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池袋にて

わたしには、今日まで生きててよかったなって心から思う日がたまにある。
この間は、大学時代の後輩(というより仲間)に久しぶりに再会したときだった。

大学一年生の頃からジャーナリストを目指していた彼は、今その夢を果たして立派なテレビマンになっていた。
「池袋のドンキ前」というわかりやす過ぎるであろう待ち合わせ場所に迷ったわたしが定刻を過ぎて到着した時、遠くを見ていた彼の瞳は、学生時代と同じ眼光の鋭さを放っていた。

わたしは昔から、彼の目が好きだった。
いつもおふざけが多い言動の中で、時に瞳の奥に燃えるような反骨精神が垣間見え、時に本質を問うような冷たい鋭さを感じていた。
直感的に「この人は"理不尽を知っている人"だ」と感じていた。

あれから十数年の時を経て、彼はわたしのヤングケアラー時代の話を知って連絡をしてきてくれたのだ。

彼はわたしが長年ケアをしていたことを知り、「身体がシェイクされた感覚だった」と話してくれた。そんな生活をしていたなんて思いもよらなかったと。
それもそのはず。わたし自身、大学時代が一番自分のことを隠していたから。

大学時代ぶりにコーヒーと紅茶を片手に話し始めたわたしたちは、怒り、哀しみ、やるせなさ、喜び、いろんな感情を共有した。
わたしは弾力のあるソファに何度も腰をかけ直しながら、人生の巡り合わせに感動していた。

あの日々、同じ時を過ごした人が、こうしてまた再び出会ってくれて、想いを分かち合ってくれている。
それはすごいことで、時間も間柄も人には関係ないんだなと思わせてもらった。もっと言うと過去の時間や空白の時間は今のためにあったんじゃないかとすら感じた。

思い返せば、本当の気持ちを話せる人が一人もいなくて、周りからどう思われているかが怖くて、ずっと人が苦手だった。
そんな長く暗い時を経てきたけれど、生きていればまた応援してくれる人も現れる。人生はわからない。

駅前の雑踏の中、握手をして別れた。
今日まで生きててよかったなぁ。
人混みに押し流されるように歩きながらそう思った。

#ヤングケアラーわたしの語り #若者ケアラー

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