見出し画像

今さら自己紹介【ソルフェージュと私②】

前回の「今さら自己紹介」の続きです。

前回の記事はこちら→ https://note.com/rie_matsui/n/n7d479520cfa8


突然ですが、質問です。
聴音って何のためにやるんでしょう?

受験のためでしょうか^ ^

私は音とリズムを聴き取る訓練だと思っていました。
あと、書き取ることで楽譜の書き方を知る、とか。

でも、それだけではありませんでした。

奥深い「ソルフェージュ」の世界にどっぷりとハマっていった過程をとくとご覧ください(笑)


大学で出会ったソルフェージュ 続き

初見クラスでは、周りのみんなの初見能力に度肝を抜かれ、自分の出来なさにがっかりしていた一方で、授業自体はとても楽しく、ワクワクするものでした。

先生が楽譜を配ったら、「この曲は誰の作品だと思う?」と聞きます。
そうすると、ソナタ形式だとか、厳格な機能和声で書かれているとか、時々ドイツ語の楽語が混ざっているぞ、とか、いろんなヒントを皆が探しながら、作曲家を推測します。
では例えば、シューベルトだったとする、
そうしたらシューベルトはどんな作曲家でどんな作品があって…とまた知識を共有していく。
楽譜から考えられるあらゆることを出しあった後、さあ弾きましょう、となるのです。

これが、「フォルマシオン・ミュジカル」です。

「フォルマシオン・ミュジカル」は、既存の楽曲を基にした学習で、上のような、形式、様式、和声や対位法など作曲法、音楽史等あらゆる要素を実曲に絡めて勉強します。
さらには、ここからメロディーや和声を取り出して聴音や視唱をしたり、リズムを取り出してリズム課題を作ったり、とソルフェージュに関することまで広げていきます。

ここ数十年流行っていて、日本でも教材は手に入るし、セミナーも時々やっているので、今は知っている方も多いと思います。

でも、当時の私はこういう勉強をしたことがなかったので、すごく新鮮!感激!
受験で覚えた楽典が、授業でやっている音楽史や和声が、やっと結びつく時がきました。

このような授業を毎週受け、私は確実に変わっていきました。


ソルフェージュの本質

初見クラスの授業がスタートしてから数ヶ月、ようやくこの授業の本質が少しづつ見えてきた気がしてきました。

ソルフェージュ能力とは、
聴き取る(聴取)また、読み取る(読譜)情報処理能力なのだと思いました。

そして、その情報は、
音程(また音高)やリズムだけでなく、
先述のさまざまな要素全てのことであり、どれだけ情報が取れるか、またその取った情報を表す訓練をソルフェージュの授業でしているのでした。

私が初見ができていないのは、
音とリズムだけ読もうとしているからでした。

例えば、
「おめでとうございます」
という言葉を音読するとして、
みんなは冒頭の「お」と発語する時には、まとめて「おめでとうございます」と予見時に読めてるし、さらに言葉の意味までわかっている。
私は、「お、め、で、…」と一つ一つ読んでいるのと変わらないことをしていました。

それに気づいたときには興奮覚めやらず。
自分に足りなかった勉強はコレだ!と急に情熱が燃え上がり、もっと読譜やソルフェージュのことを深く知りたくなってきました。

論文を書く~取材を通して見えたこと

3年生になった時、今度は音楽史のカリキュラムが大きく代わり、論文を書くコースができました。

他の音大はどうなのか知りませんが、音大は卒業演奏があるので、卒業論文は書かなくていいのですが、当時東京音大は大学院が拡大したばかりで、それに合わせて、学部の頃からさらに専門的なことができるようなカリキュラムに移っていった時期でした。何とタイミングの良いことでしょう!

どうしてもソルフェージュの授業で感動したことをまとめておきたく、また元々文章を書くのも好きだったので、論文コースに即エントリー。
オーディションを経て、無事に取ってもらいました。
(この論文を書くコースで、「文章の書き方」と「情報の調べ方」などをマンツーマンで徹底的に叩き込まれた経験は後に大きな財産になりました。
3,4年生は忙しいですが、もし卒論書くか迷っている人がいたら絶対書いてみたらいいと思います。また、このことについては別の機会に書ければ!)

