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6番目の感覚器官

 タウリが「では、実際にやってみましょう」と言い、私たちはエネルギーでのコミュニケーションをやってみることにした。

「みなさん、目を瞑ってください」

 私は言われるまま目を閉じた。

「何か感じたら手を上げて、目を開けてください。感じなければじっとしていてください。気のせいかなと自信がない時は肘を曲げて手を上げます。自信がある時は肘を伸ばして手を上げます。いいですね?」

 しばらく何も感じなかった。急に笑いが込み上げてきて、大きく手を上げて目を開けた。半分手を上げている人が大半、高く手を上げている人が数人、じっと目を閉じている人が数人だった。高く手を上げている人たちは皆、私と同じように笑顔だった。

「はい、皆さん目を開けてください」

 目を閉じていた人たちは周りを見回して悲しそうな顔をした。わからなかったことにガッカリしたのだろう。

「届く感覚を予め想定していた方は受け取れなかったようですね。キャッチボールもそうですが、受け取る範囲を決めて構えていると、あらぬ方向から飛んでくるボールは見えていても身体がついていかずに受け取り辛くなります。もっとリラックスしてどこからどんなボールが飛んできてもいいように待っていてくださいね。笑った方はこの実験を楽しんでいる人ですね。私もこの実験の楽しさやワクワクに傾注しましたから、他の人よりも共鳴したようです。大部分の方は受け取れるか不安だったようですね」

「今の説明を聞いたら、なんか空気を読むのと同じだし、当たり前のことの気がしました」

 誰かがそう言うと、タウリは嬉しそうに

「そうです!」と答えて、ガッツポーズのような手振りをした。

「これがエネルギーによるコミュニケーションです。なーんだと思ったでしょうね。能力がないのではなく、それを重要視していないし、活用していないだけなのです。それが伝えたかったのです」

 すると、メンバーの一人が手を挙げた。

「申し訳ないのですが、前回、平等を目指さないなら何を目指すのかという話をしてくださると言っていたと思うのですが、その話はどうなったのでしょうか?」

 タウリはうっかりしていたという顔をして、いたずらっぽく笑った。

「そうでしたね、途中まで話して時間切れになっていたのでした」

 そう言うと、彼女はホワイトボードに「対等」と「非人格」と書いた。

「平等ではなければ何を目指すかと言うと、対等です。対等というアイディアを説明すると、あい対する二人の人がいるとして、その人たちの間にヒエラルキー的な優劣や高い低いという関係性がないということです。エネルギーとして連続して影響し合う対等な関係性として、お互いを見るからです。このとき、どちらが主体でどちらが客体であるか、どちらが発信者でどちらが受信者であるか、ということは直線的な方向のエネルギーの捉え方をしている分には特定の時間を切り取ってそれぞれをどちらかに定義することは可能ですが、実際には主客は常に入れ替わり、厳密にどちらかが主体であり続けることはできません。今現在の私たちの関係も、話す私は聞く皆さんの反応をインタラクティブに感じ取っているので、発話として発信し同時に反応を見るという受信もしながら話の方向性が常に変化しています。私たちの間にエネルギーが行き来して干渉し合い、場を形作っているというわけです。この、主客が入れ替わり続ける連続的な運動の中では、私たちは共に運動そのものであり、境目がほとんど消失しています。だから、私たちはある一定の切り取り方をしたときには「話し手」と「聞き手」という関係ではありますが、そのアイデンティティはエネルギーとしては曖昧になっていて一つのムーブメントとして場をクリエイトしている、非人格的なグループとみなすことができるのです」

 すると誰かが後ろの席から聞いた。

「そうあなたたちの星では考えているということでしょうか」

「ンナッ」

 彼女は彼女の星でやるように、違和感を感じたというサインを送った。

「ちょっと意地悪なエネルギーを感じました。批判的に抗議したい気持があるようですが、もう少し正直な気持ちを話してください」

「時間のことを言っていましたが、実際に話しているのはあなたであって、確かに我々の反応を感じているのはわかりますが、主客が入れ替わるというのは本当にそうでしょうか。あなたが知っていることを私たちに話しているのだから、発信しているのはあなただし、私たちはあなたの星のことは何も知らないのだから受信しているだけだとするのが普通だと思います。時間がそこに関係あるとは思えません。説明に無理があるし、なんだか屁理屈に聞こえると思っています」

「なるほど。いま現に、私はあなたの思考の話を聞きました。その間、私は聞き手でした。うーん、これじゃ反論しているだけになってしまいますね。ちょっと待ってください」

 彼女は少し考えてからまた話し始めた。

「このプロジェクトが私の星の話を聞くというプロジェクトである以上、私が話し手であるという定義ができます。だからその観点から言えばあなたの言っていることは正しいと思います。このプロジェクトの目的を基準にして私たちの関係性を定義した場合は私は話し手です」

 彼女はまたしばらく考え込んで、目をクルクルさせながら頭の中を探っているようだった。視点が一点に定まって、深呼吸をすると話を再開した。

「観点がどこにあるのか、ということ、これはアイデンティティに直結しています。どんなフィルターを通して世界を切り取って見ているか、ということがその人そのものを表していきます。例えば、宇宙空間の星がほとんどない場に私とあなたがいるとします。あなたが向こうの方から近づいてくるのを私は見ます。私からはあなたが向こうから近づいてきていると見えています。でも、あなたは私がこちらからあなたの方へ近づいていると見えていて、お互いに自分は止まっていると感じているとしたら、どちらが正しいでしょうか? どちらも正しいのです。この比較のための座標のない空間では、自分を中心に自分以外のものを捉えることしかできないからです。自分が動いていると定義し、自分が相手に近づいて行っていると感じることも、この空間では可能なのです。主客はこのように入れ替わるのです。時間について言ったのは、時間も空間と同じように点を捉えるための座標系だからです」

「何となくわかりましたが、非人格ということがやっぱりよくわかりません」

「私たちの星ではその場の関係性から名前をその場だけのためにつけています。聞き手、話し手、質問者、回答者、右側の人より背の高い人、左側の人より背の低い人などです。どこにどんな座標を設定してお互いを認識するかということが必要に応じて変化します。だから、人格という固定された個人が特定できません」

「それでは不便ではないのでしょうか?」

「不便なことがある以上に、メリットがあるのです。私は地球人と異星人という固定された関係に閉じ込められているのでとても孤独を感じています。でも、同じ宇宙の似た体を持った生き物、意識体として認識する座標系で認識してもらえれば仲間意識によって孤独感が消えます。私とあなたという関係はまだいいのですが、我々と彼らという構図になると、対立を生みやすくなるのでそういう固定された関係性には固執せず、流動的な関係性にフォーカスするのです。実際に関係性は常に連動する流れに見えます」

続く

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