見出し画像

お茶活

 同じ飲食店にカテゴライズされながら、ランチやディナーをいただくお店と喫茶店は明らかに目的の幅が異なる。
 休憩、食事、女子的おしゃべり、デート、仕事の打ち合わせなどなど。
 外回りの営業が一段落し、次の仕事の段取りまで、また、散歩の途中の休憩。雰囲気の良い喫茶店(最近はカフェともいうのか)があれば立ち寄りたくなること間違いなし。
 また、一般に、年齢に関係なく女子たちは喫茶店が大好きだ。たとえ映えスイーツがなくても、次々に話題を繰り出しながらただしゃべることだけを楽しむ。グループならばカップが空になって30分以上経っても無敵である。
 以前、京都のイノダコーヒでひと息入れていた折、哲学的論議でバトルしていた隣の男女はカップルか友人か同僚か。バトルでもスイートないちゃつきでもいい。場の程よいオープンさが彼ら彼女らの言葉をなめらかにし、行き過ぎに抑制を効かせてくれるだろう。
 また、コーヒーを間に差し向かい、無言になりがちな、なりたてカップルの頭の中には、数多のコトバと思考が混乱しながら高速で展開しているかもしれない。そんな時、店内のBGMがさりげなく沈黙を優しく包んでくれる。
 様々な仕事の打ち合わせの場としても喫茶店は活躍する。営業マンと顧客、作家と編集者、そんな状況において、ムードは少し後退し、パブリックな場として機能することだろう。
 仕事帰りに喫茶店に立ち寄り、しばしPCを開いて仕事をしてから帰ることがよくある。こなれた音楽に耳を傾けていると、周囲の客の気配や会話の断片なども一一体となって耳に入ってくる。職場のそれよりはもちろん開放的であり、年齢層も、会話の幅も広く、これがリラクゼーション効果を生み、パフォーマンスが上がるのである。だから音楽だけが空気を占める静謐な雰囲気でなくていい。コーヒーが美味しいお店であることは基礎的な条件となる。クラブハウスサンドや甘すぎないデザートなどがあれば、極上と思う。
 今日は空港の中の珈琲店に立ち寄ったのだが、ここでもちょっと仕事、とPCを開き、少し進めたところで、せっかくなので何か自分の文章を綴りたくなった。ここにいると、何か思いつきそうな気がしたのだ。
 喫茶店という場所で人々はおしゃべりになる。文字通りのおしゃべりの時間、心のなかで思い巡らす時間。またはただぼんやりと自分自身になりきれる時間。喫茶店は差し出してくれる。人とのつながり、自分の心とのつながりを確かめ、整えてくれる時空を。私はそれこそを「お茶活」と呼びたい。お店の一角でささやかにシェアしあう人々の姿が、今目の前にも展開している。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?