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誰かを愛すること=恋愛という図式〜アセクシャルの視点から、愛を語る


アセクシャル関連のイベントで、AceWeekというものがある。2020年だと、10/25〜10/31がそうらしい。(アセクシャルの意味についてはこちら過去の記事を参考にしてください。)

簡単に説明すると、AceWeekとはアセクシャル (他には、Aセクシャル・Aセク・アセクシュアルとも呼ばれている)などを含む、Aceの啓発週間みたいなものだ。しかし、「Aceって、何それ?」と思う方が多いだろう。私も最初、Aceという言葉がいまいちわからなく、どういうふうに使っていいか悩んでいた。

・Ace(えーす)
アセクシャル、デミセクシャル、グレイセクシャル、リスセクシャル等その他周辺のセクシャリティの総称。アセクシャルスペクトラムアンブレラコミュニティを指す。

出典:用語一覧 - 特定非営利活動法人にじいろ学校 - セクマイかな?と思った時に最初にアクセスできる団体


ちょうどAceWeekで賑わうこの時期は、#AceWeekでTwitter検索をすれば、世界中のAceに関わる人たちによるツイートが見られる。世界中にはこんなにもの仲間がいる。人混みで賑わったお祭りのように、世界中の仲間たちの呟きが見られるのも、AceWeek特有のものであろう。

さて、そんなAceWeekな時期にせっかくなので、少し書こう。

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私は、今のアセクシャルで、一部の過激的な主張を繰り返す人たちに不安を抱いている。アセクシャルをあまり知らない人たちにはわからないかもしれないが、現に今、残念ながらそういう人たちが徐々に増えてきている。


たしかに、今の恋愛というシステムが、選ばれし人たちにしか使えなく、少しでも違う行動をすれば、私たちアセクシャルは異常者扱いされる。

「えっ、恋愛してないの?独りなの?寂しくないの?」「良い人、紹介しようか?」「まだ恋愛を知らないだけだよ。そのうち、素敵な人が現れるよ。」などど恋愛しないだけで散々言われ、恋愛を押しつけられる。それが現実だ。さらに付け足せば、その恋愛システムで愛を認められている人たちでも、今の結婚制度では正式に婚約を認められないなどの問題もある。

恋愛・結婚というシステムが徐々に変化していても、アセクシャルの私たちの現実はまだ薄暗い。恋愛恋愛いう奴らの、愛なんて性愛なんてぶち壊したいなんて考えに陥ってしまうくらいのも、少しだけわかる。


だが、私たちアセクシャルやAceの仲間たちは、誰かの愛を否定し、ぶち壊すことはできない。たとえ、それが(嫌いな表現だがあえて言えば)多数派と呼ばれる異性愛であっても、その愛を否定することは私たちにはできない。なぜなら、私たちも恋愛じゃなくても、誰かを愛しているからだ。友達・家族・飼っている猫など。周りにいる大切な存在に、私たちは今も愛をそそいでいるからだ。

それよりも、誰かを愛すること=恋愛という狭い図式で考えないで、もっと広い範囲で「誰かを愛すること」が簡単に使えるようになったらいいのではないかと、私は思っている。広い意味での愛。人と人が愛し合う関係を、今の恋愛関係だけを考えるのではなく、もっと広く捉えてみようではないか。

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たとえば、世間一般的な恋愛関係には、お互いに特別な愛情があることを確認するために、恋人同士で行うお決まりがある。デートをし、手を繋ぎ、キスをし、SEXする、そういう決まりごと。順番が逆になるパターンもあるが、だいたいはこのような決まりごとが、恋愛での法則(以降、恋愛法則と書く)であろう。

愛し合うという言葉を聞くと、私たちはついつい恋愛を想像してしまう。そして、先ほどあげた恋愛法則を脳内に想像してしまう。誰かを愛すること=恋愛の図式が広がり、恋愛法則がすぐに出てきてしまうのは、何よりも恋愛が決まった形で、社会によって作られている証拠でもある。

