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喜怒哀楽はどこ行った?


喜怒哀楽=「感情」が湧いた時に
それを表現したり言葉にすることを
私はあんまりしてきませんでした。

表現の仕方がわからなかった幼少期から
学生時代を経て、社会に出てからは
あえて感情を表に出さないで
“自分を押し伏せる” や ”存在を消す”
みたいなことよくしてました。
(時折は顔には出てたであろう。苦笑)

感情をストレートに表現できる人を見ては
私には出来いな…なんて思っていました。

羨ましいとか、そうなりたいとはちょっと違って “前に出ないで少し引いておく”
という謎の⁈自分像を作ってたんです。

嬉しい時は、その喜びを素直に表現して。

怒りたい時は、受け止めて吐き出して。

哀しい時は、その哀しさを理解して。

楽しい時は、その状況を心から楽しむ。


なんていう事を、いろんな制限かけてきて
出来なくしてしまってたんだって事に気付き、理解することを学ぶ今、少し変化する場面も出てきました。

ある集まりでおしゃべりを楽しんでいた中、
私が行ってる体操教室をその日初対面の方にご紹介して、主催者さんにお繋ぎするタイミングが生まれました。

自然な流れで、変に言葉も選ばすに、心から
「いいものだから良かったらご一緒に」
という気持ちである事と、新しい人と環境が繋がっていく嬉しさや心地よさを感じている自分がいました。

今までの私だったら、
何かをお勧めするとか宣伝するとかは
私がするんじゃなくて、他の誰かがやるんだ!もっと上手にお話しが出来て、表現できる人がやるんだ!って思ってました。
はい、謎の自分像現る!です。

これも、ある種の制限なんですよね。
お勧めするからには責任がある…とか。
気に入ってもらえなかったら…とか。

決めるのはそのご紹介する方自身なのに…ね。


「心地よい世界を広げるよ。
本当に良いものだと感じてるんだから、
何の心配もいらないんだよ。」

って言う心の声に従ったら、
取り巻くエネルギーが巡り循環して行く様子を見た気がします。

『喜怒哀楽はどこ行った?』
『ちゃんと感じてる?』
『無視してない?』

ほんの些細な事も自分に尋ねてみる。
そして表現してみる。

その些細な積み重ねが、ちゃんと自分の感情にも寄り添う事になりそうです♡

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