卒論は最初からソルフェージュに関することを書きたい、と思っていたので、早めから教材研究や取材を始めました。
世の中には素晴らしいメソッドがたくさんあります!こんなの調べなかったら全く知らずに過ごしていたでしょう。

幼児向けの教室から、大学の受けたことのないクラスの授業にも潜り込んで体験したり、話を聞いたり、
また新設されたばかりの大学院の取材も。その時に進学を勧められ、大学院受験を志すことになります。

その後、大学院受験にあたって、個人レッスンを受けた方がいいということで先生を紹介していただくのですが、これがまた衝撃で(衝撃ばかりですね^^;)
どう衝撃だったのかは次回にまわしたいと思いますが、
とにかくこれらの取材を通して出会った人々が、本当の「音楽人」と呼べるような方ばかりで、この「ソルフェージュ」の勉強の仕方次第で自分が理想としていた「本物の音楽」に近づけるのではないか…と思い始めたのでした。

そう思うと、自分が大学入学時に感じていた違和感ー完璧に弾けているがどこか物足りない演奏、受け身ばかりのレッスン、自発的でない表現など
そういうのも原因はここにあるのでは、と考えるように。

さまざまな断片が少しずつ形になり、無事に卒論『ソルフェージュ教育の歴史と現状』が完成しました。

以下、「はじめに」の部分から抜粋です。
先ほど書いたことと内容は重複しますが参考までに。

…では、音楽的で表現力豊かな演奏とはどういうものなのか。
演奏という行為は、譜面から様々な情報を読み取り、頭の中でイメージし、実際聴くことができるように再構築していくことである。「表現力乏しい演奏」の場合、自分の中にイメージできていないために演奏に出てこない場合と、イメージはできるが、それを体現する方法がわからないために演奏に現れない場合とが考えられる。ここでのイメージは明るい、悲しいなどの作風のような漠然としたものだけでなく、使われる音の質、和声、メロディーの歌い方、テンポ、拍子、リズムの取り方まで細部の表現に関わる全てを指す。読譜の時点でこのような総合的要素を含めてイメージすること、そしてそれを体現することができるように訓練すべきであり、それにはいわゆるソルフェージュ能力というものが必要である。…(以下略)


音楽的な表現力を身につけることも含めた新しいソルフェージュの可能性を模索したい、というのは、
この頃からの自分の研究テーマであり、
今でも変わらず、幼児でも、受験生でも、大人のピアノでもこのことを主軸にレッスンしています。

よく、自分は音楽的でない、ということで悩んでいる方を見ますが、センスが無いのではなく、音楽的な演奏をする人とそもそも情報量が違うのだと私は思っています。
この「活きた」ソルフェージュで、誰もが変われる!と信じてこの先も指導に力を入れていきたいです。

と、教える仕事がしたい!という夢を持って、この先進んで行くのですが、
大学院が終われば次は伴奏にどっぷりハマっていくのでした…


♪♪♪

…と
またしても長くなりました。
ここで一旦切りたいと思います。

続きの話は来週か、また音楽用語の記事挟んでいつか書くか。
自分のことを書くというのをやってみて、結構難しいということに気づきました。(恥ずかしい、言いたいことが多すぎてまとまらない…など)

ちょっと迷ってみます。とりあえず、来週も何かしら更新します~
お楽しみに!


質問、感想、ご意見、こんなこと取り上げてほしい!などのリクエストありましたらお気軽にコメントください。
なお、ある程度の知識がある方に向けて書いていますので、これじゃついていけない、という方は、ぜひ個別レッスンに!その人にあったレベルで解説します。(対面、オンラインどちらもあり)
レッスンご希望の方はrie3_e_mail@nethome.ne.jpまで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?