見出し画像

自転車旅 3月の会津・米沢

 喜多方のほまれ酒造を出たあと米沢に向かった。喜多方から米沢までは峠を一つ越えていく行程で距離はだいたい45kmほど。天候が崩れるという天気予報だったため、日が暮れる前までには米沢に入りたいと思いながらも、色々と酒蔵の人と話していると時間はおもむろに過ぎていた。
 ほまれ酒造を出たのは14時。出てすぐに緩やかな登り坂へと変わっていく道程、国道121号線は、歩道の整備もされていて順調な走りだしだった。しかし登るにつれて、だんだん天候が怪しくなり、空は蒼炎の雲に覆われ、雪が舞い始めた。西に暗い雲があったからいずれこっちにくるだろうとは思っていたけども、こんなにも早く天気が変わってくるとは…。内心不安が募ってくると、5~6km走った標高が600mを超えたあたりから、残雪が歩道に積もっていて走りようがなくなってしまった。山深くなるにつれて、雪も強くなってくる。まだ上りは5kmほどあるし、何より米沢までは30km以上。「困った。俺はこの山の中で野宿することになるのか」、そんなことが頭をよぎった。

 と、この時ふと思い出したのは、大学時代に体験した100kmハイクだった。ナイトハイクで歩いた30km。暗い夜道をひたすら歩いたあの道のりを考えると「まあとにかく進むっきゃないな」と思った。足がズボズボと沈む道のりを、自転車を担いでひた歩く。自分がこうしている光景を端から見ているとどんなふうに写っているんだろうか。10年ほど前、一人高野山から熊野古道を歩き、その後、奈良県の十津川村を歩いたことがあった。人家などない国道を歩いていると、ダンプの運ちゃんが「おいお前なんでこんなとこ歩いとんだ」と声をかけてくれ、乗せてくれた。自分としては修行のつもりで歩いていたけれども、あと50kmこの道のりが続くと思うと、その声に甘えて乗せてもらった。今回もそんなことはあるまいか、と淡い期待を思い浮かべてしまった。
 16時、喜多方からおよそ2時間かけて県境の大峠トンネルにたどり着いた。ここからは下り。「さらに神経を使うから心して行かねば」と思い、トンネルを抜けた。「山形はさらに雪深いのだろう」と思っていると、どういうことか、雪がない。空も曇ってはいるものの明るい。「山形のほうが雪が深いんと違うんかい」と拍子抜けを喰らってしまい、気持ちの上では一瞬にして楽になったのだった。

 風は西から吹く追い風。下りでは最速50kmを記録し、そのスピードが怖くて仕方がなかったけども、ジャンジャン進む。坂が緩やかになっても、追い風のおかげで30km以上のスピードで進み続け、気がつけば1時間立たないうちに米沢5kmの表示が出てきていた。
 結局17時には米沢にたどり着いており、東光の酒蔵を訪ねることができた。この日のうちに訪ねられたがゆえに、小野さんに会え、翌日の蔵見学へとつながるわけで、「会津側で感じた不安は何だったんだろうか?しんどい思いをした後はこんなにも順風なのだろうか」と大げさにも人生の不可思議みたいなものを感じてしまう道程となった。
 日光から会津に抜けた時もそうだったが、辛い上りを超えた後の世界は開けて見える。過ぎ去れば上りが一瞬の出来事のように感じてしまう世界は、何事にも置き換えられるのではないかとそんなことを思ってしまった。

 この日は米沢の居酒屋で、山形の酒を4種飲んで寝た。これがまた美味い。さすがは山形吟醸王国。一山こえたからか余計に酒がうまく感じられる夜だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?