20分くらいのマンションにすら帰れなくなって、泣いて夫に電話した。夫が仕事を切り上げて迎えにきてくれるまで玄関の土足の部分に寝転んでしくしく泣いていた。土足の部分から部屋に上がることすらできなかった。ちょっとでもがんばったらもう壊れてしまいそうだった。

 その日から「負担」と感じることすべてをやめた。やめていいと夫が言ってくれた。この人と結婚して良かったと思う。疲れた、死にたい、もう何もしたくない、がんばれない、がんばりたくない。1か月の間に何度言っただろう。

 ノートに日々、いやだ、つかれた、なにもがんばりたくない、なにもがんばれない、できなくてごめんなさい、やれなくてごめんなさいと書き溜めていった。寝て、寝て、ひたすら寝た。食べて、寝て、体力は落ちたし体重は増えた。メンタルクリニックにも、死にたいんです、なにもがんばりたくないんです、かと思えばショッピングに何十万も使ってしまうんです、電車の中が怖くて嫌なんです、と2週間ごとに通った。

 あれから一か月半ぐらいたっただろうか。まだ、なにもがんばりたくないけれど、少しスマホゲームできるようになって(罪悪感があるけど)、すこしお散歩できるようになって、死にたい気持ちは薬が落ち着かせてくれて(たまにこのままぽーんと死ねたらと思うけど)、薬のおかげで安定している。笑うこともできるし、自責が少し軽くなった。

 ひたすら、なにもしなかった。がんばらなくていい。それが楽だった。やりたくない!がんばりたくない!って言っていいのが楽だった。やすんでいいよって言ってくれて楽になれた。のどがつまって息ができなかった毎日が、息を吸って吐けるようになった。

 いまはまだ、薬のおかげで安定してきているだけで、よし調子いいぞと思って日常生活にもどろうとすると負担がのしかかってまたすぐしんどい!むり!いやだ!ってなってしまう。けがと同じ。薬でいたくないだけで、けがした部分が完全に治らないと変な治り方してもこまるし、けがはまだ治ってない。時間をかけてきれいに治そう。

 ついうっかりがんばりすぎちゃう自分へ。やすんでください。やすんでいいよ。がんばらなくていいよ。がんばってきたんだもんね。いまはやすもうね。なおそうね。ゆっくりやすんでね。

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