見出し画像

言語化できないもどかしさ

見たもの感じたことを、言葉にする難しさ。
文章に落とし込めない歯痒さ。

うまく伝えようとすればするほど空回る虚しさ。

自分の非力さは、noteを毎日投稿するうえで十分に味わっているつもりでしたが、昨日はさらに頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。

敬愛するフランス人映画監督アニエス・ヴァルダ。日曜朝から岩波ホールで『ジャック・ドゥミの少年期』と『落穂拾い』を鑑賞してきました。

どこまでも滲む、監督の人間性。

長編とドキュメンタリー、どちらにも共通している点であり、アニエスの、どこか突き放したような、だけど温かなまなざしにはこれまでも新たな視点を授けられてきました。鑑賞後はいつも深く、長い余韻に浸ってしまいます。

と、こんな通り一辺倒な感想しか述べられない自分であります。

昨日は、鑑賞後に井浦新さんと斎藤工さんが「わたしとヴァルダと映画館」というテーマで語るオンライントークイベントに参加。

一つの映画を通して何をどう感じたか、をシェアし合えるまたとない貴重な機会でした(もちろん自分の感想は胸の中)。

画像1

お二人とも映画に関してはプロ中のプロ。一口に感想といえど、その表現方法や映画そのものの捉え方は、素人とは雲泥の差。

井浦さんからはパッションがバシバシ伝わってきて、どこか少年のよう。こちらのハートを掴んでいきます。

一方の斎藤さん。言葉を一つずつ選んで紡ぎ出す姿勢にかえって潔さを感じます。軽々しく場を繋げばいいってもんじゃない。そんな気概のようなもの。日々、自分の内側と対峙しているんだろうな。あの独特の色気は、孤独な状況で考えることと結びついて生まれているのかもしれません。

お二人の思慮深い感想をここに記すと空々しくなるのでやめておきます。

言語化以前に、深く考えることが大事だ。

うまく言語化することにゴールなんてないし、この鍛錬は死ぬまで続くんだと思います。

深く考えることと、毎日noteの両立が悩ましいところ。


憧れの街への引っ越し資金とさせていただきます^^