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動けない身体、変わっていく日常


日に日にどんどん動けなくなっている。怖いほどに症状が悪化していく。秋から冬へと向かうこの時期、寒さが街にへ溶け込むかのように症状が変わっていく。


ある朝。私は布団の中にいた。起き上がろうとしても動かない。動けない。どうしたらいいか悩んでいたら、少し寝てしまった。また数分後に目覚める。起き上がろうと、ベッドにあるお気に入りのぬいぐるみを身体に押し込んで、少し身体を起き上がらせた。すると、全身の痛みが増してくる。痛くて痛くてその位置で疲れてしまう。そして、そのままの状態で数分ほど動けなくなる。やっと、起き上がるだけの力が入りそうなのを脳が気づく。隣で一緒に寝ている猫が心配そうに見つめられながら、なんとか起き上がるのに成功する。


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気がついたら、症状がまた増えている。息が苦しくなったり、めまいが極度に酷くなって突然歩くのが難しくなったり。極度の疲労感からか全身の痛みのせいなのか、たまに意識が遠のく感じもする。この症状の悪化は、怖い。確実に1ヶ月前とは生活スタイルが違う。笑えない現実。これがフィクションの世界だったらいいのにと思ってしまう。でも、現実だ。私の現実だ。

「生きているのに生きている感じがしない。」と思ったことはあるだろうか。私は少なくともある。今の症状では、食事をする・お風呂に入る・着替えるなどの日常生活で必要な動きが一人では難しく、一緒に暮らす母に支えてもらっている。食事や入浴などをした後は、座椅子やベットで倒れるようにもたれ、動ける状態になるのを待つ。すぐに動くことができない。動こうと立ち上がろうとすると、その場で崩れるように倒れてしまう。少し症状が落ち着くまで休憩してから動く。そして、また症状のために休憩する。これが私の日常。これが、現実。

だからか、そういう生活の日々を重ねるごとに何もできない自分が嫌になっていく。

「このまま一生動けないまま、人生を終えるのか?」
「私は本当に生きているのか?」
「何もできないまま、日々を暮らしていかないといけないのか?」と。

でも、こういう悩みって皆あると思う。どういう環境下でも「このままでいいのか?」と悩むのは、生きているからこそ思えるのだ。まだ生きたいと少しでも思うから、悩むのだ。生きるということは難しい。人間は難しい。簡単にできてないことを改めて知る。人それそれの悩みがあるからこそ、似たような悩みを持つ人達と一緒になったり、違う悩みを持つ人の話を聞いて自分の世界を広げたりすることもできる。


だからこそ、まだまだ生きたいと私は強く思う。「私は生きているのか?」と悩んでしまうのも多いが、それでも生きたい。まだまだ知らない世界が、私には待っているのだ。それが好きな映画や音楽だったり、ふとした瞬間に見た風景にあったりする。症状のせいで日常生活を送るのが難しくても、私は私らしく。私が知らない世界を見つけて。知らない世界を旅したい。どんなに身体が動けなくなっても、この好奇心の塊だけはなくしたくない。いや、なくさせはしない。病気なんかに負けたくない。


日に日に動けなく身体。悪化していく症状。寒さが身体に染みこまないようにと、こたつに入る。こたつのあたたかさを感じながら、今日も症状に負けじと重力に逆らうかのように動く。「病気なんかに負けたくない」と負けず嫌いな心を抱きながら、この文章を書いている。生きることの難しさを症状で感じつつ、知らない世界を旅して生きたい。


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