果たして、その恋愛法則は、なぜあるのだろうか。人と人が愛し合うのは、恋愛関係が一番なのだろうか。相手との愛情を育むために、SEXをしなくてはいけないのだろうか。アセクシャルの人たちはこのようなことをよく考える。


ここで、想像してほしい。あなたにとって大切な恋人的存在がいて、また他の誰よりもあなたを愛してくれる家族または友達がいるとしよう。愛する誰かの(恋愛関係の)恋人への愛と、愛する誰かの(恋愛感情ではない)家族の愛を比較できるだろうか。

私は、大切な人たちを同じく愛している。猫様(私が飼っている猫)にもだ。もちろん、その人と喧嘩したりすれば、愛情が一時的に下がったりするが、基本的には同じ量、大切な人たちに対して愛している。一時的には誰かが一番になることはあるが、ずっと同じ誰かを一番に愛することなんてできない。

けど、それは恋愛関係でもそうじゃなくても、本質的には同じではないかと思う。それでは一体、どこが恋愛と違うのかというと、誰かとの関係性を築き上げる上で、恋愛法則を使ったか使わなかったかのほんの僅かな違いではないかと、私は推測している。

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人は孤独には耐えられない。だからこそ、恋愛法則を使って、愛されているか確かめようとする。恋愛法則はわかりやすく、愛の再確認できるからだ。

だが、恋愛法則を使ってない関係では、愛の再確認が難しい。自分が孤独ではない証拠が、わからない。だから、人々は恋愛法則にしたがって、愛を確かめようとする。

でも、その恋愛法則も、本当は確かなものではない。そうじゃなきゃ、浮気や不倫などがこんなにも起きないだろう。なのに、人々は恋愛を信じている。こんなに愛しているから、その分相手にも愛してほしい。それは、恋愛に関係なく、友達や家族への愛でも同じように言えることだろう。

人々は恋愛関係での愛をどこかで信じている。
そして私たちも、恋愛関係ではない愛をどこかで信じている。

恋愛関係でも、そうじゃない愛の関係でも、その愛は同じはずなのに。なぜ、誰かを愛すること=恋愛という図式があるのだろうか。(まだ言葉にはできないが、そこら辺の謎をこれから解いていきたい。)

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繰り返し言うが、誰かの愛を否定することはできない。それが、恋愛関係でできた愛でも、そうじゃない愛でも。

だからこそ、私は誰かを愛すること=恋愛になってしまう現象について考えていきたい。今ある恋愛を真っ向から否定するのではなく、恋愛をぶち壊すわけでもなく。誰かを愛することの意味を、平和的に広げていきたい。


今のアセクシャルで、一部の過激な主張を繰り返す人たちが、いくら何かに対して怒っても、伝えたい相手には伝わらないだろう。相手が信じているもの、恋愛に対して否定から始まっては、誰も話を聞いてくれないだろう。その主張は、同じような人たちにしか響かない。声が遠くに届かない。相手を真っ向から否定ではなく、「こういう考えはどうかな?」と物語を語るかのようにわかりやすく、丁寧に言葉を届ける。

愛されるにはまず自ら愛しないといけないように、伝えたい相手へ聞きやすい言葉を届けるのだ。

私は、アセクシャルを必要としているたくさんの人たちに向けて、これからも平和的に広めていきたい。ひとりでも多くの人たちにこの想いが届くことを願って。いろんな愛をこれからも届けていきたい。




アセクシャル関連のおすすめ書籍

・『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』
アセクシャルの人たちから大人気な書籍。残念ながら日本では、アセクシャルについての書籍がこれしかないのが現実。アメリカでの、アセクシャルについての書籍。


・『恋愛制度、束縛の2500年史 古代ギリシャ・ローマから現代日本まで』
恋愛制度について、おもしろい視点から語っている書籍。アセクシュアルの本ではないが、恋愛について改めて考えさせられる内容でよかった。




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