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専業主婦が子供の人間力を育てるコーチへ成長するMy story#2~結婚、不妊流産、出産、魔の育児~

My story#1はこちら

My story#②では今の私を作り上げたと言っても過言ではない、子供との出会い、魔の育児をお届します。


結婚の理由が地味

この人が一番好き♡というキラキラした理由ではなく、地味な理由で結婚を決めました。

彼の性格は穏やか。私は心の中で湧いている感情を言葉に上手く出せず、「もう私のことをわかってくれない!」とプンプン怒る。そんな怒っている私の話を彼はいつもゆっくり話を聞いてくれていました。1年半の付き合いの後に結婚の流れになったのですが、結婚を決めた理由はお互い

「一緒にいて大きな揉め事も起こらないし、無言でも大丈夫だったから」

お互いですよ?!結婚の理由は地味ですね。

これからの人生を一緒に過ごすパートナ―だから、キラキラしたことじゃなくて自分が自分らしく過ごせる彼がやっぱり私のパートナーだと。

この彼こそ、私の人生の最強のパートナーに変身していきます。

このときの決断は正しかったと今は強く思います。

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不妊・流産

結婚したら1年後くらいに子供に恵まれるといいなと夢を見ていましたが、

現実は子供を授かるまで4年。2度の流産を経験しました。

この出来事は私の人生で一番記憶に深く刻み込まれています。


自分の無力感、絶望

家族に守られている優しさと安心感

を深く感じる出来事でした。

一度目は受精後すぐに流産。

そして二度目の流産。

検診を受けて産婦人科の先生から言われた言葉は

「赤ちゃんの成長が進んでいない。自然に出てこないので手術をして胎児の中身を取り出さないとならない。」

手術を受ける怖さとまた妊娠が出来ないという怖さが私に襲ってきました

産婦人科の待合室には検診を待つ妊婦さんが待っている。そんな中、手術を言い渡された私は

「こんなに妊婦がいるのになんで??なんで私が?」

幸せそうな妊婦さんをまっすぐに見ることすらできない

向こうの世界には行けないんだ。女性としてダメってことなのか。現実から逃げ出したい。

家に帰り、一日の出来事を夫に話した

夫は話しを聞きながら一緒に泣いてくれた

一緒に病院に行けなくてごめん

一人でそんなことを感じさせてしまってごめん

と言ってくれた。

この日は夫とずっと泣いた。


少し落ち着きを取り戻し、母親にも連絡をした。電話越しだったけど、母の腕の中に包まれながらいっぱい二人で泣いた。

そして、夫も母もあなたのせいじゃない、自分を責めないでと

何もできない私をそのまま受け止めてくれた。

この日は人生で一番泣いた1日だ



まだ現実を受け止めることが出来ないまま手術当日を迎える。夫に付き添てもらったが処置室には一人で向かう。

「さぁ、大きく息を吸ってください。ゆっくり眠くなっていきますよ」

と手術台の上にいる私に産婦人科の先生の声が聞こえてくる


声が聞こえなくなって、どれくらい時間がかかったのだろう

次に私の耳に聞こえてきた声は

「大丈夫ですか? ゆっくり目を開けてくださいね」

麻酔から目を覚ました時に見えた光景は病院の天井。

「もう赤ちゃんは私のおなかにいないんだ」

目を覚ましてまだ意識が朦朧としてたけど、涙とともにその感覚が湧いてきたことはしっかり覚えています。

そんな絶望を感じると共に

「少しでもお母さんにならせてくれてありがとう。また今度会いに来てね」

とその子への別れの言葉を不思議と天井に向けて言っていた


それから母親の紹介で不妊に悩む人に評判だった漢方薬の先生と出会い漢方薬で体質改善。そして、生まれ育った場所の近くに引越し。

この体質と環境の変化があったお陰かようやく子供をまた授かる事ができました。

きっと、あの時の会えなかった子がまた私のところに来てくれたんだ。


3日間に及ぶ出産

焼肉を食べると子供が生まれる?!という迷信を信じて出産予定日の前日の夕飯は焼肉 笑

焼肉の迷信は的中!!(なぜ焼肉が妊婦に影響があるのかは分かりません)

予定日のお昼におしるし(出血)とおなかに違和感があったのですぐに病院へ

診察をしてもらうと先生は「うーん。まだまだだね。でも不安なら今日から入院していいよ」と。

その日から3日間、微弱陣痛から本陣痛になかなか進まず病院の階段を上り降りして歩き回って陣痛を起こす努力をする。しかし、後から来た妊婦さんにあっさり先を越されてしまうジレンマ。

