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おむすびに泣ける#おむすびの輪

おむすびを頬張ると、感情を揺さぶられることがある。涙する方に。

おむすびに何か特別な思い入れがあるわけではないのに、なぜだろう。同じフィンガーフードでもパンならどうだろう。

サンドイッチでもハンバーガーでも泣けるかもしれない。クタクタに疲れてお腹がペコペコの時にありつけたなら美味しさやその有難さに。

だけどわたしが意図する涙とは、やっぱりミスマッチだ。

パンとお米の本質そのものが真逆なのかもしれない。

それこそ陰と陽くらいに。

蒸しもあるけど、パンは焼かれることが多い。
一方のお米は水と一緒に炊飯する。

だから違いは当然、出来立てにも表れる。
表面の水分がすっかり飛んだパンはどこか陽気だけど、水分を抱きかかえるようにしてふくらむお米は、炊き上がりにもわっとした蒸気を立ち昇らせて、覗く者の顔をにわかに湿らせる。

挟む方の根が晴れやかなもんだから、いくらマヨネーズやオイルで具材がしっとりしていようが、サンドイッチはどこかカラっとしている。真夏の太陽がよく似合う。

おむすびはといえば、たとえ唐揚げやてんぷらのような水分を飛ばした具であっても、元々が水分たっぷりのお米だから衣はふにゃっと、カリッとしたままでいられなくなる。

これがハンバーガーなら?

バターがケチャップになっても大差がないように思う。パンは明るい。

これが太巻きならば?
お米と海苔、構成要素は同じようで決定的な違いがある。

塩味か、酸味か。

おむすびより寿司酢分だけ水分がありそうで、塩より酸が立つ太巻きは、口にするとどこかシャンとする。少しだけ陽に傾く。おむすびとはちょっと違う顔になる。

おむすびと涙は相性がいい。
どちらもしょっぱい。

頬張って嗚咽する姿がそのまま画になってしまうほど、お似合いだ。

とびきりの水分を含んで炊き上がったお米を、さらにむすんだもの。
口にした瞬間、せっかく手に取り合った粒はほろほろといとも簡単にほぐれてしまう。

こわばって固まっていたものが解けるように、身体から不要なものを出してくれるのかもしれない。

おむすびは愛しい。

愛情がこもっているからとか、日本に生まれ育ったからとか、親がにぎったそれがとかは全部抜きににしても、あの片手におさまる個体の存在そのものが泣ける。

今食べたら止まらなくなりそう。

でもそれは鬱々としたものでなく、新たな容れものを確保するための、あるいは立ち向かっていくための前向きな行為だと思う。

パワーフードだ、おむすび。

















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