眠れてなくてもう体力が限界。

やっと陣痛促進剤を打ち3430gの元気な男の子と出会えました(先生によると頭の位置がまっすぐじゃなかったから出てこれなかったらしい)

産まれた感想は私の想像していた「あーやっと会えたね♡産まれてきてくれてありがとう」喜びの溢れたものではなく「あーやっと終わった!!!!」という解放感しかありませんでした 笑

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魔の育児

初めての育児。右も左もわからない。泣いているけど何を求めているかわからない。なにをしても泣く。夜も泣いて寝ない。

泣きわめいてやっと抱っこで寝た。布団にそーーーーっとゆっくり。

細心の注意を払ってそっと置いても背中のスイッチは発動!

「うーーーぎゃぁーーーー」

「はぁーーーダメか。なんで置いたってわかるの?」

「どうして寝てくれないの?どうして私を寝かせてくれないの?」

また1から寝かしつけをやり直し。これが毎晩繰り返される。だんだん夜が来るのが憂鬱になる。布団に置くのをあきらめソファーで抱っこしたまま寝る毎日。

朝起きた私は寝た気がしない、「おはよー」と寝てスッキリした夫の顔を見ると一人だけゆっくり寝れたことが憎たらしく怒りさえ覚える。

子供が欲しくて欲しくてたまらなかった、この子を大切に育てようという昔の気持ちは、毎日を必死でこなすことが精一杯でどんどん減っていくのが自分でもわかっていた。

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2人の育児、誰かの育児を真似

長男誕生の2年後、幸いな事に娘を授かることが出来ました。

でも、もう育児に余裕がないところに赤ちゃん登場!さて、どうなるか簡単に想像できますよね?

もー完全にお手上げです 笑

泣いている赤ちゃんを抱っこして足元には2歳がしがみつき泣きついてる。毎日夕方が近づくと、泣き声の大合唱が起きます。

この頃、夫の仕事も忙しく何でも1人でやるしかなかった。

近くに住む母親にもそんな出来ない自分を見せれなくて助けて欲しいのに「助けて」と言えなかった。

長男が言葉を話し始めるのがとても遅く、子供とコミュニケーションが取りにくい。

2年間育児をしても何がいいやり方なのか、子供にどんな言葉をかけたらいいのか自分で答えは見つけられませんでした。母親がこうしたらいいんじゃない?テレビでこうするといいですよーと聞けばその通りにやるしかない。

自分の育児ではなく、誰かの育児を真似することしか出来ない日々でした。

そんな自分として生きていない毎日だったから思うようにならないと子供や夫に怒りが爆発!!

「なんでそんなことをやるの!同じことやらないでよ!」

長男が3歳になるころ、私の目には子供も夫も私の"味方"ではなく、私を攻撃する"敵"に見えていた。


コーチングとの出会い

私は育児に疲れ切っていたの頃、夫から会社や人生を自分らしく生きるためにコーチングスクールに半年間通いたいと突然の相談があった。夫が私に重要なことを話す時は相談ではなく、もう彼の中では”やる”と決めたとき。

土日に家に居ないの?コーチングってなに?位の知識の私と話しても話は平行線のまま。でも、彼の決意は固い。話し合いを重ね夫はコーチングスクールに通うことになった。

半年が経過してコーチングスクールを卒業する頃、まだ上手く言葉が話せなくて泣きわめいてる3歳に向かって夫が言った言葉は

「本当は何がしたかったの?」 

「は?!何をこの子に聞いてるの?理由なんてわからないけどなんか嫌だから泣いてるんだよ」と思ったけど、普段聞きなれない会話が聞こえたので二人の様子を見ることにした。

言葉が上手くしゃべれない3歳がすっと泣き止んで、夫の不思議な問いかけに首が動いた。

「えっ!!!!!えーーーーー!!」

私に衝撃が走った。

言葉がしゃべれなくてコミュニケーションが取れないはずなのになんで夫の問いに息子はなぜ答えたんだろう。

この夫が言った「本当は何がしたかったの?」が私を変えるコーチングとの出会いでした。


コーチングを育児に取り入れて自分の人生が変わりました。そして未来の夢へとつながるストーリーは続きます。






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